いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、大野友嘉子、梅山富美子の3人に加え、各ジャンルの精鋭たちが不定期で寄稿します。
オンラインの森
今年ブレークが予想される、韓国の俳優を3人ピックアップ。出演作が世界で配信され話題となれば、国内外で時の人になるこの時代に、さらに人気となる可能性を秘めた俳優を紹介する。 「ワンダーランド:あなたに逢いたくて」より Netflixで独占配信中 パク・ボゴム 〝国民の彼氏〟として親しまれているパク・ボゴムの3年ぶりとなるドラマ「おつかれさま」が、3月7日からNetflixで配信される。〝国民の妹〟と呼ばれるIUと初共演の本作は、済州島を舞台に、逆境にめげないオ・エスン(IU)と、誠実なヤン・グァンシク(パク・ボゴム)の人生を描く。 「ミセン -未生-」「マイ・ディア・ミスター ~私のおじさん~」のキム・ウォンソクが監督、「サム、マイウェイ ~恋の一発逆転!~」「椿の花咲く頃」のイム・サンチュンが脚本を手掛けるということで、青春物語とヒューマンストーリーとしての期待値が高い本作。「雲が描いた月明り」「ボーイフレンド」などをヒットさせてきたパク・ボゴムはすでに人気がある俳優だが、純朴な青年グァンシク役で、その魅力を遺憾無く発揮しそうな予感。IUと共にさらに多くの人の心をわしづかみにすることになりそうだ。 「還魂:パート2」より Netflixで独占配信中 コ・ユンジョン コ・ユンジョンは、2019年の俳優デビュー以降、出演作にハズレなしで破竹の勢いを見せる注目の俳優。福士蒼汰、キム・ソンホと共演のロマンチックラブコメディー「この恋、通訳できますか?(仮題)」(Netflix・配信日未定)、人気ドラマ「賢い医師生活」のスピンオフ作品「いつかは賢くなる専攻医生活」(Netflix・配信日未定)という注目の2作が控えている。 「還魂:パート2」「もうすぐ死にます」「ムービング」などで知られるコ・ユンジョンは、透明感のなかに芯の強さを秘めた役が似合う。「いつかは賢くなる専攻医生活」で産婦人科医を目指すオ・イヨン役、「この恋、通訳できますか?(仮題)」では世界で活躍する俳優チャ・ムフィ役と、いずれも新たな顔を見ることができそう。また、韓国ドラマ初挑戦の福士とはどのような共演となるのか、演技の化学反応に期待せずにはいられない。 なお、「いつかは賢くなる専攻医生活」は、24年に配信予定だった。しかし、同年2月に韓国政府が医学部を増員すると発表。それに反対する専攻医(研修医)らの抗議運動の影響で放送・配信が延期されている。 「還魂」より Netflixで独占配信中 ファン・ミンヒョン ボーイズグループNU'EST、Wanna Oneのメンバーとして活動し、「還魂」シリーズのソ・ユル役で人気を博したファン・ミンヒョンが、新たなドラマ「スタディー・グループ」(日本配信未定)で主演を務める。 人気ウェブトゥーン(韓国のウェブ漫画)を原作にした「スタディー・グループ」は、誰よりも勉強への熱意はあるのに成績が悪いユン・ガミン(ファン・ミンヒョン)が主人公。ガミンは勉強ではなくケンカの才能があり、問題児ばかりの学校で思いがけずその才能を発揮してしまう。 ファン・ミンヒョンは、24年3月から25年12月まで兵役中のため、「スタディー・グループ」は兵役前に撮影されたものとなる。韓国では、動画配信サービスTVINGでの配信が1月からスタートしているが、日本での放送・配信は現時点では未定のまま。人気ウェブトゥーン原作、学園モノ、アクションと気になる要素ばかりで、いち視聴者として、視聴できることを心待ちにしている。
梅山富美子
2025.2.13
韓国の時代劇「オク氏夫人伝 -偽りの身分 真実の人生-」(全16話、U-NEXTで配信中)は、ここ最近の韓国時代劇のなかでも群を抜いた完成度だった(以下、本編の内容に触れています)。 ある事件をきっかけに運命が大きく変わっていくヒロイン 主人公は、身分の低い奴婢(ぬひ)として生まれたクドク(イム・ジヨン)。ある出来事をきっかけに身分の高い両班(ヤンバン)の娘オク・テヨンとして生きることになる物語で、彼女の波瀾(はらん)万丈な人生が力強く描かれていく。聡明(そうめい)なクドクは、やがて外知部(朝鮮時代の弁護士)となり立場の弱い人々を救っていく。しかし、快く思わない者や、過去を知る者の影が執拗(しつよう)につきまとう。 クドクの運命を大きく変えていく存在となるのは、クドクを苦しめ続ける身分の高い両班の娘ソヘ(ハ・ユルリ)、クドクに思いを寄せる両班の長男ソン・ソイン(チュ・ヨンウ)、ソインと瓜(うり)二つでテヨンに結婚を申し込むソン・ユンギョム(チュ・ヨンウ)、クドクと出会い友情を築く本物のオク・テヨン(ソン・ナウン)。彼らの人生が複雑に絡み合う。 奴婢として生まれたことで理不尽なことばかりだったクドクが、法の知識と正義で苦境の人々を救うストーリーは胸熱なのはもちろん、クドクを思い続けるソインのいちずな愛も本作の見どころ。両班の家を出て、芸人スンフィと名乗り全国を巡るソインは、普段はユーモアにあふれた自由な性格。しかし、クドクのためなら自らの一生をささげることを躊躇(ちゅうちょ)せず、深い愛で支え続ける。偽りの身だからこそ、2人のロマンスはとにかく切ない。 巧みな脚本と役者たちの演技で人気が右肩上がりに 物語をけん引したクドクを演じたのは、「ザ・グローリー~輝かしき復讐~」の悪役で一躍有名になったイム・ジヨン。強烈なインパクトを残した「ザ・グローリー」は、今後の俳優人生にかなり影響を与えそうな役だったが、「オク氏夫人伝」を新たな代表作にしてみせた。どんなことがあっても決して屈しない高潔なクドクの立ち居振る舞い全てが、イム・ジヨンの俳優としての底力を感じさせられた演技だった。 また、ソイン/スンフィ、ユンギョムと一人二役を担ったチュ・ヨンウは本作で本格的にブレーク。現在25歳のチュ・ヨンウは、2021年に俳優デビューし、わずか4年でドラマのメインキャストを張るまでになり、今作では一人二役も見事に演じ分けた。1月に配信されたばかりのNetflixシリーズ「トラウマコード」では、主人公に振り回される医師ヤン・ジェウォンを好演。同時期に別ジャンルの作品に出演し、どちらもヒットするということはなかなかないことで、一気に注目を浴びてスター街道を着実に歩み始めた彼の今後が楽しみだ。 本作は、奴婢だから、女性だからと不当な扱いを受ける痛みを知るクドクが、人に寄り添って不正を正す姿が胸を打つ。たとえ自分が憎い相手でも、時には感情を優先させず弁護することも。そんなクドクの半生を見てもなお、クドクのような生き方ができるのだろうか、苦しんでいる人々に手を差し伸べる勇気があるのか、社会的な立場や性別で人を判断してしまっていないだろうか、と胸に手を当てて考えてしまう。クドクのように正しさを貫いて生きることが、現代でも容易ではないと感じるからこそ彼女の生き様が深く響くのかもしれない。 邦題の通り〝偽りの身分〟だが〝真実の人生〟を歩むクドクの物語が、初回から怒濤(どとう)の展開を見せ、巧みな脚本と俳優たちの演技は視聴者の心をわしづかみに。韓国では視聴率が右肩上がりの人気ぶりで、ケーブル局のドラマでヒットの目安とされる10%を超え、最終回は13.6%を記録するほど多くの人を夢中にさせた。 「オク氏夫人伝」はU-NEXTで独占配信中。
2025.2.11
自問自答で恐縮ながら、筆者はウエディングコメディーが大好きだ(現実の結婚式は苦手)。結婚というハレの極みともいえるイベントを〝装置〟とすることで、普段は交わらない人たちが交錯し、新郎新婦やその関係者たちが曖昧にしていた本音や人間模様が際立たされる。 もっとも重要な鍵は、何よりも最優先される〝スケジュール〟の存在だ。この〝時間〟による縛りとコメディーというジャンルの相性が最高なのだ。結婚式前夜に消えた花ムコを、結婚式までに探さなければいけない悪友たちのドタバタを描く「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」が好例といっていいだろう。 Amazon プライムビデオで1月30日から配信されている「真心を込めて招待します」も、結婚式のスケジュールに振り回される二つの家族を描くコメディー作品だ。騒動の発端を、会場側で起きた〝ありえない悲劇〟によるダブルブッキングとするあたり、本作はとびきり「純度の高い」(「ベタな」とも言い換え可能)ウエディングコメディーである。 コメディー界のビッグネーム、ウィル・フェレルとリース・ウィザースプーンが共演 週末に1組しか予約できない結婚式場のある、小さな島。6月1日の結婚式のために、花嫁Aの父・ジム(ウィル・フェレル)が率いるグループと、花嫁Bの姉・マーゴ(リース・ウィザースプーン)が率いるグループが、ほぼ同時に船で到着する。両家に面識はなく、まもなくダブルブッキングが判明し、ジムとマーゴの戦いのゴングが鳴り響く。コメディー俳優として揺るぎない地位を築いているフェレルとウィザースプーンの丁々発止のやりとりは、拳法の達人同士の手合わせのように気持ちいい。 2人は話し合いの末、会場をシェアする契約を交わす。