5年で日本を3000キロ縦断
東北の震災で家族を失ったジャーマンシェパード犬の多聞(たもん)は、離れ離れになった大切な人に会うため5年の歳月をかけて日本を3000キロ縦断する。その途中で出会った人々は多聞と過ごす時間のなかで心が癒やされ人生に希望を見いだしていく。人と人とをつなげながら旅する多聞はどこへ向かっているのか――。
「ラーゲリより愛を込めて」にもクロという犬が
瀬々敬久監督、林民夫脚本と言えば「ラーゲリより愛を込めて」が記憶に新しい。戦後10年、ラーゲリ(収容所)で強制的に働かされた日本人たち。この生活はいつまで続くのか、果たして祖国に帰れる日は来るのか……と希望を見いだせない日々のなか、思えば、あの映画もクロという犬が登場し、人々の心を癒やす存在であった。
どのような時代も人と犬は共に過ごし助け合って生きてきた。そして犬の純粋で真っすぐな性質は人間の心を照らしてくれ、失われたと思われた希望や力を取り戻させてくれる。
「少年と犬」はより人間と犬の深い絆に焦点を当てた作品だ。そして真っすぐに生きる多聞の姿を見ていると、私たち人間が大人になっていく過程でそぎ落とされていった〝純粋性〟が取り戻されていくような感覚になるのだ。

少年は誰なのか
この映画は多聞を主軸に多くの人間が登場する。特に物語のはじめから和正(高橋文哉)は多聞と深く関わることとなる。しかし私が疑問に思ったのは、この映画のタイトルは「少年と犬」であり、和正は少年ではなく青年なのだ。……それでは少年は誰なのか? 謎が解けぬまま、和正は多聞に導かれるように美羽(西野七瀬)と出会う。2人は事件に巻き込まれたり、美羽の過去が明らかになったり……話は終始ドラマチックに展開されていく。

そんなこんなで〝少年は誰なのか問題〟への関心が薄れ始めたころ、多聞はついにその少年を見つける。かつて多聞と過ごしていた少年は震災で心に傷を負い、言葉を発することができなくなっていた。彼らはお互いに駆け寄り抱き合い……私は思わず大粒の涙があふれた。少年と犬の〝芝居じゃない芝居〟はお互いに心から信頼し合っていることが画面いっぱいに伝わってきた。このシーンでのいとおしそうに目を細める多聞の顔を私はきっと忘れないと思う。
不思議な名前
ところで作中では触れられていなかったのだが〝多聞〟という聞き慣れない不思議な名前。私はこの名前の意味について興味を持った。瀬々監督のインタビューを読むと、「多聞は多聞天という神さまの名前から由来している」そうだ。更に調べてみると、多聞天はお釈迦さまの教えをよく聞いていたというところからこの名がついたそうだ。まさに映画に登場する多聞もよく人の話を聞く犬だ。関わる人たちの話を聞き、いつのまにか彼らの心を癒やしているのだ。

人生に光を
多聞は出会う人々の人生を受け入れることで人生に光をもたらす……そう言えば少年の名前は〝光〟であるという部分も偶然とは思えない。
少年と犬……光と多聞、それまでの和正や美羽の闇を抱えた人生が苦しいほどしっかりと描かれていたからこそ、ピュアなふたりの存在が引き立っていた。闇が暗いからこそ光が物語を包む。
「少年と犬」というタイトル、またふたりの名前からも作品に込められた祈りのようなメッセージを感じた。
利他に生きる
私は多聞の生き様を見て、利他に生きることの素晴らしさを思い出した。昔お世話になっていた人に「人を癒やすことは自分を癒やすことにつながる」と聞き、ひそやかに人生の指針としている。自分のためだけではない誰かのために生きることは自分にとっても救いになることがある。多聞はきっと幸せだった。なぜならこんなにたくさんの人たちの人生を闇から光のほうへ導いたのだから。私もまずは目の前の人の心を安心させるような人になりたい。傷ついている人がいたら、ただその人の声に耳を傾け続けよう。多聞の幸せそうな顔を思い浮かべながら……自分も優しい世界の一粒になれたならと思う。