2024年を代表する映画、俳優を選ぶ「第79回毎日映画コンクール」。時代に合わせて選考方法や賞をリニューアルし、新たな一歩を踏み出します。選考経過から受賞者インタビューまで、ひとシネマがお伝えします。
第79回毎日映画コンクール
第79回毎日映画コンクールの贈呈式が2月13日、東京都内で行われた。終了後、取材に応じた受賞者は、高揚した表情のまま喜びを語ってくれた。 「若い2人の〝今しかない輝き〟を撮るんだ」池松壮亮 最初に登場したのは、映画「ぼくのお日さま」でフィギュアスケートのコーチと生徒をそれぞれ演じた、助演俳優賞の池松壮亮とスポニチグランプリ新人賞の越山敬達。贈呈式でも、受賞スピーチをする越山を、まるでコーチのように心配そうに見つめていた池松。 映画は20代の奥山大史監督の商業映画デビュー作。池松は、企画段階から関わり、撮影中は初主演の越山や、演技経験がなかったもう1人の生徒、さくら役の中西希亜良から自然な演技を引き出すことを求められた。それだけに「この作品で賞を取れたことも、 敬達 と2人で一緒に取れたことも、とてもうれしい」と喜ぶ。「主役として 敬達と 希亜良が映画の真ん中に立ってくれて、この2人の今しかない輝きをみんなで育てるんだという思いでやってきました。 敬達が賞を取れたことは僕以外もみんな、本当に喜んでいると思います」 「僕一人じゃ何もできなかった」越山敬達 越山の魅力を、池松は「子役の方って割とガツガツしてる方が多いのですが、敬達は本当に控えめでボーッとしていて、その辺がものすごい好きです」と語り、「このまま感受性が高く、シャイで、何事にも一生懸命な敬達のままでいてほしい」と願った。 一方、越山は池松を「近くで存在するだけで心強い。心を和らげてくれるような柔らかいお兄さん」と言い、「 僕一人じゃ、何もできなくて、池松さんがいたからこそ、映画の中に僕がいた。池松さん、監督さん、僕を支えてくださった皆さんに本当感謝しかないです」と何度も謝意を語っていた。 「現実とは思えなかった」カルーセル麻紀 「一月の声に歓びを刻め」で助演俳優賞を受けたカルーセル麻紀は、三島 有紀子監督にエスコートされて現れた。現在82歳で、79回の歴史を持つ毎日映画コンクールとほぼ〝同世代〟。毎日映コンの歴代受賞作はほぼ見ているというほどの映画好きだ。1960年代初めに芸能界に入り、数々の映画に出演してきたが、賞には縁がなかった。「(受賞が決まって)周りは騒いでいたけど、ありえないこと。私はいただくまで現実とは思えなかった」と話した。 撮影は極寒の北海道・洞爺湖。食事の休憩は短く、共演者と談笑していると三島監督に注意された。撮影中、ほとんど会話はなかった監督のことを、「鬼」と呼んでいたと笑う。カルーセルをモデルに作家の桜木紫乃が書き上げた小説「緋の河」を三島監督が読み、カルーセルの起用を着想。桜木が2人をつないで撮影が始まった。 「こんな大変な映画のチャンスを私にくれた三島監督と桜木さんにはお礼を言いたい。映画出演は12年ぶり。この年でまさか映画のオファーがくるとは思わない」 贈呈式で着用した黒のドレスは、約30年前にオートクチュールで作ったが、一度も着ないまま衣装部屋に眠っていた。「このドレスはきょうのためにあった。この晴れやかな舞台でお披露目できてよかった」と裏話を明かし、「82歳がこんな半分裸で出てきて、すみません」と記者を沸かせると、三島監督と引き揚げた。 「また来られて、すごくうれしい」三宅唱 最後に現れたのは、映画「夜明けのすべて」で日本映画大賞、監督賞、TSUTAYA DISCAS映画ファン賞を受賞した三宅唱監督。 前作「ケイコ 目を澄ませて」(22年)に続き、2作連続で日本映画大賞、監督賞の快挙だ。「1 回、(賞を)取ると、そんなに呼んでもらえないだろうとか勝手に思ってました。またこういうふうに来られて、すごくうれしい」と喜んでいた。
佐々本浩材
2025.2.13
第79回毎日映画コンクール贈呈式が2月13日、東京・めぐろパーシモンホールで行われた。贈呈式では2024年の日本映画界を代表する受賞者が、トロフィーを手に口々に喜びを語った。主演俳優賞の横浜流星は「これからも妥協せず、志高く精進したい」と高らかに宣言した。 毎日映コンは作品、俳優、スタッフ、ドキュメンタリー、アニメーションの各部門とTSUTAYA DISCAS映画ファン賞と、幅広く映画を顕彰している。今回は贈呈式に続いて、大藤信郎賞の「私は、私と、私が、私を、」と日本映画大賞の「夜明けのすべて」が上映された。 「ぼくのお日さま」© 2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS 助演俳優賞・池松壮亮「喜びが押し寄せている」 助演俳優賞の池松壮亮とスポニチグランプリ新人賞の越山敬達は「ぼくのお日さま」に出演。越山は「初めての主演映画で多くを学んで、今も素晴らしい経験をしている。この楽しい、うれしい気持ちを忘れずに、賞に恥じないよう、またこの場に戻ってこられるように頑張ります」と力強く宣言。 池松は「毎日映コンの賞を初めていただくことができて、うれしくて感動しています」と落ち着いた声で言った後、「喜びが押し寄せているんです、これでも」と笑わせた。「映画に携わることによって、世界に物語を届け、必要な共感をもたらすこと、演じることをなりわいにできること、与えられている幸せをかみしめて、映画の真実の声を聞きながら、真実を語り続けたい。大きな励みになった」と話した。 「一月の声に歓びを刻め」© bouquet garni films もう一人の助演俳優賞は「一月の声に歓びを刻め」のカルーセル麻紀。池松と越山にエスコートされて登場し「82歳ですから」と大きな拍手。「会場近くに住んでいるが、まさかここに立てるとは思わなかった。長生きして良かった。ジェンダーレス俳優の受賞は初めてだそうだが、みんなも頑張れ」とエール。トロフィーを掲げて「これは位牌(いはい)代わりに」とジョークを飛ばし「いただいて良かったです」と再び大きな拍手を浴びていた。 「正体」©︎2024 映画「正体」製作委員会 主演俳優賞・河合優実「映画が未来に残る」 「正体」で主演俳優賞の横浜流星は「藤井道人監督と出会って10年。お互い何者でもない時から走ってきて、集大成の作品だった。多くの人に届き、愛してもらい、幸せ。これからも妥協せず、志高く、映画人として映画界を盛り上げられるように精進していきたい」。 「ナミビアの砂漠」「あんのこと」で主演俳優賞の河合優実は撮影中で、「ナミビアの砂漠」の山中瑶子監督がトロフィーを受け取った。「河合さんと私の出会いから今まで、運命的なことも多かった。でもどこかでこうなる気はしていた。河合さんの本質を見つめる力、誠実で細やかで、着実な努力のたまもの。光を振りまきながら影も見つめる、唯一無二の役者の活躍を同時代に見られることがうれしい」と俳優としての魅力を訴えた。 河合はビデオメッセージを寄せ「大切な2作品での受賞で光栄。全然違う志の2作品で、その時できたことを一生懸命やったつもり。映画の名前が未来に残ることがうれしい。力をもらった」と話した。
ひとシネマ編集部