リハーサルディナーは場所を「外」と「室内」に振り分けて同時刻に行い、船着き場での挙式は前半と後半で時間制にし、その後の披露宴はリハーサルディナーと逆の場所で行う段取りだ。ホテルもシェア。 騒動が起きない方が難しい、コメディー(カオス)のお膳立てとして万全な脚本を手掛けたのは、監督も務めたニコラス・ストーラーだ。「寝取られ男のラブ♂バカンス」(08年)や「ネイバーズ」(14年)など、〝男子〟目線のコメディーを得意とする監督だったが、男性軸(ジム)と女性軸(マーゴ)をほぼ均等に描いた本作は、非常にフェアな作品に仕上がっている。リース・ウィザースプーンがプロデューサーを兼任したことがプラスに働いたと推測できる。 ジムは、愛する妻を亡くして以来、一人娘・ジェニー(ジェラルディン・ビスワナサン)をシングルファーザーとして溺愛してきた。娘が結婚することへの寂しさで理性を失うシングルファーザーの言動で、フェレルが笑いと混乱を生み出していく。 ロサンゼルスでリアリティーショーのプロデューサーを務めるマーゴは、幼い頃から母親のフローラと折り合いが悪く疎遠になっていた。アトランタ南部の裕福な白人一家を取り仕切るフローラには、人種差別的かつジェンダー論的にも前時代的な価値観が染み付いている。今回の花嫁である次女のネーヴ(メレディス・ハグナー)がストリッパーのディクソン(ジミー・タトゥロ)と結婚することも、もちろんフローラは祝福していない。マーゴは妹のために、この結婚式をなんとしてでも成功させなければならないのだ。 ジムから娘への愛と、マーゴから妹への愛。この二つの強い愛が本作をコメディーとして走らせる両輪となりつつ、ヒューマン作品としての2本柱にもなっている。 社会問題へのメッセージも忍ばせた優れたコメディー 優れたコメディー作品の多くは、社会問題に対するメッセージを笑いに包んで忍ばせる。その一例である本作では、結婚式のダブルブッキングにより社会階層の違う二つの集団が相まみえることが重要だった。裕福な高齢白人だらけのマーゴのグループが、若者が多く文化&人種的に多様なジムのグループと同じ時間を共有することにより、自己欺瞞(ぎまん)に気づき、変化していく様子が描かれる。 また、ジムの言葉選びを娘たちが糾弾するくだりもいい。ジムがマーゴを「that lady(あのご婦人)」と表現すると、ジェニーたちが「性差別的だ!」と激怒する。娘に嫌われたくないジムが絞り出した「that female person(あの女性)」というワードの堅苦しさで笑いをつくりつつ、劇中の人々も見ている我々も「名前で呼ぼうよ」という結論に鮮やかに導いていく。 ウエディングムービーに欠かせない歌やダンスのシーンはすべて、物語において必然性のある選曲とタイミングになっている。フェレルやウィザースプーンの美声をはじめ、セクシーな牧師役でカメオ出演したスーパースターの自己陶酔した歌唱場面も爆笑必至。ジム側はカジュアルでにぎやか、マーゴ側はリッチでクラシカルと、結婚式のスタイルや雰囲気の違いも楽しい本作は、1本で通常のウエディングコメディー2本分の満足感を味わえる。ウエディングコメディー好きは絶対に! 見逃し厳禁だ。 「真心を込めて招待します」はAmazonプライムビデオで独占配信中。
須永貴子
2025.2.10
2024年12月26日に配信が始まった「イカゲーム」シーズン2。22年のエミー賞で非英語圏作品として初めて主要部門6冠を記録し、世界中が待望したシーズン2だけに一気に話題沸騰。日本でも年末年始に見た方も多いことだろうし、全面的にポジティブな反響が多かった前シーズンと異なり賛否が分かれていることも話題になっている。 Netflix作品でも突出した視聴数 まずは、この作品をご存じない方に、どれだけの人気があるかをお伝えしたい。シーズン2配信開始から1カ月超となる1月29日時点で、Netflix週間TOP10は、日本で5週連続TOP10入り、グローバルTOP10(非英語シリーズ作品)5週連続1位、歴代シリーズ(非英語作品)2位を記録。 視聴時間は12億4450万時間、のべビュー数(総視聴時間を作品の時間である7時間10分で割ったもの)は1億7370万。ちなみにシーズン1は、配信91日後の集計で、Netflix歴代非英語シリーズで1位を現在もキープし(シーズン2はすでに2位)、総視聴時間は22億0520万時間、のべビュー数(視聴時間を8時間19分で割ったもの)2億6520万。 この結果は、Netflixの非英語作品として桁違いで、歴代非英語シリーズランキングの第3位「ペーパー・ハウス」シーズン2(パート4)の総視聴時間7億1020万時間と比べても明らかだ。 シーズン1のラストから始まるシーズン2。登場人物相関はもちろん、ストーリーを追ううえでも、シーズン1を視聴済みでないとシーズン2は楽しめない。そのうえシーズン2も、最終話まで見た人の多くは「え、ここで終わり!?」となる中途半端な終わり方をしている。 多くの連続シリーズが、前シーズンを見ていなくてもちょっとは分かるような(そして、新たな視聴につなげるための)工夫がされるものだし、前シーズンで獲得したファンを納得させる脚本をテンポよく見せるのがセオリー。これはどういうことなのか。作品クリエーターのファン・ドンヒョクと主人公ギフンを演じたイ・ジョンジェがシーズン2配信前に行った記者会見から読み解き、来るシーズン3への妄想予測をしてみたい。 会見でファン・ドンヒョクが語っていたのは、そもそもこの作品ができたきっかけから。「シーズン1は韓国の金融危機で自分が経験したことが着想元となっている。シーズン1が配信されたのはパンデミック中だったが、それから世の中がよくなっているかというとそうではない。経済格差は開くばかりだし、暗号通貨などハイリスクな投資への関心の高さから、労働を通じて裕福になろうという考えすら薄らいでいる。シーズン2はパンデミックを経て世界中で起きている問題が、ストーリーに影響を与えている。また、左派と右派の政治的分断に注目している。~中略~ 互いに敵対する世界に未来があるのか? そんな社会には生きたくないと思いながらシーズン2を作った。シーズン2では各ゲームラウンドの後に投票を行い続行の意思を問うが、それによって私たちには希望があるのかという問題に焦点を当てた」 「イカゲーム2」より 「2」ではゲーム以外の要素も描かれスピード感に賛否が シーズン2は前シーズンよりも展開が遅い。これがネガティブなリアクションでよく聞かれることだ。シーズン1では、1エピソードに一つのゲームが披露され、あっという間に参加者が激減。このスピード感と次に何が起きるかわからないスリルで一気にファンを増やした。 だが、シーズン2はゲームに入るまでに全7エピソード中二つを費やしているうえに、仮面をつけたピンクガードの裏話やファン刑事らによるゲーム開催地の捜索など、ゲーム以外の要素も描かれており、前と比べると展開が遅く感じるのも無理はない。 シーズン1では魅力的なキャラクターがほとんど死んでいるため、新たなエピソードには活用できない。シーズン2の主要キャラクターでシーズン1から続投したのは、ギフンと親友チョンベ(チョンベはシーズン1の序盤にちらっと登場)、ゲームのリクルーター、ゲームのフロントマンと、ほぼ新キャラ。フロントマンがゲーム参加者として潜入する描写も、シーズン1を見た人にとっては「またか」となるだろう。 じつはシーズン2と3はもともと1シーズン分のつもりで書かれた脚本であり、シーズン3で完結することが明らかになっている。「ドラマのシリーズを作るというよりは、長編映画を一本撮る感覚で作ったのがシーズン2と3」というファン・ドンヒョクは更にこう語った。 「シーズン1が完成するまで10年かかっているため、相対的に言えば、シーズン2と3の作業期間は短かった。シーズン1で世界観が完成していたからだ。セット、ワードローブ、ゲームのシステムなど、この世界観の構築が一番難しかった。また、なるべく早く、次のシーズンを提供できるよう全力を投じた」 「イカゲーム2」より 「3」はこうなる?! 答え合わせは6月に 長編の中盤、すなわちシーズン2のラストは、ゲームの賛否を問う◯・×の両派の対立乱闘をきっかけに、ギフンと彼に賛同する参加者たちがタッグを組むが、参加者に偽装していたフロントマンの裏切りで窮地に。 一方、特殊部隊とともにゲーム開催地を捜索しているファン刑事たちにも危険が迫っている。ここからギフン、そして外の世界にいるファン刑事はどうやってゲーム首謀者にたどり着くのか。また、顔を持つピンクガード(脱北者のカン・ノウル)と□階級ピンクガードのエピソードも全く進んでいないし、シーズン1で解明されなかったフロントマンとファン刑事の兄弟の確執もあいまいなままだ。 ファン・ドンヒョクは「ゲームのシステムを維持したいと望むVIP、資金源がいなくてもゲームは続いていることを知ったギフンは、これら全ての背後にいる首謀者を見つけて止めるためにゲームに戻った。これがシーズン2と3のはじまりだ。だが、伝えたいストーリーはそれではない」という。 「弱い側にいる私たちのほとんどが、世界をより良い場所にしようとする意志と強さを持っているのだろうか? すなわち、私たちは本当に欲望を手放し、より良い世界を共に創り出すことができるのかどうか。私が提起したかったのはこれであり、ゲームの背後に誰がいるのかについてはあまり重要ではない。支配下にある人々、つまり私たちの大多数は変化を起こそうと努力し、より良い未来を共に望むことは、常に普通の人々、そして私次第」 また、ギフン役のイ・ジョンジェも撮影エピソードでヒントを出している。「何百人もの人々と一緒に仕事をするのがとても大変だったが、ゲームのラウンドごとに脱落するキャラクターがおり、その度にそれを演じた俳優はクランクアップし、皆で集まってグループディナーをした。毎日、必然的にこれらの悲しい別れがあり、撮影日がたつにつれて、本当の意味での孤独を感じた」 これらから妄想すると、こうなるのではないだろうか。船で捜索を続けるファン刑事一行は、ゲーム側に買収されている船長の暗躍に気づき、一気に開催地に接近。一方、再び親友を失ったギフンはオ・ヨンイルに偽装していたフロントマンに激怒するも、ピンクガードに捕らえられる。だが、ゲーム以外での殺人は許されていないため、反乱を起こしたとはいえゲームに戻され、特殊部隊出身のヒョンジュらと合流し、作戦を再考。 その間、ゲーム開催地に潜入したファン刑事は、前シーズンのようにピンクガードへの接近を試み、臓器売買の証拠と引き換えにカン・ノウルを懐柔。ゲームが続行し、主要キャラクターが次々と減っていくなか、ギフンとファン刑事が合流し、命がけでフロントマンを含むゲーム側の正体を暴いていく。 少ない情報からの妄想なので、むしろこうならないでほしいし、ファン・ドンヒョクも「期待は確実に裏切る」と語る通り、予測不能のシーズン3を待ちたい。シーズン3は6月27日に世界同時配信される。 Netflixシリーズ「イカゲーム」シーズン1~2:独占配信中、シーズン3:2025年6月27日世界独占配信
よしひろまさみち
2025.2.04
「FBI」「ロー&オーダー」「シカゴ・ファイア」など、人気シリーズを多く手がけてきたディック・ウルフが製作総指揮を務めた最新サスペンスドラマ「オンコール」がAmazon プライムビデオで配信中だ。 新人と指導教官が捜査の中で関係性を築いていく 本作の中心となるのは、新人巡査アレックス・ディアス(ブランドン・ララクエンテ)と、彼の指導教官トレイシー・ハーモン(トローヤン・ベリサリオ)という二人の警察官だ。日々のパトロールや捜査の中で、彼らは単なるパートナー以上の絆を育んでいくのだが、もちろんそれも一筋縄ではいかない。本作は二人の価値観や正義感が時に共鳴し合い、時に衝突するなかで、互いが少しずつ影響し合い、変化していく様子を丹念に描いた人間ドラマとなっている。 ベテラン教官のハーモンは、深い傷と怒りを抱えている。かつての教え子が犯罪者に射殺されたこともあり、彼女は時として私情を捜査に持ち込んでしまう。担当外の事件の捜査中にさえ、教え子の事件との関連を探ろうとする姿勢は、警察官としては危うさをはらむかもしれないが、ハーモンを動かすのは単なる復讐(ふくしゅう)心ではない。捜査スタイルは型破りでも、彼女が一本芯のとおった正義・善の心を持った人物であることは常に描かれ続ける。警察としてなすべきことと、新たな教え子を失いたくないという切実な思いが交錯するパラドックスこそが、ハーモンという人物の魅力を形成しているのだ。 一方で、新人のディアスも独自の正義感を持ち合わせている。家族との複雑な関係を抱えているからこそ、彼は犯罪者をただの〝悪〟として切り捨てることをよしとしない。一人一人の人生に真摯(しんし)に向き合い、時には柔軟な解決策を模索する姿勢は、典型的な警察官像からは一線を画すといえる。ただし、その理想主義と新人ゆえの無謀な姿勢は時として危うさも伴う。そんな彼の未熟さや揺れる心を、ハーモンは時に厳しく、時に優しく受け止めていく。 物語は第1話から、この二人の興味深い関係性を鮮やかに描き出す。規則に縛られず時にグレーな手段も辞さないハーモンに、新人ディアスは不安を感じながらも深い尊敬の念を抱く。一方のハーモンは、単純に犯罪者を裁くのではなく、相手の人生に真摯に向き合おうとするディアスの姿勢に、驚きと共感を覚えていく。そしてシリーズの幕開けを飾るこの第1話は、ラストに添えられたシーズン全体の予告編で更なる期待をあおってくれる。そこに映し出される緊迫のシーンの数々は、これから展開される物語の強い吸引力を予感させ、一気に視聴せずにはいられない衝動に駆られるほどだ。 法と人情の間で揺れ動く 「オンコール」の最大の魅力は、その人間味あふれる警察官たちの姿だろう。主人公の二人は、それぞれの家族との複雑な関係を背負いながら、安易な〝犯罪者〟というレッテル貼りを避け、法を犯した人間にも一個人として真摯に向き合おうとする。これは決して犯罪を軽視するわけではない。むしろ、時として厳しい判断も辞さない彼らだからこそ、相手の人生に向き合うという選択に重みがある。この姿勢は、時として警察上層部が抱える理想像からは外れるかもしれないが、規則と人情の間で揺れ動きながらも、常に相手の更生や地域社会全体のことを考えて行動する二人の姿には、強い説得力と共感を覚えずにはいられない。 そして本作は、刑事ドラマでありながら、優れたバディー作品としての側面も持ち合わせている。互いの資質を認め合う二人は、時に信念の違いや感情の揺らぎから衝突し、信頼関係が揺らぐ場面もある。しかし、そうした危機を乗り越えるたびに絆を深めていく様子は、本作をより重層的な人間ドラマへと昇華させている。教官と新人という師弟関係でありながら、互いに影響を与え合い、高め合っていく二人の関係性は、見る者の心を強く打つ。 今作の物語構造は、巧みな2層構造で織り上げられている。一方では、家庭内暴力や免許証の期限切れ、ドラッグや売春絡みのトラブルなど、警察官が日常的に向き合う出来事と地域住民との触れ合いを丁寧に描く。そしてもう一方では、主人公二人それぞれの過去や家族の問題、そして時に私情が入り交じる捜査と規則との葛藤といった、より大きなドラマが数話にわたって展開される。 この二層構造の妙は、ただ並行して描かれるだけではない。一見独立しているように見える個々の事件や出来事が、やがて互いに絡み合い、より深いストーリーを紡ぎ出していく。時には何気なく交わされた会話が、後の展開で重要な意味を持つことさえある。各話30分という手ごろな尺の中で、こうしたミクロとマクロの視点を巧みに行き来する語りは、1話完結で楽しむことも、一気に視聴することも可能な柔軟さを生み出しているのだ。 本作の映像表現もまた、作品の臨場感を高める重要な要素だ。警察官たちが装着するボディーカメラ、意図的な揺れを取り入れた手持ちカメラ、時に街角の監視カメラなどの映像までもが、巧みに織り交ぜられていく。これらの多層的な映像アプローチは、単なる演出以上の効果を生み出した。緊迫したサスペンス展開において、まるで現場に立ち会っているかのような生々しい臨場感を醸成し、時には泥臭く人間味のある瞬間をも見事に切り取っている。 法と人情のはざまで揺れ動く警察官たちの姿を繊細に描き出す「オンコール」は、ベテラン教官と新人警官という普遍的な関係性に、新しい息吹を吹き込んだ意欲作として、強く心に残る作品だ。 「オンコール」はAmazonプライムビデオで独占配信中。
ヨダセア
「イカゲーム2」が世界中で旋風を巻き起こすなか、1月にネットフリックスで配信が始まったチュ・ジフン主演の医療ドラマ「トラウマコード」の評判も上々だ。現役医師による同名のウェブ小説をイ・ドユン監督がドラマ化。映画「コンフェッション 友の告白」(2014年)でもタッグを組んだ2人の絶妙なコンビネーションが感じ取れる。 「名ばかりセンター」に赴任した外科専門医 国境なき医師団の元メンバーとして紛争地域で活動していた外科専門医ペク・ガンヒョク(チュ・ジフン)は、名門病院・韓国大学病院の重症外傷センターに赴任する。激務のため、専門医のなり手がいない〝名ばかりセンター〟の再建に乗り出す。 チュ・ジフンの新たなハマり役と言っていいだろう。豪胆で傲慢。古い組織には不適格なキャラクターを支える確かな医療技術と、命を救いたいと願う熱いハートを持つガンヒョクは、ワイルドながらどこかエリートの香りがするチュ・ジフンの雰囲気に合っている。 ガンヒョクは「天才」医師と周囲から呼ばれるが、私は「実力派」と表現したい。このドラマの醍醐味(だいごみ)は、神の手を持つ医師が救命救急を一手に負うのではなく、過酷な地で医療に従事し、人一倍努力を重ねてきたガンヒョクが同僚たちを巻き込み、ノウハウを伝授して育てていく点だ。ガンヒョクは決して孤高の存在ではなく、熱意と志があれば目指せる医師像なのだというメッセージだろうか。 現場のシビアな事情が描かれている 筋書きは予定調和な展開だ。保守的な大学病院にガンヒョクという希有(けう)なキャラクターが彗星(すいせい)のごとく現れ、組織が良い方向に変わっていく。一方、現場の描写は一刻を争う緊迫感が漂う。人員不足による多忙、赤字経営、上層部からの圧力など重症外傷のシビアな事情が描かれており、思いのほか地に足の着いた医療ドラマという印象を受ける。原作者が医師なだけにリアリティーがうかがえる。 ガンヒョクの弟子となるヤン・ジェウォン役を演じるのはチュ・ヨンウ。