第79回毎日映画コンクール贈呈式が2月13日、東京・めぐろパーシモンホールで行われた。贈呈式では2024年の日本映画界を代表する受賞者が、トロフィーを手に口々に喜びを語った。スタッフ部門で監督賞を受賞した「夜明けのすべて」の三宅唱監督は、前作「ケイコ 目を澄ませて」に続く受賞。「毎日映コンはスタッフの賞を設け、いつも気にしている。今回は監督一人だが、スタッフ全員でいただいた」と喜んだ。 毎日映コンは作品、俳優、スタッフ、ドキュメンタリー、アニメーションの各部門とTSUTAYA DISCAS映画ファン賞と、幅広く映画を顕彰している。今回は贈呈式に続いて、大藤信郎賞の「私は、私と、私が、私を、」と日本映画大賞の「夜明けのすべて」が上映された。 ドキュメンタリー映画賞・ペヤンヌマキ「政治について話すきっかけに」 ドキュメンタリー映画賞「映画 〇月〇日、区長になる女。」のペヤンヌマキ監督は、映画のポスターを胸に下げて登場。「杉並区長選のドキュメンタリーだが、一人の区民が立ち上がって政治に参加するまでのドキュメンタリーでもある。草の根の力を信じて、活動した全員にいただいた賞だ。映画を見た人から励まされたという声も聞き、政治について話すきっかけになれた」と話した。受賞記念の再上映も行われるという。 大藤信郎賞「私は、私と、私が、私を、」の伊藤里菜監督は「大学の卒業制作で、初めてのアニメーション作品。悩んで大変だったが完成し、たくさんの人に見てもらえてうれしい」とあいさつした。 脚本賞・濱口竜介「音楽が先導してくれた」 録音賞の浦田和治と撮影賞の池田直矢は、「十一人の賊軍」での受賞。浦田は「スタッフの中で最年長で、よく声をかけてくれた。作品が評価されたと思っている」。池田は「映画の賞は初めて。映画の世界で出会った人に感謝し、その思いを背負い、届けられる映画を作り続けたい」。美術賞は「箱男」の林田裕至。「30年前から企画し、ドイツでは明日から撮影という日に中止になった。因縁ある作品で、またやろうという人がいて、完成したことに感謝したい」 脚本賞の濱口竜介と音楽賞の石橋英子は「悪は存在しない」で受賞。海外滞在中の石橋は、文書「音楽を作っている間は夢の中のようで、もったいないくらい幸せな時間だった」とメッセージを寄せた。濱口は「自分のこと以上にうれしいのが音楽賞。石橋さんの音楽が映画を先導してくれた。未熟な脚本を見られる映画にしてくれたのはキャストやスタッフ、取材に協力してくれた地元の人のおかげ」。 「夜明けのすべて」で監督賞の三宅唱は「映画は、賞のカテゴリーのないスタッフの力も集まってできあがる。良い現場と良い作品を両立させたい。映画は一人では作れない。スタッフと共に仕事をしていけたらと思う」と関係者の力をたたえた。
「作品にとって少しでも力になれたかな、と思うと素直にうれしい」と満面の笑みを浮かべた。笑顔の背景にあるのは「スタッフ、特に照明部と、一つでも形のあるものを残したい」という思いだ。撮影作品が毎年数本公開される活躍だが、毎日映コンは初受賞。「賞と呼べるもの自体、ほとんどいただいたことがなかった」と喜んだ。 「何かしたい」と思わせる白石和彌組 受賞対象となった「十一人の賊軍」(白石和彌監督)は初の時代劇。ロケ地は広大で、夜のシーンが目立ち、アクションもたっぷり。カット数も多く、力量が問われた。「〝月明かり〟とは言うものの、光がない。大きな地形で高い所からのライティングで、カメラは振るし、登場人物も多い。これまで何度も仕事をしてきた、照明の舘野秀樹さんと相談した。仕上げのグレーディングの時間を多めにとってもらい、画(え)がつながり音が入った時に映像としてどう見えるか、この作品にとって何がベストか最後まで探った」 白石監督とは「死刑にいたる病」に続いて2本目。「十一人の賊軍」では、砦(とりで)のセットを組んだ千葉県鋸南町の宿所で同部屋になり、何度も話した。「白石監督はプロデューサー的にも演出でも発想が鋭く、監督力が高い。この人のために何かしたいと思うし、努力に応じてポテンシャルが引き出される。自分が映画に残ると感じる現場」だったという。 「十一人の賊軍」©2024「十一人の賊軍」製作委員会 大人数の集団時代劇「色気感じた現場だった」 幕末を舞台とした、新政府軍と新発田藩の罪人11人による集団抗争劇。大人数が激しい動きを見せるが、映像は雑然とせず、どのシーンも強めのトーンで人物の感情を際立たせた。「映画を熱心に作っている人たちの色気を感じた。舘野さんも白石監督も、その瞬間の俳優がいいと思えばカメラをそちらに切り替える。白石監督はライティングが崩れても面白がって、ポスプロ(撮影後の仕上げ作業)できちんと仕上げればいいという構えだった」。その瞬間の〝いいもの〟にこだわるのは、池田も全く同じ。写真家を例にこう説明した。「篠山紀信はなんでこんな顔を写せたのか、荒木経惟の被写体はなぜこんな顔をしたのか。映画でもスチール写真の1枚から、誰が撮影監督か分かるのでは」 カメラに興味のない写真館の息子だった 香川県の出身で父親は写真館を営んでいた。だが子どものころはカメラの存在が近すぎて触ったこともなく、父親の仕事に関心もなかった。ただ、兄が撮った父親の遺影に感心し「家族が撮ったからこういう顔をしたのか」と考えたという。「作品の力になるとは、構図とか光の具合も、もちろんある。だが今自分がやろうとしているのは(兄が父を撮ったような)ことなのかもしれない」 穏やかで言葉を丁寧に選ぶ。「カメラマンになって賞をいただくなんて、想像していなかった。助手の時は目線やライティングのことは分からないし、カット割りにも興味がなかった。映画はあまり見ないし、そもそも強い意志があって映画界に入ったわけではない。全く駄目な助手だった」と振り返る。「でも、今は撮影にものすごく興味がある」と体を前に乗り出した。カメラマンの面白さは「役になった瞬間の俳優さんを、一番近い場所からのぞき込み、観察するぜいたくと楽しさ。その時の感情や画から感じるスタッフの仕事を見続けたい」と話した。 真田広之との〝出会い〟が将来を決めた 映画の世界に足を踏み入れるきっかけは、自主製作映画のカメラマンのつてで浜崎あゆみの収録現場に行き、その映像を見て関心を持ったこと。19歳か20歳のころだ。「高間賢治カメラマンの現場で、フィルムの詰め方から始まり、何から何まで面倒を見てもらった」。その後、木村大作や阪本善尚ら名カメラマンらの元で力をつけ、40代前半での受賞である。 「実は元々スタントマンになりたかった」と聞いて驚いた。中学生の時に映画「ヒーローインタビュー」(1994年)を見て、真田広之のとりこになった。テストで名前の欄に「真田広之」と書いたほどで、ジャパンアクションクラブに入りたいと言って親に号泣された。「今思うと、最初の頃は真田さんに会いたくてこの仕事をしていた。賞をいただいて、誰かを撮りたいという純粋な思いを追いかけてもいいのかなと思っています」と相好を崩した。 木村大作から譲り受けた機材と思い インタビューの最後に、とっておきの話を紹介したい。この映画はデジタル撮影されたが、ラスト、11人のうち2人だけ生き残ったなつ(鞘師里保)とノロ(佐久本宝)が新潟湊の町中に登場するシーンは、フィルムで撮影された。 使ったのは、池田が助手としてついた「春を背負って」の監督、撮影の木村大作から「お前使え!」と譲り受けた86年前のカメラだ。「撮影中、同宿で同部屋だった白石監督に『ぜひ使わせてほしい』と思いを伝えたら、『やりましょう』と言ってくれた。亡くなった賊軍の思いを2人が受け継いで生きていくラストにふさわしいと思った」。日本映画を支えてきた大ベテランの名カメラマンから若き俊英への継承を感じるエピソードだ。 「フィルム事故のリスクもあったが、プロデューサーも受け入れてくれた。86年前の大作さんのカメラで撮ったら、何かが映るかもしれないと考えた」。最後のなつの表情のフォーカスがぼけていて、フィルムと気づいた方もいるだろうが、フィルムならではの質感、味わいがこの物語のエンディングにぴったりだった。 将来も見据えてこうも語った。「これからAIなどが発達し、きれいな画を撮れるようにしてくれるのかもしれないが、それは僕が撮れているのか、カメラを作った技術者の力で撮れているのか、グレーな状況になると思う」。考えながら言葉を続ける。「フィルムのカメラはデジタルに比べ不自由です。だからこそ、それでもいいものを撮る技術を考えていけば、力をつけて、求めてくれる監督やプロデューサー、作品に応えることができるのかなと考えています」
鈴木隆
2025.2.11
「ドライブ・マイ・カー」で音楽を担当した縁で、自身のライブ用の映像製作を濱口竜介監督に依頼した。当人も濱口も、当初は映画になるとは予想もしていなかった。「好きな映画音楽について話していたら、ジャン・リュック・ゴダール監督が話題になったんです。音楽家の私も憧れだったし、濱口さんも音楽の使い方に興味があると」 「何回見ても飽きない映像を」濱口監督に依頼 音楽ライブで映像を流すパフォーマンスは珍しくないが、抽象的なものが多く、そちらに興味はなかったという。「濱口さんの作品はセリフ中心のようですが、東日本大震災のドキュメンタリー3部作では時間の使い方とか、被災者の話を聞いているだけで情景が立ち上がって、音楽がないのに音楽的だと感じたんです。 ツアーに映像を連れて行って、何回見ても見飽きないような、お話のある方がいいだろうと依頼しました」 濱口とやりとりする間にいくつか案ももらったが、「 いつもの映画を撮るように作った方が、面白いかもしれませんと提案しました。脚本が上がる前から、濵口さんだったら絶対面白いものになると思っていました」。 石橋が拠点を構えている長野・山梨県境での取材を基に脚本が書かれ、撮影も無事終了。「撮影が終わった日に、濱口さんがすごく充実して晴れ晴れとした顔をしていて、これはなんかあるかもとは思っていました。そしたら後から、映画も作っていいですかと。もちろん、すごくうれしいですと答えました」 「悪は存在しない」©2023NEOPA Fictive 言葉にしていない怒りを感じた かくして同じ映像素材から、映画「悪は存在しない」とパフォーマンス用映像の「GIFT」の2本が生まれることになる。編集は同時進行で進んだが、音楽は映画の方を先に作ることになった。 映画の冒頭、真上に向けられたカメラが、林の中を移動してゆく場面をはじめ、映画のテーマとなる弦楽器の音楽が繰り返し流される。「はじめにテーマの音楽を作ってほしいと、木のシークエンスを見たように思います。脚本や映像から、濱口さんが言葉にしていない怒りみたいなものを感じ取ることができた。その気持ちから、ストリングスのスコアを書き上げました」 映画音楽の仕事は初めてではないが、濱口との仕事では「自由に作らせてもらった」という。「濱口さんは音楽の使い方をよく考え、知っている。私は思いついたものを大量に渡して、どう使うかは濱口さんが決めるという作業です。自分には合っていた気がします」。製作に取りかかるまでに時間をかけて意見を交換したことも、恵まれていた。「音楽を言葉に変換するのは非常に難しい。イメージをすり合わせるには時間が必要です。日本の商業映画ではその時間があまりないと実感していますが、今回はゆっくりイメージを育てることができました」 毎回驚きがあるのが楽しい 映画が大好きというが、実は「映画に音楽は基本的に必要ないと思っています」と意外な言葉。映画の中の現実には、音楽は存在しないはずだという。「なぜ音楽を付けるのか、どういう役割をするか、厳密に考えないといけない。そうでないと、お客さんの気持ちをコントロールすることになりかねない。音楽にはそういう危険性があると思う」。目指すのは「観客がいつまでも映画を好きでいたり、その作品について考えるよすが」だ。 一方「GIFT」は、「ドライブ・マイ・カー」を編集した山崎梓が脚本を読まずに素材をつないだ映像が基になっている。「悪は存在しない」の音楽に集中して取りかかったあとだけに「満足して、もういいかなと思ってしまった」と笑う。しかしもちろん、予定通りの初演に臨んだ。セリフはなく、物語性は希薄だ。石橋は「GIFT」を上映しながら、毎回即興で演奏するパフォーマンスを行ってきた。「もう何度も見ていますが、今でもここにこのシーンが来るんだっけ、みたいな瞬間が何回もある。その驚きとともに演奏も変わっていくのが、ものすごく楽しい」 「GIFT」にも通底するものが流れている 二つの作品は、濱口が「二卵性双生児」という関係だ。石橋にとっても、二つの作品の音楽は「別物だけどつながっている」という。 「『悪は存在しない』が神話的な物語なのに対して、『GIFT』は、私自身にもお客さんにも、原始的な感覚を喚起するようなところがあると思います。二つの作品には 通底する、つながる感情がある。『GIFT』に違う音楽を付けようという考えもありましたが、二つを無理に切り離さないで、映画のために作った音楽を『GIFT』のライブでも使っています。でもこれから10年ぐらい続けているうちに、変わっていくのかもしれません」 濱口との出会いが、音楽家としても刺激になったと振り返る。「音楽を作る中で、1人では行き詰まることもあるんです。濱口さんのような素晴らしい表現者、アーティストの映像に助けられ、喚起されて音楽を作れました。濱口さんの映画は、自分の音楽に対する考えとか、成長に影響していると思います」
勝田友巳
2025.2.08
2022年6月の杉並区長選で、新人の岸本聡子が無所属の現職区長を187票差で破る劇的当選を果たした。「映画 〇月〇日、区長になる女。」は、その岸本陣営の選挙戦を追ったドキュメンタリーである。政治への関心が薄かったペヤンヌマキ監督が、政治を「自分事」としていく過程のドラマチックな記録でもある。「受賞をきっかけに、見てもらう可能性が広がったのがうれしい」。〝凱旋(がいせん)上映〟も始まる。 道路計画でアパート立ち退き⁉ ペヤンヌマキ監督は、劇作家・演出家。長く杉並区に住んでいたものの、政治とは無縁だった。杉並区は自民党が強い地盤を築き保守区長の再選が続いていた一方、市民運動も盛んで市民団体が対抗候補を擁立。21年の衆院選では区の大部分を含む東京8区で、立憲民主の新人、吉田晴美が自民・現職の石原伸晃を破って当選し、熱気が蓄えられていた。ペヤンヌマキはそうした動きを知ってはいたが、強い関心を持ってはいなかったという。「前回の区長選では現職に入れたかも。無関心って怖いですね」と振り返る。 それが、住んでいたアパートが道路拡張予定地に含まれ、立ち退き対象になっていると知って驚き、区政について調べ始めた。岸本のつじ立ち演説を聞いたことがきっかけで、区内の市民団体の選挙を手伝うことになる。「暮らしを守りたくて。最初は映画にしようという感じではなく、投票率を上げたかった」。18年の区長選の投票率は、32.01%。「これでは現職が組織票で勝っちゃう。最初はビラ配りでも何でもと思ったけど、私にできることを考えた時に、作品を作って発表する仕事をしてきたので、生かせるのは映像かなと思って、ユーチューブでアップすることを思いついて撮り始めました」 「映画 ◯月◯日、区長になる女。」©︎ 映画 ◯月◯日、区長になる女。製作委員会 「NGなし」の密着取材 岸本は「NGなし」と密着取材を快諾。告示前になって公約を巡って支持団体内部で意見が割れるなど、市民団体ならではの〝手作り感〟も映し出す。「撮り始めたら、すごく面白かった。選挙に集まってくる人はいろんな思いを抱えている。そこに人間模様があるし、候補者にいろんなダメ出しもする。岸本さんと支援者がぶつかり合う場面が撮れた時に、これは映画としてまとめたいと思いました」 投票まで、岸本を追った10分ほどの動画を9本もアップ。「撮影して編集してで、寝る間もない。ショート動画ではなく短いドキュメンタリーとして作りました」。当時は昨今の選挙ほどSNSの影響が大きくなく「1000回再生されたら『やった!』という感じ」だったというが、動画を見て応援に来たという人もいた。「187票差の劇的な勝利で、運動した一人一人の行動が全部無駄じゃなかった。私の動画も、ちょっとは役に立ったのかなと」 一市民としての視点忘れず 心がけたのは「一市民としての視点」だった。旧知の映像制作会社代表、松尾雅人プロデューサーから「客観的じゃなく、自分の視点でそのまま撮ったほうがいい。その時々の自分の気持ちも、撮影しておいた方がいい」とアドバイスを受けた。監督も「それがすごく効いてます。