「オク氏夫人伝 -偽りの身分 真実の人生-」で一躍有名になった俳優だ。医師一家のお坊ちゃまだが、ガンヒョクに魅せられて大学病院での出世を捨てる。看護師のチョン・ジャンミ(ハヨン)もガンヒョクに重症外傷センターに引き抜かれる。3人のチームを中心に、ガンヒョクを敵視する権威主義的な部長ハン・ユリム(ユン・ギョンホ)、企画調整室長ホン・ジェフン(キム・ウォネ)、病院長チェ・ジョウン(キム・ウィソン)らが大学病院の人間模様を織りなす。 過酷な救命救急、命の尊さ、権力闘争の要素が入った医療ドラマは、事によると重たくなりかねないが、本作はチュ・ジフンが軽やかな演技でコメディー仕立てになっている。キム・ヘスとダブル主演したドラマ「ハイエナ -弁護士たちの生存ゲーム―」の野心家弁護士ユン・ヒジェ役のように、彼の持ち味が際立つ。脇を固めるユン・ギョンホらベテランはもちろんのこと、ジェウォンの(育ちの良さ故の?)素直すぎる性格、正義感の強いジャンミを演じた若手の演技も見どころの一つだ。 欲を言えば、もっと女性の医師に登場してほしかった。院内の女性医師はマ・テリム麻酔科教授(ミニョン)だけで、登場回数も少ない。だけど経済協力開発機構(OECD)によると、韓国の女性医師の割合は25%(21年現在)で、OECD平均の50%を下回っている(ちなみに最低は日本の23%)。ここでもまた、医療の世界を知る原作者のリアリズムが表れているのかもしれない。 Netflixシリーズ「トラウマコード」は独占配信中。
大野友嘉子
2025.2.03
プロ野球を題材にした韓国ドラマ「ストーブリーグ」(2019年)が、日本でリメークされることが昨年(24年)に発表された。韓国では初回視聴率5.5%から最終回19.1%と右肩上がりで、「愛の不時着」を抑えて「第56回百想芸術大賞」でテレビ部門ドラマ作品賞を受賞した話題作。数ある韓国ドラマのなかで、日本でリメークされることになったのも納得の本作の魅力を紹介する。 赤字続きで4年連続最下位のプロ野球チームに招へいされた優勝請負人 プロ野球チーム「ドリームズ」は、4年連続リーグ最下位で、シーズン前にもかかわらず選手や球団も諦めムード。球団経営は赤字続きで、戦力になる選手を集めるための資金もなく、球団の親会社は廃部を画策していた。そんな崖っぷちなチームに、さまざまなスポーツチームを優勝させてきた優勝請負人のペク・スンス(ナムグン・ミン)が立ち上がる。 スンスは、ストーブリーグ(=野球のオフシーズン)に、ドリームズのゼネラルマネジャー(GM)に就任。しかし、野球未経験ということで、選手や球団運営陣からは素人だと相手にされず。さらに、GMとなっていきなり「4番打者をトレードする」と言い出すなど、大胆で強引に見える改革はチーム内外部からの批判が殺到。それでも、チームのあしき原因を明らかにし排除して、着実に強化していく驚くべき彼の手腕に、選手や監督、球団スタッフのイ・セヨン(パク・ウンビン)らは、スンスを認めざるを得なくなる。 プロ野球のオフシーズンを舞台にしているため、普通の野球ドラマなら一番盛り上がる試合のシーンがほとんどない本作。その代わり、いや、それ以上に、球団の裏側で懸命に奔走する人々の人間ドラマが激アツ。型破りな主人公が立ちはだかる球団内外の敵に打ち勝ち、どん底のチームを立て直していく展開は爽快感満載で、ベテラン選手から若手選手まで、野球に人生をかける人々の人間ドラマも胸に込み上げる。 ビジネスドラマの要素も強く、シーズンオフに行われる契約交渉、スカウト活動、選手間のトレード、冬季キャンプ、海外選手の視察、データ分析など、知られざるプロ野球の世界を垣間見たような感覚に。また、プロスポーツの暗部、薬物問題やドラフト会議での不正、賄賂疑惑、球団売却などの描写もリアルで印象的で、これらを決して見て見ぬふりをしないスンスが何よりもかっこいいのだ。 さらに、兵役逃れや障害者雇用といった社会的なテーマにも切り込んでおり、ただのドラマで終わらせないという製作陣のドラマ作りの本気を感じた。 相性ぴったりのナムグン・ミンとパク・ウンビン 本作はスポーツドラマだが、スンスが感情を表に出す熱血漢な主人公ではないのも特色の一つ。うちに秘めた優勝への情熱は見せず、次から次に訪れる「これはもうさすがに球団も終わりだろう」という危機的状況でも涼しい顔をして乗り越えてしまうのだ。彼を潰そうと周囲が躍起になっても、「次はどんな方法で打ち勝つのだろう」「どんなやり方で優勝チームを作るのだろう」と期待せずにはいられず、みるみるうちに常に冷静な彼の魅力に引き込まれていく。 スンス役のナムグン・ミンは冷静沈着なキャラクターがハマり役で、対照的に情熱的なセヨン役のパク・ウンビンとの相性がぴったりだったし、2人が共に目標に突き進むという関係性が築かれていき、思わずグッとくる瞬間が幾度もあった。一方で、敵役はとことん憎く、ゾンビ並みのしぶとさで視聴者をいら立たせたスカウトチーム長役のイ・ジュニョク(「還魂」)、決して友好的でない空気を醸し出し、一癖も二癖もある球団オーナーのおいを演じたオ・ジョンセ(「サイコだけど大丈夫」)の演技は作品を盛り上げ、確かな爪痕を残していた。 また、選手役で「Eye Love You」「偶然かな。」のチェ・ジョンヒョプ、運営チームの若手社員のハン・ジェヒ役で「SKYキャッスル 上流階級の妻たち」「悪霊狩猟団:カウンターズ」のチョ・ビョンギュと注目の若手俳優も出演。「Eye Love You」でチェ・ジョンヒョプを知った人にとって、「ストーブリーグ」での少し素朴さが残るさわやかな演技は、新鮮な印象を与えるかもしれない。 韓国でヒットした本作。NTTドコモ・スタジオ ライブと韓国のStudio Sによるリメーク版製作が決定している。個人的には「半沢直樹」のような逆境からの大逆転劇、映画「マネーボール」や「ROOKIES(ルーキーズ)」的な崖っぷちから最強のチームをつくり上げる胸熱な展開かつ、これまでに見たことのない野球ドラマとなることを期待して続報を待ちたい。 「ストーブリーグ」はU-NEXTほかで配信中。
2025.1.29
2023年の出生率が1.20と過去最低をマークした日本。厚生労働省の資料によると年間の出生数72万人に対して死亡数は157万人、総人口は推計で1億2435万人と前年より60万人近くダウンした。国立社会保障・人口問題研究所の試算では2054年には日本の総人口は1億人を割るという。 この事態に政府は「異次元の少子化対策」を掲げて子育て支援を促進しているが、現状ではなかなか歯止めが利いていない。物価の高騰や「103万の壁」に代表される年収の壁問題もあり、育児と仕事の両立が年々厳しくなっている。 主婦/主夫の概念も揺らぎつつある状況下で、1本の「育児映画」がリリースされた。レイチェル・ヨーダーが21年に発表した小説を原作に、育児疲れの主婦が自分を犬と思い込んでいく――というエッジーな物語が展開する「ナイトビッチ」だ(1月24日からディズニープラスにて配信中)。 24時間365日、ハードな生活を送る専業主婦 第91回アカデミー賞3部門ノミネート作「ある女流作家の罪と罰」の監督で知られ、Netflixシリーズ「クイーンズ・ギャンビット」ほか俳優としても活躍しているマリエル・ヘラーが「メッセージ」のエイミー・アダムスを主演に迎えた本作。 「ゼロ・ダーク・サーティ」や「her/世界でひとつの彼女」のアンナプルナ・ピクチャーズが製作、第97回アカデミー賞に「リアル・ペイン~心の旅~」「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」がノミネートされたサーチライト・ピクチャーズが本国配給を手掛けている。この並びを見ると賞レース常連メンバーが集った手堅い作品に思えるかもしれないが、「ナイトビッチ」の中身は実に強烈で生々しく、切実な悲鳴がこれでもかと詰め込まれている。 アーティストの夢をあきらめ、専業主婦として2歳の息子を育てる母(エイミー・アダムス)。夫(スクート・マクネイリー)は仕事でほぼ家を空けがちで、たまに帰ってきても戦力として期待できず、24時間365日ワンオペ状態。ハードな生活で体に毛が生え始めたり感覚が鋭敏になったりといった身体的変化を経験し、母は「自分が犬に変化しているのではないか?」と確信を強めていく――。 専業主婦、ワンオペ育児の〝あるある〟をどぎつく表現 主人公に役名がない点からも察せられる通り、本作は個人でなく〝専業主婦〟そのものを描き出そうとした物語。全編を通して〝あるある〟の宝庫となっている。冒頭、スーパーで出会った職場の後輩に「家にいられる気分はどう?」と無知で無邪気な言葉を投げつけられた母は「実際は真夜中に泣きたくなる」「刑務所に閉じ込められている気がする」「賢く幸せで元の体には二度と戻れないと内心すごく怖い」と脳内で吐露するが、口から出てくる言葉は「母親ってすてきよ」だけ。 夫が家を空けている間は風呂も満足に入れず、睡眠も取れず、子どもと親たちが集まる読み聞かせの会の雰囲気にはなかなかなじめない(短いシーンを小刻みにつなぎ、子どもと2人きりの閉鎖的な毎日をビビッドに表現した演出が鮮烈!)。やっと帰宅した夫はドアを乱暴に閉め、育児や家事の最中にしょっちゅうサポートを求めるなど配慮も何もない。 