選挙を追うだけなら、ジャーナリズムでいい。でも選挙を身近に感じてもらうには、自分の生活が奪われるという危機感を、見た人に体験してほしかった」。岸本や支援者だけでなく、自身の心情を吐露した場面も挿入した。 岸本当選の盛り上がりを受けて、続く区議選では岸本を応援した女性たちが大量当選、男女同等のパリテ議会が実現した。自身も立候補を本気で考えたという。岸本区長の任期は後半にさしかかり、次の選挙も視野に入る。「岸本さんは対話の区政を掲げて、住民の意見を聞く場をたくさん作った。良くも悪くも、杉並区は変わったと思う。女性議員が増えて議会の景色が一変したけれど、その反動も大きい。議会自体がエキサイティングになって、居眠りどころじゃない。傍聴人も増えたし、若い人の傍聴ツアーも現れた」。区長選では元職が返り咲きを狙っているようだが、岸本は「政権交代は欧州では当たり前」と構えているとか。 半径10メートルが世界につながる 選挙戦を体験して、ペヤンヌマキ監督自身も大きく変わった。「生活を守りたいと行動したことが、選挙とか政治につながった。生活の延長線上に選挙とか政治がある、半径10メートルの出来事が国や世界につながっているんだと」。公開後、口コミで評判が広がり、当初都内1館だけの上映から全国40カ所に拡大。自主上映会も70件を超えたという。 区政の状況は折に触れ記録し、女性議員たちの活動も追っている。「この作品は、かつての私のように選挙に興味がないとか、投票に行ったことがないという人に見てほしい。見た人に〝自分事〟にしてもらえる自信はあるけれど、見てもらうまでのハードルが高いです。歴史ある賞をいただいたことで、多くの人たちが見る機会が広がりそうなのが、すごくうれしい」 毎日映コン・ドキュメンタリー映画賞受賞記念アンコール上映は2月8日、東京・ポレポレ東中野を皮切りに、広島・ 横川シネマ▽大阪・シアターセブン ▽ 東京・シネマ・チュプキ・タバタ ▽ 鹿児島・ガーデンズシネマ ▽ 神戸・元町映画館 ▽ 札幌・シアターキノ ▽ 京都・京都シネマ ▽ 愛知・ナゴヤキネマ・ノイ ▽ 長野・長野相生座・ロキシー ▽ 神奈川・小田原シネマ館――で順次予定している。
2025.2.07
2021年に続いて、2度目の毎日映コン録音賞。前回も同じ白石和彌監督の「孤狼の血 LEVEL2」で、激しいアクション場面があるドラマ。「ドンパチで受賞したのは驚いた」と言うのも、毎日映コンの録音賞は比較的〝聞かせる〟作品が多いから。「それだけちゃんと見てくれたということ。うれしいね」 大雨、大風 アフレコ主体に もっとも「十一人の賊軍」と「孤狼の血」とでは、録音部の仕事としては対照的だった。「孤狼の血」が撮影現場で録(と)った音を使い、「ほぼシンクロ(同時録音)」だったのに対し、「十一人の賊軍」は、セリフも環境音も「アフレコ(後録音)主体」。自身は「現場の音を大切にしたい」とシンクロが好みだそうだが、要請に応じ現場の状況次第でいかようにも対処するのがプロ。「十一人の賊軍」は、大がかりなセットを組んだ時代劇の上、激しい雨風の中で大勢が入り乱れる大活劇。「雨降らしに大風のための大扇風機。シンクロでは絶対無理」とぬかりなく準備して撮影に臨んだ。 俳優同士の声も聞こえないほどの扇風機の騒音と土砂降りで、俳優の体にピンマイクは仕込めない。現場の音でも録れるだけの音は録ったが、セリフも効果音もほとんど撮影終了後に作り込んだ。「作業量は膨大で、時間がかかった。セリフのある俳優さんが30人近く、アフレコは1日2人ぐらいしかできないから、それだけで15日。さらに音響の処理があって、4カ月以上かな」 「十一人の賊軍」©2024「十一人の賊軍」製作委員会 「ドルビーアトモス」採用 膨大な作業に 加えて今回初めて、最新の音響システム「ドルビーアトモス」を採用した。従来の音響は、前後左右の5カ所なり7カ所なりのスピーカーに音を振る仕組みだが、アトモスではさらに立体的、正確に音を配置する。「〝空間処理〟という考え方なんです。音をピンポイントで128カ所に振ることができる」 日本では導入が始まったばかり。上映できるのは50スクリーン程度、実写映画ではほとんど先例がない。それでも挑戦したのは「世界標準だから」。「日本は遅れているよね。好き嫌いは別にして、技術者なら目指すべきですから」。第一人者としての矜持(きょうじ)がにじむ。アトモスでは音が自在に配置できるから、臨場感は従来の比ではない。 といって、現実の音響に近づければいいというわけでもないという。「室内にもオープンセットにも、それぞれの空間の響きがある」。セリフが聞こえてくる方向も、画面に見えている通りが最善とは限らない。「音が回っていればいいのではなく、お客さんにとって聞きやすいようにするのが大切。普段はあまり、前後左右に音は振りません。今回は映像に合わせて振りましたが、シーンの後半、芝居が煮詰まってくるところでは、お客さんが集中できるように配慮しました」 「十一人の賊軍」©2024「十一人の賊軍」製作委員会 大事なのは作品への思い入れ 映画の音響設計は、物語の展開、画面の構成、構図などさまざまな要素を加味しなければならない。「音の素材はダイアローグだけじゃない。空間による特性もあるし音楽や効果音も加わる。音楽や芝居のダイナミックなうねりに合わせる」。セリフのアフレコも、現場で俳優の生の声を録るのと同じにはいかない。「俳優の感情を作るのも大変です。すんなり入れる人ばかりではないから。現場で演じているのと、編集された映像を見ているのとでは、リアクションも違う。もっとも、それも面白さ」 そして、作品への思い入れ。「それがないと、やってられないですよ。『十一人の賊軍』でも、ある部分ではものすごく音楽がでかい。あ、手がいっちゃったみたいな感じ。全員あきれてたけど、NGにはならなかった。進んだ技術は補助手段で、最後は自分の気持ち」 結局映画の音響は「全体の構成。正解はないんじゃないかな。その時はそれが最良だと思っても、全部100点とはいかないもんね。極端に言えば好き嫌いしかない。決めごとでバランス取るのは嫌いだけど、やりすぎるとすべてがダメになる。崩れる一歩手前がいちばん美しい」 「碁盤斬り」「一月の声に歓びを刻め」……両極端「楽しい」 今回の映コンでは「碁盤斬り」でも候補となった。こちらも白石監督による時代劇だが、囲碁の対局など静かな場面が多く対照的。「『十一人の賊軍』ができるだけ派手なドンパチ、『碁盤斬り』はシンクロで、どのぐらい小さく聞かせるか」。このところ立て続けに、白石監督とNetflixの「極悪女王」の現場に入り、三島有紀子監督の「一月の声に歓びを刻め」にも録音監修として参加した。映画の作柄も監督の持ち味もさまざまだが「両極端で、楽しい」。 映画界に入ってほぼ半世紀。技術は光学録音からデジタルへ、シネテープからコンピューターへと〝進化〟した。「ワープロも使ったことがなくて、『クリックってなんだ?』というところから始まって。教えてくれる人もいないから、自分で必死に勉強した」。もっとも「技術は激変した。でも、考え方は変わらない」と言う。「音が良くなったからって、映画が良くなるわけでもないしね」 毎日映コンで録音賞5回の西崎英雄を〝師匠〟と仰ぐ。「切腹」(小林正樹監督)、「心中天網島」(篠田正浩監督)、「儀式」(大島渚監督)など、1960~80年代に、数々の作品を手がけた伝説的録音技師。「最初に助手についてダビングしたときに『なんだこのバランスは』と思ったんです。でも映画を通してみると、納得する。それまで美しくバランスを取ることを考えてたけど、それじゃつまんない。強烈でしたね。だから目標です。やっと足元ぐらい来られたかな」
2025.2.06
受賞作は東京造形大の卒業制作。アニメーション部門に集まった長短41作には、大ヒットした商業映画も著名なアニメ作家の作品もあったが、「将来性と斬新さ」で賞を射止めた。学生のコンテストなどでの受賞はあったものの、伝統ある大藤信郎賞には「全く思ってなくて『ウソ!』とびっくりした」と喜んだ。 元々は漫画家志望で、高校時代から描き続けている。進路に悩んでいた時に「指定校推薦で美大に行けるなら」と進学先を選んだ。「絶対アニメ作るぞ、という意識はなかったし、入学後も課題そっちのけで漫画を描いていました」と告白。「大学の授業でアニメの面白さを知って、卒業制作も作らなきゃ、と取り組んだ。完成させてから、アニメ面白いかもと思いました」。いわば〝第2希望〟で才能が開花した。 もっと別の、正しい形があるのでは 「私は、私と、私が、私を、」は、自身の整形体験を基にした。「毎日なんとなく鏡を見るうちに、ここなんか違う、このパーツは自分じゃない、もっと別の正しい形があるはずでは、という感覚を覚える時があって、それが整形のきっかけになったりする」。そこに至る心の動きや自己像と現実の違和感を、アニメならではの技法で表現した。心情的セルフドキュメンタリーだ。 作品の中で主人公は、奇妙なものに変容し、皮を何枚むいても元に戻らない。整形手術を受ける間に、幼いころ見た風景や心情が脈絡なく現れる。錯綜(さくそう)するイメージには、二つの声で全く内容の違うナレーションが重なる。実写の映像をなぞるロトスコープを使った主人公の動き、コンピューターソフトで加工した映像、自身が子供のころに描いた絵、抽象的でサイケデリックな色彩の渦など、イメージは自由に膨らみ変容し、映像と音声が重層的に融合した作品となった。「4年生を2回やって、2年がかり」の労作だった。 カテゴリー化される〝整形してる人〟 「自己像と他者が自分に抱く像の差異」がテーマとなった。他者が、自分を〝カテゴリー化〟して理解しようとすることへの違和感。「〝整形してる人〟というカテゴリーなら、過去に大きなトラウマがあるとか家庭環境が良くないとか。でも自分は、そんなことは全然ない。その差を感じることが多くて、テーマにしたら面白いかなと」 「整形をテーマにしていても、それ自体がいいとか悪いとか問うつもりはなくて、自分自身の状況そのものを形にして残しておきたかった。見た人に、そういう人もいると認識してもらうことが大事だった」 「私は、私と、私が、私を、」© Rina ITO 2024 アニメの可能性、自分の作風で 物語性より、いくつもの手法を組み合わせた表現を重視した。「もともと現代美術が好き。映像として完結させるより、アニメーションを使ったインスタレーションがやりたかった」。特に、ナレーションが独特だ。まず、自分の日記を基に考えた文章を映像に乗せていったん完成。その後でナレーションを抜いた映像を、内容を知らない友人に見せ、主人公になりきって日記を書いてもらう。それを基に別の文章を作り、完成形に重ねるという手間をかけた。 「人の中には複数の〝自分〟がいるし、さらに他者の目線も加わる。自分ではこうだと思っていても、他者が勝手に推測して、そうじゃないと言われてしまう。自分と相手の間にあるものを、表現として残しておきたかった」 「アニメはこれで終わり、漫画一筋と思っていました」というが、思いがけぬ受賞で「選択肢が増えた」。アニメーション表現の可能性も改めて感じている。「物を作るのが本当に好き。漫画もアニメーションも、自分がやったことが形として残るのが面白い。自分の作風で作れるのなら、作り続けたい」
第79回毎日映画コンクール各賞が決まった。スタッフ部門は約70人の選考委員による投票の上位得票者が候補となり、2次投票を実施した。 監督賞・三宅唱「夜明けのすべて」 【他の候補者】入江悠(あんのこと)▽黒沢清(Cloud クラウド)▽白石和彌(碁盤斬り)▽濱口竜介(悪は存在しない)▽安田淳一(侍タイムスリッパー)▽山中瑶子(ナミビアの砂漠) 「夜明けのすべて」©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会 新しい世界のモデルを示唆 【講評】エレガントで慎ましく、だが真に先端的で今日的な映画の革新。我々はその実践者として、三宅唱監督の名を挙げることができる。「夜明けのすべて」は一見常套(じょうとう)的なボーイ・ミーツ・ガールが物語の起点となるが、描かれるのは恋愛のパワーゲームではなく柔らかな共生社会の在り方だ。人間信頼に満ちた民主的で安全な環境。全ての生を祝福し、新しい世界のモデルを示唆する傑作。そんな映画が普通にあることの素晴らしさを三宅は実感させてくれた。(森直人) 「悪は存在しない」©2023NEOPA Fictive 脚本賞・濵口竜介「悪は存在しない」 【他の候補者】加藤正人(碁盤斬り)▽野木亜紀子(ラストマイル)▽港岳彦(ぼくが生きてる、ふたつの世界)▽安田淳一(侍タイムスリッパー)▽和田清人 三宅唱(夜明けのすべて) 俳優、スタッフに宛てた手紙 【講評】「悪は存在しない」の脚本は、監督もした濱口竜介が俳優やスタッフへ宛てた手紙にも思えた。ぶれない軸に巧妙な工夫がなされている。木の名は、森に生きる父・巧と娘の会話となる。水の恩恵を重ねた後、都会から来た人間と水の問題が浮かび上がる。不在の人物の写真に謎は深まる。数字を用いて丁寧に書かれた巧のまき割りは重要なシーンであると伝わる。鳥の羽根はチェンバロになる、という長老の話は不穏な風を運ぶ。静謐(せいひつ)な森へ誘う脚本は映画の設計図として秀逸であった。(大石みちこ) 「十一人の賊軍」©2024「十一人の賊軍」製作委員会 撮影賞・池田直矢「十一人の賊軍」 【他の候補者】浦田秀穂(箱男)▽奥山大史(ぼくのお日さま)▽北川喜雄(悪は存在しない)▽佐光朗(八犬伝)▽月永雄太(夜明けのすべて) 11人を描き分け、大セット生かす 【講評】新発田藩の奸計(かんけい)により、11人の罪人が送り込まれた要衝の砦(とりで)に、5000人余の官軍が殺到する。アメリカ映画風の能率主義アクションをこえて、奥行きのあるカメラワークが、11人を巧みに描き分け、砦とつり橋の大オープンセットを生かして、かつての東映集団抗争時代劇を彷彿(ほうふつ)させる。戊辰戦争の一挿話に日本近代への懐疑と権力者への怨念(おんねん)をこめた笠原和夫の伝説のプロットがよみがえった。池田直矢は1980年香川県生まれ、2024年には3本の撮影を担当。(小野民樹) 「箱男」©The Box Man Film Partners 美術賞・林田裕至「箱男」 【他の候補者】安宅紀史(Cloud クラウド)▽今村力、松崎宙人(碁盤斬り)▽磯貝さやか(雨の中の慾情)▽沖原正純(十一人の賊軍)▽佐々木尚(八犬伝)▽YANG仁榮(ラストマイル) 細部にこだわり シュールなイメージ 【講評】原作者からの許諾、映画化決定から中断を経て二十数年。この長い準備期間に石井岳龍監督はもちろん、美術家もいろいろと策を練っていたのではないか。それは楽しみであると同時に、苦しくもあったろう。その成果が、病院や箱男の住居などのロケ地、ダンボール箱、「ノート」などの小道具に至るまで表れた。全ての場面でディテールにこだわり、シュールなイメージに統一感がある印象的な映像美術を創り上げた。この難解な作品を、大いに助けていると思う。(竹内公一) 音楽賞・石橋英子「悪は存在しない」 【他の候補者】勝本道哲(箱男)▽佐藤良成=ハンバートハンバート=(ぼくのお日さま)▽Hi'Spec(夜明けのすべて)▽安川午朗(あんのこと)▽渡辺琢磨(Cloud クラウド)▽渡辺琢磨(ナミビアの砂漠) 見る者の知覚を刺激 【講評】石橋のライブ用映像を濱口竜介が制作したことから物語が膨らんでいったという。冒頭を彩る、ギター、シンバルの鳴りを前奏に据える弦楽のメインテーマは、映像と濃密な関係性を保ちながら精妙に映画空間を広げていくが、徐々に緊迫感を醸し出し、不穏、不気味な感覚をも招き込む。雄弁、誘導を拒否する石橋の音楽演出が見る者の知覚をいたく刺激し、想像をかき立てる。監督と作曲家の観念、感性、志向が一体化した高度な映画表現法にうならされた。(小林淳) 録音賞・浦田和治「十一人の賊軍」 【他の候補者】浦田和治(碁盤斬り)▽川井崇満(夜明けのすべて)▽小清水建治(ぼくが生きてる、ふたつの世界)▽田中博信(ミッシング)▽藤丸和徳(あんのこと)▽松野泉(悪は存在しない)。1作品ごとの対象とし、浦田は2作で候補に。 ベテランのあくなき挑戦 【講評】「十一人の賊軍」は日本実写映画ではまだまだ少数派の音響システム、ドルビーアトモスで製作された大作時代劇だが、多くの録音賞を受賞してきたベテランのあくなき挑戦が見事。大勢の登場人物のセリフを大切にしながら、アトモスでの音の緻密な空間設計と、過酷な現場での同録とアフレコのなじませ方は突出している。重厚でありながら吐息まで設計された録音技術と録音マンの矜持(きょうじ)は新たな映画音響表現の地平に観客を導き、没入させることに成功している。(松島哲也)