「自分は外で仕事を頑張っている」「育児は妻のやるもの」という意識があるからか、「今日は僕がベビーシッター役だ」といった不用意な発言で傷つけてしまう始末。気を取り直して久しぶりに外出して同窓会に参加するが、アーティストとして生きる同級生たちに気後れし、ナニーを活用して育児も仕事もセルフケアも完ぺきにこなす友人と話せば話すほどに落ち込み、自尊心はズタズタになってしまう。心身が追いつめられた母は自身の〝犬化〟を信じ込むことでぎりぎりバランスを保とうとするが、次第に行動はエスカレートしていき……。 主演のエイミー・アダムスはプロデュースも兼任しており、自分の生活を全て犠牲にした結果髪は傷み、体は太ってしまった専業主婦のリアルを熱演。犬化して肉を乱暴に頰張ったりさらに顔を突っ込んで平らげたり、泥まみれになって暴れ回ったり荒々しいベッドシーンを見せたりと、人によっては不快感をもよおすかもしれない生々しいシーンの数々に果敢に挑戦している。 ただ、こうしたある意味どぎつい描写には「ここまでやらないとワンオペ育児の真実を表現できない」という固い意志が感じられ、当事者においては救済ともなるのではないか。労働時間24時間の育児はブラック企業よりもブラックとはよく言ったもので、パートナーという一番身近な存在、あるいは生活圏内の住人・地域の共助がなければあっという間に疲弊し、孤立し、壊れてしまう。日本でも母親の約3割が産後うつの症状に陥っているといわれており、大きな課題として残されたままだ。 夫婦と育児、家族のあり方に向き合う一作 劇中、二つの重要な場面がある。ひとつは、母たちの連帯。自分が狂ってしまったのではないかという不安を抱えた主人公は、最初は苦手意識を持っていたママ友たちに吐露する。そうすると大なり小なり同じ悩み・痛み・苦しみを抱えていたことが判明する。 また、図書館の司書を務める老女は〝子育ての先輩〟として主人公の精神的支柱となる。さらには、幼少期にはわからなかった自身の母の異常な行動が腑(ふ)に落ちるといった展開も用意され、クライマックスの展開も含めて不条理の中でもがく母たちに寄り添う内容になっている。 そしてもう一つは、夫婦の描き方。「家族サービス」が死語になりつつあるように、育児は両親で協力し合って行うものという意識がいまでこそ一般的になりつつあるが、実際はまだまだ過渡期であろう。 劇中でも夫婦の口論の中で「私の仕事は無休で無償。感謝もされない」と訴える妻に対し、「君は僕が結婚した女性とは違う。自分だって失望している。僕の妻に何があった?」と怒りをぶつける夫。妻は目に涙をためながら静かに「出産時に死んだわ」と返す。この言葉はあまりにも重い。 一見すればぶっ飛んだ設定に思える「ナイトビッチ」だが、この夫婦のやり取りしかり、さまざまな家庭で生じている/生じてきたであろう不均衡と不平等、機能不全を恐るべき解像度で現出させている。 「ナイトビッチ」は、シャーリーズ・セロンが18キロ増量して育児に奮闘する母の疲労を演じ切った「タリーと私の秘密の時間」、母性信仰という〝呪い〟を破壊する「ロスト・ドーター」、パートナーの最良の協力体制を提示する「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」、あるいは男性出産をテーマにしたNetflixシリーズ「ヒヤマケンタロウの妊娠」といった作品群の系譜に連なる1本。強烈な寓話(ぐうわ)という形式で、育児問題に真摯(しんし)に向き合っている。 「ナイトビッチ」はディズニープラスのスターで独占配信中。
SYO
2025.1.28
アクション作品に飢えているところだった。筆者はずっと前から「ミッション:インポッシブル」シリーズや「007」シリーズの大ファン。前者は今年5月の劇場公開が予告されているが、待ちきれない……と思っていたら、新年早々、欧米発のアクション映画の新作配信が続々スタートした。 その2作は本稿の執筆時点で、Netflix「今日の映画TOP10」(日本)の1、2位にランクイン。きっと私と同じく、日本の視聴者もアクション作品を渇望していたに違いない(!?)。さっそくアメリカ発の「バック・イン・アクション」と、フランス・ベルギー合作の「アドヴィタム」を、家で〝一気見〟した。その中身は果たして? キャメロン・ディアスが〝無双〟する「バック・イン・アクション」 まずは米国「バック・イン・アクション」。名優、キャメロン・ディアスの約10年ぶりの俳優復帰作として、1月13日から19日までの視聴回数が4680万回を超える、話題沸騰中の作品だ。現在40代の筆者にとっては、かつての映画での名演はもちろん、英会話学校の「イーオンで始めなキャメロン」のテレビCMが印象深い。 今作のあらすじは。さかのぼること15年前、CIA(米中央情報局)諜報(ちょうほう)員のマット(ジェイミー・フォックス)とエミリー(キャメロン・ディアス)は、男女の仲になり、エミリーは妊娠する。2人は任務のため乗った飛行機で敵と遭遇。派手な墜落事故から一命をとりとめ、こんな仕事はもうこりごり、子供たちのために穏やかに生きようと、過去を隠して(パスポートなどの書面を偽造して)、長女、長男と一軒家で静かに暮らしていた。 引退から15年後。家が突然、敵の銃撃に遭う。過去の任務を巡る因縁があるようなのだが、マットとエミリーは襲い来る敵の一団を撃退する。2人とも、その銃さばきも格闘中の身のこなしも「かたぎ」の人ではないが、子供たちはあぜんとしつつ、親たちの真実に気付かぬまま。 一家は車で逃げる途中、ガソリンスタンドでも刺客に襲われるが、マットは給油のノズルを即席の火炎放射器にして、まとめて敵を倒す。両親は車中で、仕方なく子供たちに正体を明かす。家族の危機はまだまだ続くが、運命は……。 序盤から終盤まで、アクションシーンは盛りだくさん。時に家族どうしのいさかいがコメディーチックに展開し、ほのぼのとしていたら、また決死の場面に逆戻り……という繰り返しの1時間54分だ。終始、キャメロン・ディアス演じるエミリーが桁外れの「無双」ぶりを見せるが、CIA諜報員の経験があれば、強いのに理由なんていらないのだ、と自分を納得させた。 また、一家はアメリカを飛行機で離れ、途中から舞台はイギリスのロンドンに。ロンドンの美術館「テート・モダン」やテムズ川も映し出されるほか、イギリスの諜報機関「MI6」も登場する(「MI6」と言えば「007」シリーズ!)。世界をまたにかけて暴れ回り、住宅街や観光地をハチャメチャに荒らしていくスゴ腕の諜報員が、映画の世界にまた現れたと、何だかうれしくなった。 © 2024 Netflix, Inc. 終盤は「ミッション:インポッシブル」級の派手な展開を見せる「アドヴィタム」 続いて「アドヴィタム」(作中で「アドヴィタム」は「命ある限り」と訳されている)。こちらは「バック・イン・アクション」とうってかわって、終始シリアスな展開である。主人公のフランク(ギョーム・カネ)は、かつてフランスの国家憲兵隊治安介入部隊「GIGN」の隊員だった。 今は組織を離れ、妊娠中の妻と暮らしていたが、ある日に自宅で突如襲撃され、それぞれがとらわれの身になる。舞台は過去にさかのぼり、フランクは母国の機密につながる、ある「証拠」を隠し持っていることが明らかになる。フランクたちが襲われたのは、それが理由らしいが……。フランクと妻、おなかに宿る子の命は、果たしてどうなるのか。 作品は1時間38分で、前半は比較的穏やかな、時として悲劇的な展開に。お待ちかね(?)のアクションシーンは、後半に凝縮されている。終盤ではフランクによる、「ミッション:インポッシブル」のイーサン・ハント(トム・クルーズ)級の派手な行動も。フランクと敵の攻防戦で、パリの街は荒れに荒れるのだが、こちらは被害が国内で収まるのが「バック・イン・アクション」との違いといえば違いだ。 「続編」の構想あり、を確信した「バック・イン・アクション」 当然だが、同じ「アクション映画」でも、その展開はさまざまである。作品の傾向を言い表すならば「バック・イン・アクション」は「ハラハラ、時にクスッと笑える」作品。「アドヴィタム」は「しみじみ(終盤はハラハラ)」といった感じだろうか。2作には共通点も多い。それぞれ、パートナーや子供を思う家族の絆が、物語の核になっている。 さらに、主人公たちが秘密の「○○」を隠し持っていて、それが原因で敵に目を付けられるという点も一緒。どちらの(どちらも?)作品が気になるか、好みに合わせて視聴してみてほしい。 最後に「バック・イン・アクション」の話を。ネタバレになるので詳しくは避けるが、物語の終盤に、誰がどう見ても「続編の構想がある」と確信の持てるシーンが登場する。だとしたらジェイミーとキャメロンが演じる夫婦は次に、どこの国で暴れ回るのか。まさか日本……? 次なる「任務」の遂行が待ち遠しい、私の家の近所でなければ。 「アドヴィタム」「バック・イン・アクション」はNetflixで独占配信中。
屋代尚則
2025.1.27