2025.2.05
「箱男」は1997年、ドイツでのクランクイン前日に撮影中止となり、その後曲折を経てようやく完成したいわく付きの映画だ。その最初から美術として関わった作品で、3度目の毎日映コン美術賞。「初号を見るまで、完成するか半信半疑だった」と感慨深げである。 ドイツに組んだ大セット「8割完成」も水の泡 石井岳龍(当時は聰亙)監督が原作者の安部公房に映画化の許諾を得て、日独合作、両国で撮影されるはずだった。美術として参加した林田は、ドイツに巨大なセットを建てて準備を進めていた。ところが製作資金調達に問題が発生、クランクイン前日に中止を告げられる。セットは「7、8割完成していた」。 「大ショックでした。現地の大道具や美術会社も努力してくれたのに、手も足も出ない状態で。情けなくて悔しくて、日本に帰される飛行機の中で、ずっと泣いていた」。その後何度も浮上しては頓挫を繰り返した。「 4、5回、再開の機会があったと思う。そのうち3回ぐらいは関わった」。今回は、必ず完成させるという意気込みで臨んだという。「ドイツではかなり攻め込んだ大きなセットを作ったんですけど、今回はきゅっとタイトに、ムチャもしないように」。 「 本来は攻める方。でも、グッと抑えて」の仕事だっただけに「受賞は意外でした」。 「箱男」©︎2024 The Box Man Film Partners ミュージカルもあった27年前 段ボールの箱をかぶり、「箱男」として存在を消して暮らす男が主人公。箱ののぞき穴からひそかに社会を観察していた男の前に、箱男になり代わろうとする「軍医」や「ニセ医者」が現れる。27年の間に脚本は大きく変わった。「97年当時は、ギャグありミュージカルありのエンタメ調。最後は炎上する建物の壁が割れて、ダンサーが乱入してくるクライマックス」だったそうだ。今回もクライマックスにアクションシーンがあるが、病院の一室でコンパクトかつ緊密な展開となった。 ロケ地は茨城県の廃病院で、ドイツに組みかけたセットからは大幅縮小。 物語の方向性も変わったが、石井監督の世界は存分に表れている 。なにしろ20代からの付き合いで、〝師〟と仰ぐ。まずは背景。安部の小説は勅使河原宏監督が何作も映画化した。「どれも美術はシュールで、石井監督の好みでもある。その要素はなるべく入れたかった」。そして石井作品におなじみの 「メタリック」。無機質で金属質の輝きは、石井映画の随所に現れる。「メインの舞台となる『軍医』の部屋は、病院の厨房(ちゅうぼう)を使いました。ステンレスの機器がたくさん残っていたから金属質で、照り返しも光源になる」 「石井監督はマジカルなものも好き」。「軍医」と「ニセ医者」はアフリカで出会い、多肉植物の研究もしているという設定だ。「監督からアフリカの要素を入れてほしいと要求があって、土産物やカーペットの紋様、光の加減で雰囲気を作りました。それに、砂漠をイメージして部屋に土を入れた。抽象的な映像を壁に投影したのも、効果的でした」。石井監督の意をくみつつ、自身のアイデアを盛り込んだ。 昔のデザインを超えられない 「27年前とは別物」という「箱男」だが、唯一同じだったのが、箱男がかぶる箱のデザインだ。「 変えようという考えもあったんですけど、当時のデザインを引っ張り出したら、これを超えるものは描けないと思ったんです。石井監督に『このデザイン画でどうか』と聞いたら『俺もそれがいいと思う』と」 「ドイツで残念な思いをしたスタッフも、今回の映画化を気にしてくれていた。その気持ちをどこかで引き継ぎたかった。シナリオも別物、セットや背景も同じにはできない。でも箱がそのままなら納得してもらえる、思いをつなげられる、と」 箱の仕様は小説に詳細に書かれているが、映画では一回り小さい。小説サイズを町の中に置くと、目立ちすぎてしまうのだという。試行錯誤して高さは68センチ。箱の意匠は自身で細かく作り込んだ。塗装し汚しをかけ、劣化して破れ、退色したように見せる。「代々の箱男が継承するうちに、あめ色に変色した」という見立てである。 全く同じ汚れた箱を手作りで30個 もちろん、撮影に使うのは1個ではない。アップ用、支柱を入れて頑丈にしたアクション場面用、それに予備。段ボール会社にデザインを発注し、一つ一つ塗装と汚しを加え30個ほど作った。「最初の1個は面白かったんですが、2個目からは 地獄のよう。スタッフの数は少ないし、自分で手をかけないと同じにならない。破れ方は型紙を転写してカッターで表面をはがし、ゲージを当ててシールの位置も合わせ、汚しの形や位置もそろえた。同じにするのが大変な作業でした」 これだけの力が入ったのは、箱は本作の「主人公」だから。出演者は永瀬正敏、佐藤浩市、浅野忠信と豪華だが、みなこの箱に入る。画面に登場する時間も長い。「美術は背景を作るけれど、主人公はめったにない。『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』にも参加したけれど、 ウルトラマンや仮面ライダーは作ってないですから」 東京芸大在学中のアルバイトから映画界へ 映画界に足を踏み入れたのは、石井監督と運命的な出会いがあったから。東京芸大に入学して間もなく、学内で撮影現場のアルバイトに勧誘された。これが石井監督の「爆裂都市 BURST CITY」だった。美術監督は泉谷しげる、その下に阪本順治、助監督は緒方明。「映画は大好きだったけど、業界は怖い人が多そうで仕事にする気はなかった。アルバイトなら面白そうだとついていって、石井監督に言われるまま、メタリックの甲冑(かっちゅう)やサイドカーを造りました」 その後も石井監督らの撮影現場に出入りし、2年生で石井監督の「逆噴射家族」で特殊造形を担当。在学中に「湯殿山麓呪い村」「CHECKERS IN TAN TAN たぬき」などメジャー作品にも参加した。この間、「石井監督にはいろんなことを教わった」という。「ビデオが登場したころ、アンソニー・マン監督の戦争映画『最前線』を一時停止しながら見て、室内セットでの奥行きの出し方なんかを詳しく教えてもらいました。今もそのころ教わったことを思い出しながらデザイン画を描いているし、ある意味で師匠です」 「式日」「あずみ」「阿修羅城の瞳」など多くの作品を手がけ、「喰女 クイメ」(第69回)と「シン・ゴジラ」(第71回)で毎日映コン美術賞(いずれも佐久嶋依里と共同)を2度受賞。デザインを考える時は「第一印象を絶対に大事にしています」という。「シナリオを最初に読む時に、頭の中で全部絵にしてみる。それに忠実に従っています」。長いキャリアの途中では、舞台美術に専念した時期もあった。次は初めてというテレビドラマ。「新しいことは楽しいですよ」。目を輝かせた。