「ウォレスとグルミット」とはイギリスのアードマン・スタジオ製作の、クレーアニメーションのシリーズだ。監督のニック・パークがNational Film and Television School (NFTS)の卒業製作として原形を作り、6年をかけて短編の「ウォレスとグルミット チーズ・ホリデー」(1989年)が第一作として誕生した。以降、このシリーズは数え切れないほどの賞を受賞し、世界中で人気を集めている。 イギリスを代表するクレーアニメーション、19年ぶり2本目の長編映画 Netflixで1月3日より独占配信されている「ウォレスとグルミット 仕返しなんてコワくない!」は、米アカデミー賞で長編アニメ映画賞を受賞した、シリーズ初の長編映画「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」(2005年)以来となる長編作品だ。シリーズにおいて初めての、配信オンリーの作品となる。 シリーズの主人公は50代のイギリス人男性ウォレスと、一緒に暮らす相棒のグルミット(犬)。自称発明家のウォレスは、生活を便利にする珍ガジェットをこれまでにいくつも発明し、それらが物語上で起きる騒動を大きくしたり解決したりする脚本がすばらしくよくできている。また、グルミットは人間の言葉はもちろん、犬の鳴き声も発さない。表情と動きだけで思考や感情を表現するキャラクターだからこそ、世界中の老若男女を魅了することができたのだろう。 © 2024 Netflix, Inc. あの泥棒ペンギンが極悪さを増して帰ってきた! ウォレスの今回の発明は、高性能お手伝いロボット「ノーボット」こと「スマート・ノーム(賢い小人)」だ。口頭で命令するだけで、ガーデニングもお掃除もなんでもこなす。ところが何者かにシステムをハッキングされたノーボットが、「エビル・ノーム(悪い小人)」となって暴走し……。 ノーボットを支配下に置いたのはなんと、シリーズ第2作「ウォレスとグルミット ペンギンに気をつけろ!」(93年)に登場した泥棒ペンギン、フェザー・マッグロウ! 同作でウォレスの家の下宿人となったペンギンは、ウォレスが発明したガジェットを悪用して博物館に所蔵されているブルーダイヤモンドを盗み出すことに成功した。ところがウォレスとグルミットの活躍で警察に突き出され、動物園に収容されてしまったのだ。 本作は、動物園にいるフェザー・マッグロウが大量に増やしたノーボットたちを遠隔操作して、ウォレスとグルミットに復讐(ふくしゅう)を仕掛けるというシナリオだ。29分の前作に比べると、82分の本作では全編を通して魅力的な悪役であるフェザー・マッグロウを存分に堪能できる。 つぶらを通り越して虚無な黒目、ポーカーフェースだがピンチになるとタラリと滴る大粒の汗、アザラシの赤ちゃんを膝の上でなでている謎の極上ショットなど、フェザー・マッグロウのファンにはたまらないシーンの連続だ。そして、彼の手足となり忠実に命令を実行するエビル・ノームたちが絶妙に恐ろしい。ボスと同じ真っ黒い瞳の彼らを見ていると、この世でもっとも強い存在は、意思と恐怖心を持たない軍隊だと痛感する。 シリーズのお約束を更新していく 趣向をこらしたチェイスシーンがこのシリーズのお約束。前作のチェイスシーンはウォレスの家で、おもちゃの汽車の上だった(名シーン!)。それが本作では、あんな乗り物やこんな乗り物、そしてラストには本物の汽車があんなふうに使われて! コマ撮りのストップモーション・アニメーションであることをつい忘れてしまいそうになるリッチな仕上がりだ。 爆破シーンなどに使われているCG(コンピューターグラフィックス)には賛否がありそうだが、大迫力のクライマックスになっていることは間違いない。また、主観ショットでは猛スピードで走っているつもりが、客観ショットに切り替わると時速6キロのノロノロチェイスだった……というユーモアも嫌いじゃない。 そしてこれまたシリーズのお約束、ウォレスとグルミットの絆も描く。ウォレスは序盤でノーボットに夢中になってしまい、グルミットへの接し方が雑になる。嫉妬したグルミットが見せるすねた表情と、イジケた行動がたまらない。 そして困難をともに乗り越えて、グルミットがいかに自分にとって大切な存在であるかをウォレスが確認してフィナーレ。前作でもペンギンにあっさり籠絡(ろうらく)されていたウォレスは、いったい何回このパターンを繰り返すのか? もしかして2人のプレーを見せられている……? もちろんこちらは何度でも大歓迎。短編でいいので、フェザー・マッグロウの再々登板にも期待! Netflix映画「ウォレスとグルミット 仕返しなんてコワくない!」は独占配信中。
2025.1.20
韓国ドラマで昨年、存在感を示した俳優たちを振り返りたい。もちろん、昨年活躍した俳優たちが数多くいるのは重々承知のうえで、ここでは4人の俳優を取り上げる。 「ソンジェ 背負って走れ」より © CJ ENM Studios Co., Ltd. U-NEXTで配信中 「ソンジェ背負って走れ」ピョン・ウソク&キム・へユン 4月から5月にかけて韓国で放送され、日本ではU-NEXTで配信されている本作は、今年最も話題となったドラマの一つ。事故で下半身付随となったソル(キム・へユン)が、人生を救ってくれた人気バンドのボーカル、ソンジェ(ピョン・ウソク)の死を防ごうと奔走する姿を描く。見どころは、ソンジェを助けるためのソルのタイムリープの物語と、2人のもどかしい恋の行方が交差して進むところ。 クールな見た目とは違って恋には不器用なソンジェと、明るく天真爛漫(らんまん)だが待ち受ける未来に複雑な気持ちを抱えるソル。運命的な2人の甘酸っぱい恋模様は瞬く間に話題になり、今年を代表する青春ラブストーリーとなった。ブレークの証拠にピョン・ウソクは、韓国で多数のCM出演を果たし、有名企業のアンバサダーを務めることに。筆者も9月に韓国を訪れた際には街でピョン・ウソクが起用された広告を見かけ、人気者の仲間入りを果たしたのだと実感した。 ピョン・ウソクは、ブレーク直前の2023年には「力の強い女ト・ボンスン」(17年)のスピンオフ作品「力の強い女 カン・ナムスン」(Netflixで配信中)で悪役に挑戦。怪力な主人公カン・ナムスン(イ・ユミ)に興味を持つ、流通販売会社の代表リュ・シオ役を務めた。ソンジェの爽やかさとは違い、黒いスーツ姿が怪しくも魅力的。ナムスンを利用するつもりが、彼女にひかれてしまう役柄で、ただ記号的な悪者ではなくさまざまな感情を内包するキャラクターを見事に演じた。 また、「ソンジェ背負って走れ」でソル役を担ったキム・へユンは、まっすぐな役がよく似合う。端役やメインキャストではないポジションでキャリアをスタートさせたが、実力で今の地位を切り開いてきた彼女だからこそ「偶然見つけたハル」(19年) で演じたウン・ダノも説得力があった。 「偶然見つけたハル」で演じたのは、自身がマンガに登場するキャラクターであることを知るウン・ダノ。脇役でしかも命を落とすキャラであることが発覚し、エキストラの13番(ハル/ロウン)とともにシナリオと違う行動に打って出る。運命に逆らおうとするダノの姿は勇敢で、自我が芽生えていくハルと恋に落ちていく様子はときめきが止まらず。マンガの結末、そして2人の恋の結末は最後まで読めなかった。 「私の夫と結婚して」より © Studio Dragon by CJ ENM Amazon Prime Videoで配信中 「私の夫と結婚して」ナ・イヌ 夫とその浮気相手に殺されるも、突如10年前に戻ったため人生をやり直そうとする主人公を描く「私の夫と結婚して」(Amazon Prime Videoで配信中)は、ドロドロしているのになぜか笑える復讐(ふくしゅう)劇として今年スマッシュヒット。ナ・イヌは、主人公カン・ジウォン(パク・ミニョン)を支えるユ・ジヒョク部長役が大ハマり。 ジヒョクは、ジウォンのことが大切だからこそ、復讐を誓う彼女をやさしく見守り、行動全てが忠犬のよう。その姿が多くの視聴者をとりこにした。クズ夫と誠実なジヒョクとの振り幅が大きいからこそ笑えるシーンも多く、ほかの強烈な登場人物にまったく引けを取らなかった。 忠犬(?)役でも一味違うのは、新感覚の時代劇「哲仁王后〜俺がクイーン!?」(20年)で演じたキム・ビョンイン。主人公のソヨン(シン・ヘソン)にひそかに思いを寄せるビョンインだが、彼女は王・哲宗(キム・ジョンヒョン)の后(きさき)となってしまう。しかも、ソヨンの体には、女たらしで自信家のシェフ、チャン・ボンファン(チェ・ジニョク)が入り込んでいた。 好きだった相手の変化に戸惑いを隠せず、ビョンインの純粋な愛は狂気となり暴走してしまう。誰よりも愛しているソヨンの中身が実はボンファンというのは、前半は笑いを誘うシーンが多かったが、後半は切なく悲哀があった。 「ドクタースランプ」より Netflixで独占配信中 「ドクタースランプ」パク・シネ 人生の挫折を味わった2人の医師が、自分らしく生きようともがき、支え合ううちにお互いがかけがえのない存在だと気づく姿を描く本作は、「相続者たち」(13年)以来、約10年ぶりにパク・ヒョンシクとパク・シネが共演した。 職場で理不尽なことばかりでうつ病と診断されたハヌルをパク・シネ、若くして成功するも汚名を着せられたジョンウをパク・ヒョンシクが演じた。立ち直れないほどのできごとが起こってから始まる彼らの物語は、苦しくも希望を見いだそうとする2人の演技だからこそ大きく心を揺さぶった。