受賞に「たいへんありがたいのは大前提」と喜びながら「賞を取るような脚本かと思ってもいる」と謙遜。同一の脚本と映像素材から、「悪は存在しない」と「GIFT」という二つの作品が作られるという変わった成り立ちだった。前者は映画、後者は石橋英子のライブパフォーマンス用映像だ。石橋は上映された映像に合わせ、即興で演奏する。どちらも濱口の脚本から生まれているけれど、別作品。自身は「二卵性双生児」と表現する。 「悪は存在しない」©2023NEOPA Fictive ライブ用映像「面白そう。でもどうしよう」 両作ができるまでの道のりは、なかなか複雑だ。始まりは、濱口監督の「ドライブ・マイ・カー」で音楽を担当した石橋が、濱口に映像制作を依頼したこと。濱口は「自分でも次に何をしようかなと考えていたタイミングで、面白そうだなと思った」と言うものの「自分にいわゆるミュージックビデオ的なものは作れないだろう。どうしたらいいか分からなかった」。山梨・長野県境にある自然豊かな石橋のスタジオを訪ねたり、試作した映像について話し合ったりした期間が1年ほど続いたという。 「往復書簡のようにやりとりしているうちに、石橋さんが求めるものが実は〝いい映像〟らしいと分かってきた。だとすれば自分にできるのは、人物をちゃんと演出して存在させ、強度みたいなものを出すこと。それなら映画を作ろうと。映画なら撮影素材がいろいろできるから、そこからライブ用の映像を作ったらいいということになりました」 脚本は、石橋が拠点とする地域のリサーチが基になった。自然の中を案内してもらったことや、施設建設を巡る住民説明会が混乱したといったエピソードが、物語に織り込まれていく。「リサーチを進める間に、ここで撮れそうだ、カメラをどこに置けばいいのか、だんだん発見していった。原作ものは別ですが、自主製作的に作る時は物語がポンポン浮かんでくるわけではないので、現実に根っこがあるエピソードから始めることが多い」 人物が迷いなく立つために 脚本自体は順調に書き上げたという。「取材をたくさんして、苦労はなかったです」。濱口映画は会話劇の様相が強い。今作は石橋の音楽のための映像となることが前提だが、そこは特に考えなかったという。「セリフと俳優の関係という点では変わらず、演じやすいようにセリフを書く。ただ、セリフがないところが音楽の入るスペースになるかなぐらいは思っていました。石橋さんに、撮った映像に対してどういう音楽を付けますかとチャレンジするみたいな。そして、セリフのない部分で、俳優にいかに堂々といてもらうか」 映像の中にキャラクターを存在させるという点では、取り組み方は同じなのだ。「大事なのは、人物がちゃんと立つこと。フィクションの世界の人物が不安なく立つのは、なかなか難しい。その俳優当人のキャラクターではないので、こういう感じと伝えても、迷いがあると映ってしまいます。脚本は、迷いがある程度なくなるようにするための道具、支えの一つなのです」 密度のある現実のための「タイムライン」 濱口自身が編集して「悪は存在しない」を作る一方で、「ドライブ・マイ・カー」の編集を担当した山崎梓に、脚本を読ませずに映像だけをつなげてもらった。その後これを基に「GIFT」が完成。類いまれな製作過程をたどった。「映画として完成させる必要がないところから始まる映画製作は、本来ありえない。本当にフリースタイルで進めることができた。現場も少人数の非常にフレキシブルな体制で、単純に楽しかった」 自身の監督作ではほぼ脚本も自作。黒沢清監督の「スパイの妻」には、黒沢、野原位ととも脚本に参加した。「ドライブ・マイ・カー」ではカンヌ国際映画祭の脚本賞も受賞している。「脚本を書くことは、世界を一つ立ち上げること。簡単ではないですが、嫌いではない。これを映画にすると思うとワクワクするということかもしれません」 脚本を書く際に心に置くのは「タイムライン」だという。「セリフもとても大事だけれど、ある時間の中で、これがあってこれがあって、これがあるという一連の出来事のタイムラインを作っておきます。それができていれば、撮影現場では脚本をベースに、 何かが生まれてくる。 ちゃんと準備しないと、密度のある現実にはできません」 細かいト書き 聞かれる前に書いておく 脚本には細かくト書きがある。たとえば本作の序盤、主人公の巧とそば店主が湧き水をくみに来る場面。「⼩さな沢の流れ。⽔⾯がきらめく。そこで巧が⽔をくんでいる。傍らには 12 個のポリタンク(5リットル)。⼤きめの真ちゅうのひしゃくですくった⽔をポリタンクに⼊れていく。6〜7回すくうとポリタンクは満タンになり、巧は蓋(ふた)を閉める」。実に詳細。 「脚本は、現場でやることが最低限書かれているもの。ある時間がどう過ぎていくか、セリフであれト書きであれ、一応書いておく。そうすると、スタッフも役者も何をすればいいか、言わなくても分かる」。それにしても、ポリタンクの数まで。「助監督に、これ一体何個あるんですか、何回水をくみますかと聞かれるわけです。それなら聞かれる前に書いておく。聞かれて『うーん、分かんないな』っていうのも監督のあり方としてありなのかもしれませんが、自分では書いてあるのが一番だと思います」 スタッフや俳優がいい脚本のように見せてくれた 一方で、映画の結末は観客に解釈を委ね、さまざまな考察が飛び交った。ヤボを承知で、あえて聞いてみた。なぜ巧は突然、高橋の首を絞めたのですか? 巧の娘、花は死んだのですか? 「脚本は、なるほどこうなるんだと非常にすんなり書けました。出来事は必然的に起きる。俳優が違和感なく演じられるのなら、その現実が正解ということです」。巧を演じた大美賀均から、別の場面で「なぜ?」と聞かれ「それはご自分で」と答えたそうだ。「それで、聞いてもしょうがないんだと思ったようです。だからここも、特に聞かれませんでした」。巧が首を絞めるのも「きっと理由があるんでしょう。でもキャラクターも、自分では理由を言えないでしょう」。ハナが死んだかどうかは「分かりません」。 脚本賞に「たいへんありがたいのは大前提」と喜びながら「賞を取るような脚本かと思っているところもなくはないです。でも評価してくれた人は、完成した映画を見てから脚本も読んで、こういう映像、演技になるのかと思ったのでしょう。スタッフや俳優が、あたかもいい脚本であるかのように見せてくれたんじゃないかな」。
2025.2.04
「大藤信郎賞」に「私は、私と、私が、私を」 第79回毎日映画コンクール各賞が決まった。アニメーション部門は今回から「大藤信郎賞」に一本化した。 毎日映コンは1962年、先鋭的、実験的なアニメーション作品を顕彰するため、日本の実験アニメの先駆者だった大藤信郎の名前を冠した賞を創設。アートアニメに光を当ててきた。その後、スタジオジブリ作品などが人気を得てアニメ映画の水準が向上したことから、89年に「アニメーション映画賞」を新設した。しかし近年、アニメ映画の社会的認知や作品の完成度が高まって実写映画と同等に扱われるようになり、原点に戻る形で大藤信郎賞だけを残した。 【選考経過】応募と選考委員の推薦で41作。討議の対象を受賞作の他「パーキングエリアの夜」「とても短い」「Bottle George」「生の喜び生きる喜び」「ルックバック」「ファーストライン」「私の横たわる内臓」「孤」「化け猫あんずちゃん」「きみの色」に絞り込んだ。大藤信郎賞の方向性を「若手」「実験性、挑戦」と確認。大学の卒業制作の「私は、」の完成度と斬新さを評価し、討議で全員一致。 「私は、私と、私が、私を、」© Rina ITO 2024 現代の自意識と欲望 浮き彫り 【講評】「私は、私と、私が、私を、」は、作家自身の整形経験にもとづいたアニメーションドキュメンタリーだ。「私」を整形へと駆りたてる強迫観念を鑑賞者に追体験させるその手際からは、作家がアニメーションでなければ成しえない「映像の文体」をよく心得ていることが見て取れよう。本作は、皮相なルッキズム批判に終始することなく、整形当事者の複雑な心理に深く迫ることで、現代人の自意識や欲望の諸相までをも浮き彫りにしている。(田中大裕) 【応募・推薦作品】パーキングエリアの夜/私は、私と、私が、私を、/7:40/MAGICAL GIRL/ブルースのステップ/とても短い/ヤポラポンキー/ぽち桜/Painting/Bottle George/生の喜び生きる喜び/チュソクを準備しよう/ハコフグとみなまたの海/Garden of Remembrance/神々来々/トラペジウム/こまねこのかいがいりょこう/藍の約束/デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章・後章/BLOODY ESCAPE-地獄の逃走劇-/ルックバック/劇場アニメ「ベルサイユのばら」/劇場版アニメ「i☆Ris the Movie-Full Energy!!」/Element/ファーストライン/数分間のエールを/クラユカバ/クラメルカガリ/私の横たわる内臓/孤/シノアリス 一番最後のモノガタリ/機動戦士ガンダムSEED FREEDOM/化け猫あんずちゃん/PUI PUIモルカー ザ・ムービーMOLMAX/劇場版 モノノ怪 唐傘/さざ波の少女たち/がんばっていきまっしょい/鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 真生版/ふれる。/Into a Landscape/きみの色 ドキュメンタリー映画賞に「映画 ○月○日、区長になる女。」 【選考経過】応募と選考委員の推薦で40作。討議の対象を絞り込み、受賞作の他「生きて、生きて、生きろ。」「うんこと死体の復権」「あなたのおみとり」「骨を彫る男」「戦雲」「正義の行方」「マミー」「どうすればよかったか」「大好き 奈緒ちゃんとお母さんの年」「94歳のゲイ」「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」「拳と祈り 袴田巖の生涯」「狂熱のふたり」「燃えるドレスを紡いで」「アイヌプリ」「津島 福島は語る 第二章」に。「正義」「骨」「津島」も高評価だったが、討議を重ね「民主主義の原点が描かれている」と「区長になる女」に決定。 「映画 ◯月◯日、区長になる女。」©︎ 映画 ◯月◯日、区長になる女。製作委員会 民主主義のプロセスを可視化 【講評】完成度の観点で他作を推す声もある中で本作が選出されたのは、「描かれたもの」に対する評価だ。一住民という〝個〟に徹し、信頼関係と対話を基軸に政策提言はもちろん、主人公である岸本聡子の実直なパーソナリティーをも引き出した監督の視線は、選挙戦の熱狂や劇的な勝利にひきずられることなく、有権者一人一人が本来有しているはずの政治参加のありようを冷静に見据え、我々の社会の土台である民主主義のプロセスそのものを可視化した。(佐藤寛朗) 【応募・推薦作品】生きて、生きて、生きろ。/鹿嶋神社と大久保-歴史と祭りと村の人々-/うんこと死体の復権/WILL/あなたのおみとり/骨を掘る男/戦雲/正義の行方/その鼓動に耳をあてよ/マミー/五香宮の猫/どうすればよかったか?/吾輩は保護犬である/おらが村のツチノコ騒動記/大好き~奈緒ちゃんとお母さんの50年~/映画 ○月○日、区長になる女。/倭文 旅するカジの木/沖縄久高島のイラブー/94歳のゲイ/#つぶやき市長と議会のオキテ【劇場版】/かづゑ的/無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語/りりィ 私は泣いています/フジヤマコットントン/ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ/拳と祈り -袴田巖の生涯-/いもうとの時間/江里はみんなと生きていく/カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~/アイアム・ア・コメディアン/かいじゅう/おまえの親になったるで/沖縄狂想曲/狂熱のふたり~豪華本「マルメロ草紙」はこうして生まれた~/燃えるドレスを紡いで/劇場版 再会長江/アイヌプリ/トノバン音楽家加藤和彦とその時代/津島-福島は語る・第二章-/恋するピアニスト フジコ・ヘミング
第79回毎日映画コンクール各賞が決まった。俳優部門は今回から、男女の別を廃止した。「スポニチグランプリ新人賞」も、これまで男女1人ずつを選んでいたが、男女の別なく2人までとした。約70人の選考委員による投票の上位得票者が候補となり、2次投票を実施した。 他の候補者は、栗原颯人(HAPPYEND)▽齋藤潤(カラオケ行こ!)▽中西希亜良(ぼくのお日さま)▽羽村仁成(ゴールド・ボーイ)▽早瀬憩(違国日記)▽山本奈衣瑠(SUPER HAPPY FOREVER)。2次投票で、越山が2位以下に大差を付け決定。 「ぼくのお日さま」© 2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS 説得力と真実味与えた 【講評】北国の小さな町を舞台に、フィギュアスケートに励む少女のさくらに淡い恋心を抱く小学6年生のタクヤ。思春期の入り口にたたずむ少年の初恋と、その心の痛みを伴うほろ苦い結末を味わう姿を、越山敬達は見事に演じている。誰にも言えない憧れや喜び、その秘めた感情への戸惑いや不安といった心の揺れ動きがみずみずしく伝わってくる。そんな越山の初々しい演技は、シンプルだが膨らみのある「ぼくのお日さま」の世界に説得力と真実味を加えて印象に強く残る。(村山匡一郎)
2025.2.03
第79回毎日映画コンクール各賞が決まった。俳優部門は今回から、男女の別を廃止した。「主演俳優賞」「助演俳優賞」とし、それぞれ2人までを受賞者とする。約70人の選考委員による投票の上位得票者が候補となり、2次投票で決定。 候補者は、池松壮亮(ぼくのお日さま)▽奥平大兼(Cloud クラウド)▽忍足亜希子(ぼくが生きてる、ふたつの世界)▽カルーセル麻紀(一月の声に歓びを刻め)▽佐藤二朗(あんのこと)▽藤竜也(大いなる不在)▽山田孝之(正体)▽吉岡里帆(正体)。 「ぼくのお日さま」© 2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS 新人2人を導く指針 【講評・池松壮亮】主演作「本心」も印象的だったが、「ぼくのお日さま」での池松壮亮は作品の核としてまばゆい輝きを放っていた。まずは形。ほとんど滑れない状態から半年間練習を積み、元フィギュアスケート選手のコーチとして、経験者である奥山大史監督の手持ちカメラの動きにもしっかり対応し努力の成果を見せた。そして何より、教え子役の越山敬達、中西希亜良に向ける慈愛に満ちた笑顔。新人2人を導き、大きな指針となって作品をより豊かにした功績は大きい。(鈴木元)
2025.2.01
第79回毎日映画コンクール各賞が決まった。俳優部門は今回から、男女の別を廃止した。「主演俳優賞」「助演俳優賞」とし、それぞれ2人までを受賞者とする。約70人の選考委員による投票の上位得票者が候補となり、2次投票を実施。 助演俳優賞候補者は、池松壮亮(ぼくのお日さま)▽奥平大兼(Cloud クラウド)▽忍足亜希子(ぼくが生きてる、ふたつの世界)▽カルーセル麻紀(一月の声に歓びを刻め)▽佐藤二朗(あんのこと)▽藤竜也(大いなる不在)▽山田孝之(正体)▽吉岡里帆(正体)。 「一月の声に歓びを刻め」© bouquet garni films 幻想的な映像に負けぬ眼光 【講評・カルーセル麻紀】えっ、カルーセル麻紀って、あの? けれども3章仕立ての三島有紀子作品「一月の声に歓びを刻め」で、雪と氷に囲まれた洞爺湖畔の一軒家に独り住む初老のマキを演じるカルーセル麻紀の慟哭(どうこく)の演技を見ていると、男とか女とかを超えたむき出しの悲哀が手渡しで伝わってきて、もう粛然としてくる。かつて次女を失い、性別適合手術を受けて母親として生きてきたマキ。幻想的な映像に負けないカルーセル麻紀の眼光の強さも驚異的。(北川れい子)