人は簡単には変わることはできないけれど、ハヌルやジョンウの姿を見ていると、癒やされて前に進もうと思わせる力があった。パク・シネの演技はもちろん、シリアスなテーマながらコメディーパートもパク・ヒョンシクの実力が遺憾無く発揮されていた。 パク・シネは、9月から11月に韓国で放送された主演ドラマ「悪魔なカノジョは裁判官」(全14話、ディズニープラスで配信中)では、エリート裁判官に乗り移った〝悪魔〟のカン・ビンナ役を務めた。あるミスを犯した悪魔のユースティティアは、ビンナに憑依(ひょうい)して、人間界で10人の罪人を見つけて地獄に送らなければならなくなる。しかし、熱血刑事ハン・ダオン(キム・ジェヨン)のことが気になり始め、思いもよらない展開となっていく。すがすがしいほど冷徹で高飛車な態度がクセになるビンナをパク・シネが好演。最高視聴率16.1%を記録するヒットとなった。 パク・シネといえば、10代の頃から活躍し、「美男<イケメン>ですね」「ピノキオ」「ドクターズ〜恋する気持ち〜」など数多くの作品に出演し、34歳ながら20年以上のキャリアがあるベテランだ。それでも、1年の間に主演作が2作品放送(さらに世界配信)されることは、人気や知名度だけでは成し遂げられることではないだろう。演技に脂が乗った34歳の今、最高の演技を見せてくれたが、パク・シネのこれからにもっと期待したくなった。
2025.1.16
1936年、大恐慌後のピッツバーグ。一軒の家にたたずむ一台のピアノが、アメリカの深い傷痕と向き合う人々の心を映し出す。2024年11月22日(金)からNetflixにて世界独占配信されている映画「ピアノ・レッスン」は、単なる家族の物語を超えて、アメリカの人種問題と歴史の重みを、静かに、しかし力強く描き出す傑作だ。 デンゼル・ワシントン一家が作り上げた「継承」のドラマ 物語の中心となるのは、ドーカー・チャールズ(サミュエル・L・ジャクソン)らの家に代々受け継がれてきたピアノ。そのピアノには、奴隷制時代を生きた先祖の手によって精緻な模様が彫り込まれている。それは単なる装飾ではなく、一族の歴史そのものを語る証しとなっている。この「語り部」としてのピアノを巡り、姉のバーニース(ダニエル・デッドワイラー)と弟のボーイ・ウィリー(ジョン・デビッド・ワシントン)の価値観が激しくぶつかり合う。 本作の真骨頂は、実力派キャストたちが繰り広げる濃密な会話劇にある。薄暗い室内を主な舞台として、テンポよく展開される対話は、それぞれの登場人物が抱える葛藤を鮮やかに描き出す。特に、ピアノを売却するか否かを巡る姉弟の激しい対立・口論は、単なる物品の処遇を超えた深い意味を帯びている。 バーニースにとってピアノは、消し去ることのできない過去とのつながりであり、家族の記憶そのものだ。一方のボーイ・ウィリーは、その価値を金銭に換えることで、新たな人生を切り開こうとする。どちらも先祖への敬意を失っているわけではない。ただ、その継承の形が異なるだけなのだ。 演技陣の力量も特筆に値する。サミュエル・L・ジャクソンは、ドーカー役で重厚な存在感を示し、物語全体を支える柱となっている。「セキュリティ・チェック」でもNetflixオリジナル作品と縁のあるダニエル・デッドワイラーが描き上げたバーニース像は、過去への執着と未来への不安が交錯する複雑な心情を繊細に表現。 そして、ジョン・デビッド・ワシントンのボーイ・ウィリー役は、これまでの「TENET テネット」や「ザ・クリエイター/創造者」で見せてきた抑制の利いた演技とは一線を画す。普段の淡々とした口調から一転、高めの声色で感情を爆発させ、時にヒステリックに言葉を投げつける姿は、彼の新境地と呼ぶにふさわしい。その激しい感情表現は、先祖から受け継いだピアノへの複雑な思いと、それを金に換えることで人生を切り開こうとする切実な願いを説得力たっぷりに体現している。 本作は、デンゼル・ワシントン一家が総力を挙げて製作に関わった作品でもある。ボーイ・ウィリーを演じた息子ジョン・デビッドだけでなく、もうひとりの息子マルコム・ワシントンが監督を務め、デンゼル自身と娘のカティアがプロデューサーとして参加。さらに、デンゼルの妻ポーレッタと娘オリビアも出演している。この家族的な製作体制が、作品のテーマである「継承」に深い説得力を与えているように思える。 音楽の使われ方が印象に残る 印象的なのは、劇中で描かれる音楽のシーン。特に、登場人物たちが床を踏み鳴らしながら歌を歌うシーンは圧巻だ。それは単なるパフォーマンスではなく、抑圧された歴史の中で培われてきた魂の奔流のように感じられ、黒人たちの絆、そして世代を超えて受け継がれてきた文化の力強さを象徴するかのようだった。 「ピアノ・レッスン」は、アメリカの人種問題、奴隷制の歴史という重いテーマを扱いながらも、決して説教臭くならない。それは、個々の人物の生き方や価値観を丁寧に描き出すことで、観客に考えるきっかけを与えているからだ。過去を背負いながら未来を見つめる――その普遍的なテーマは、黒人たちのみならず、現代の私たちの心にも強く響いてくる。 重厚な会話劇作品でありながら、その展開は常に生き生きとしている。演技と撮影の工夫によって限られた空間の中で繰り広げる濃密な人間ドラマは、まさに映画という芸術の神髄を見せつける。Netflixの配信作品として、より多くの観客が今作に触れられることは、とても意義深いことだと言えるだろう。 Netflix映画「ピアノ・レッスン」は独占配信中。
2025.1.13
さかのぼること30年。1994年の5月、ブラジルの天才自動車レースドライバー、アイルトン・セナが、イタリアでのレース中に事故死した。当時、日本でも大々的に報じられたので、ファンでなくとも記憶に残っているのではなかろうか。Netflix配信中の「セナ」は、その一生を描いた評伝ドラマシリーズ(全6話)である。筆者は88、89年の鈴鹿GPで、絶頂期のセナを目撃した。自動車レースが注目される昨今、筆者が撮影したお宝写真と共に、もう一度この巨星の姿を見つめ直してみよう。 ブラジルでは「偉人」を超えて「聖人」 アイルトン・セナ(1960年3月21日、ブラジル・サンパウロ生まれ)は94年5月1日、F1グランプリ第3戦サンマリノGP(イタリア・イモラサーキット)の決勝レース7週目にコースアウトしてコンクリート壁に激突、34年の生涯を閉じた。彼がレーサー時代に打ち立てた記録は、3度の世界チャンピオン獲得をはじめここに書き切れないほどだが、ありきたりな物言いなれど、明らかに「記録より記憶に残る」人物であった。ブラジルでは「偉人」を超えて「聖人」とまでたたえられる。日本でもホンダエンジンを使用して勝ちまくったこともあって、大ファン数知れず。「セナ」という読みの名前を付けられた子供がどれだけいることか。全国の「セナ君」「セナちゃん」は、出自を知るためにも全員必見である。 Netflixは、結構「クルマ」ものコンテンツを大切にしていると見えて、24年末時点で、ドキュメンタリー「FORMULA 1 栄光のグランプリ」「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」「シューマッハ」を配信中だ。この中の「アイルトン・セナ」は、セナ生誕50年の10年に慈善団体「セナ財団」公認の下、イギリスで作られたドキュメンタリーで、実写を編集した作品である。 本稿で紹介する「セナ」の方は、実写は必要最小限にとどめ、基本的に全編役者が演じ、新しく撮影したドラマである。こちらも「セナ財団」の公認。つまり「セナの公式伝記映像」はドキュメンタリーとドラマの2作品が存在するわけだ。この2作が同時に見られるとは、ファンの至上の喜びである。 「セナ」© 2023 Netflix, Inc. 「似てない」批判封印 好演光る俳優陣 さて、ドラマ「セナ」は、いくつもの見どころが存在するが、まず、まったくセナを知らない人、レースに興味のない人にも楽しめる、魅力ある人間ドラマに仕上げられている。実写映像を積み重ねたドキュメンタリーより分かりやすく、長丁場を楽しむためには重要なポイントであろう。 そして、俳優陣の演技が見事である。第一に、セナ役のガブリエウ・レオーニ。セナはスーパースターゆえ本人映像が山のように存在する。つまり「似ていない」と言われやすい。演じる苦労は、並大抵ではない。40年後に「大谷翔平物語」を誰がやれるか考えてみればいい。レオーニは、カリスマ性、宗教的キャラクター、激情的であり内省的であるという二面性など、セナの個性を、集中し落ち着いて演じている。 死に直面した生き様を活写 レーサーは、大げさでなく、日々、死に直面していると言っていい。人間の感性と身体能力を超えた世界に住んでいる。そもそも「普通」ではいられないのだ。なれど「普通」の部分もあるに決まっている。この両極端のバランスを取りながら生きるのが彼らの一生に違いない。その精神的な綱渡りの部分を、レオーニは的確に演じた。関係する周辺の人物、特に、宿敵であるアラン・プロスト役のマット・メラも、冷静な「プロフェッサー」の部分と嫌みな「勝負師」の部分を見事にひとりの人格に溶かし込んでみせた。 また、父母や姉といった家族、妻、恋人で人気タレントのシューシャ、古くからの友人など、親密な関係者の演技も真に迫り、プライベートなセナ像を掘り下げるのに重要な役割を果たした。その流れで言えば、数多く登場するレーサー、チーム監督やオーナー、オーガナイザーやジャーナリストなどレース関係者も生き生きと描写され、知識がなくても全く退屈しない。物語をスムーズに進めるため、ローラ・ハリソンという架空の女性ジャーナリスト(カヤ・スコデラーリオ)を登場させたのも効果的であった。 ファンにはたまらない「そっくり」度 登場人物の「そっくり」演技とメークがすごい。セナとプロストはもとより、国際自動車連盟(FIA)会長バレストルやマクラーレンチーム監督のロン・デニス、ウィリアムズチームのフランク・ウィリアムズら、レース関係者までが雰囲気そっくりである。ただ、本田宗一郎、中嶋悟はじめ日本人と日本に関する描写は「ありゃ?」感があってちょっと残念(悪意は感じられないものの……)。 ファンの一番の注目点はレースシーンのリアリティーであろう。これにはちょっと驚いた。まさに本物以上の迫真ぶりである。作品中のレースカーは、カート、フォーミュラ・フォード、F3、F1と各カテゴリーの実車やレプリカを用いたうえでVFXによる映像処理を行っている。そのうえで、廃業したサーキットにこのレースカーを持ち込んで、プロドライバーに走らせて撮影したうえ、ポストプロダクトでVFXによるシーン加工を行う。車両や背景、観客を重ねて、「ありえない」映像を生み出している。これまで見たレース映像の中でも指折りのクオリティーである。何度も行った鈴鹿サーキットを実写と思ってしまった(これはメイキング番組「セナ:制作の舞台裏」で映像技術を確認できる)。 絶頂期のレース中のショットを掲載 セナのレーサーとしての「絶頂」は、鈴鹿での88、89年の「日本GP」であろう。本作でもこの2戦をクライマックスとして描いている。筆者はその両戦に取材記者として居合わせた。写真特集にあるのは、その時に撮った写真である。 88年、マクラーレンのピットで撮った予選時のセナとプロストの後ろ姿は、このドラマのワンシーンのようだ。プロストの怒気をはらんだ表情と指さしが2人の関係を表している。予選でポールポジションを獲得して、ピットロード上でブラジルメディアのインタビューを受けるセナが、カメラに視線をくれたショットでは、疲れ切った目がうつろな気がする。このGPの決勝の後、セナは「コースの上に神を見た」とコメントした。 天才レーサーに肉薄した本気ドラマ 89年、決勝47周目のシケインでセナとプロストが接触。プロストは車を降りたが、セナはコースマーシャルに押しがけしてもらい、シケイン不通過でコースに復帰。すぐにピットインして、破損したノーズコーンを取り換えてピットアウト。再び先頭に立ちゴールするも、プロストの抗議で失格となる。プロストはこれでワールドチャンピオンとなった。写真はピットで破損したノーズコーンを取り換えるセナと走り出すセナ。 壊れたノーズコーンは筆者の目の前にしばらく放置されており、つい持って帰ろうかと思ったが、グッとこらえた。ドキュメンタリー版「セナ」の車載カメラ映像に、ノーズ交換時にカメラを構える筆者が映っている。人生の記念である。 ということで、「セナ」は文字通り「命がけの天才レーサー」の一生に思いをはせる、力のこもった「本気のドラマ」であると断言できる。セナにほれた人、思い出のある人は絶対楽しめる。カーレースもセナも知らなくても「スポーツと人間愛」というテーマのドラマとして第一級のレベルであり、大変面白い。興味がわけばドキュメンタリー版「セナ」もお薦めである。プロストは、ドキュメンタリー版は気に入らなかったようだが……。
川崎浩
2025.1.10
日本でも高い人気を誇るクリント・イーストウッド監督の最新作「陪審員2番」が、2024年12月20日よりU-NEXTで独占配信中。全米映画批評家協会が選ぶ24年の10本に選出されるなど絶賛評が相次いだ本作は、日本での劇場公開を求めるファンによるオンライン署名活動が行われるなど話題を集めており、配信直後には週間映画ランキング1位を記録した(ただ、本国の配給会社ワーナー・ブラザースは当初から自社ストリーミングサービス「Max」のオリジナル配信映画として想定していた模様。そのため、本国での劇場公開も限定的なものだったという)。 雨の夜にはねたのは、人だったのか…… 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のニコラス・ホルト、「ヘレディタリー/継承」のトニ・コレット、「テラスハウス」の福山智可子らが出演した「陪審員2番」は、タイトル通り陪審員制度(陪審員が裁判官から独立して、事実の判断とそれに基づく有罪・無罪を決定する)をテーマにした法廷サスペンスだ。同様の題材を扱った不朽の名作「十二人の怒れる男」を想起した方も多いだろうが、本作の特徴は主人公が事件と無関係ではない点にある。 妻が出産間近のジャスティン(ニコラス・ホルト)は、陪審員として参加した裁判の場で、衝撃を受ける。豪雨のなか橋の下で死亡した女性の殺人容疑で恋人が起訴された事件なのだが、犯行時刻にジャスティンも現場を車で通行しており、何かをはねていた……。てっきりシカだと思っていたが、実はその女性だったのか? 真犯人は自分なのか? しかし証拠は何もない――。罪の意識にさいなまれながら、ジャスティンは陪審員として「有罪か無罪か」を判断せねばならなくなる。 裁かれるべきは誰か? 映画の人気ジャンルである「裁判劇」は、いかに斬新なアイデアを持ち込むかが生命線。衝撃的な展開とエドワード・ノートンの演技が話題となった「真実の行方」、陪審コンサルタントの裏工作が展開する「ニューオーリンズ・トライアル」、ロバート・ダウニー・Jr.とロバート・デュバルが父子役に扮(ふん)し、判事である父を弁護する息子の葛藤を描いた「ジャッジ 裁かれる判事」等々、多くの作品が自分たちならではのストロングポイントを模索してきた。直近では、「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」が現実と夢(ミュージカル)を織り交ぜて裁判シーンを構築していたのが記憶に新しい。 「陪審員2番」はそうした裁判劇の系譜をしっかりと踏襲しており、「裁く側が実は裁かれる側だった?」というアイデアが実に効いている。本作も「十二人の怒れる男」同様に陪審員たちの意見が変動していくのだが、主人公の立場が部外者から当事者にスライドしていくことで〝追い詰められ型サスペンス〟の様相を呈していくのだ。 その展開に合わせて、さまざまな新情報が明るみに出ていくのもうまい。陪審員のひとりハロルド(J・K・シモンズ)が元刑事だったことが判明したり、恋人が石か何かで殴って殺したのでは?と言われていたのが陪審員の中で「ひき逃げの可能性はないのか」という意見が出たことで再検証の機運が高まったりと、主人公ジャスティンにとっては気が気でない状況にどんどん悪化。イーストウッド監督はいたずらに表情をクローズアップしたり大仰な劇伴で緊迫感をあおったりはせず、引いた視点で主人公の居心地の悪さを観察していく。ニコラス・ホルトの「ポーカーフェースを装っているが挙動不審になっていく素人感」を絶妙なニュアンスで見せる芝居も秀逸で、一級の素材をそのまま生かしたシンプルな味付けが観客の興味を力強く誘引していく。 〝正義〟と保身の間を行き来する人たち そのうえで本作のテーマとして浮かび上がってくるのは、正義とは?という問い。とりわけ、ジャスティンの性格が特徴的だ。彼は自他ともに認める善人であり、かつてアルコール依存症に陥り飲酒運転で事故を起こし、人生を棒に振りかけたものの後の妻に救われた過去を持つ。「自分の代わりに被害者の恋人が捕まってくれてよかった」と思う利己的な人物ではなく、「もし自分だったらどうしよう。罪を償うべきでは」「無実の人を有罪にしてはいけない」「いや、自分にはもうすぐ子どもが生まれる。家族の人生を奪うわけにはいかない」といった自問自答を絶え間なく続け、陪審員たちの意見が有罪に傾くと罪悪感から「もう少し検討すべきでは」と口走ってしまう。その結果、自らの立場が悪くなってしまって後悔したり焦ったりしながらも懊悩(おうのう)を繰り返していく主人公像は、実に人間的だ。 別の立場から正義について悩んでいく人物として、担当検事のフェイス(トニ・コレット)も効いている。彼女は昇進のためにこの事件で成功を収めて弾みをつけたいと考えており、出世欲の強い人物としてスタートする。そうした自分の思惑だけに従うなら有罪に傾くのは喜ぶべきことだが、自身の原点――真実を追求し、正義のために生きたいという信念から、本件の再調査を進めていくのだ。彼女もまた、ジャスティンと同じく「自分を取るか、正義を取るか」という二者択一にさらされてゆく。 「私たち」に近い主人公が問う当事者性 思えば、クリント・イーストウッド監督はこのテーマについて――自己犠牲の精神や社会的責任に言及しながら、長らく探求を続けてきたのではないか。トム・ハンクスが飛行機事故から乗客を救った機長に扮した「ハドソン川の奇跡」では、主人公をヒーローとして祭り上げずに「操縦ミスを糾弾される」点に重点を置いた。爆発物を発見して人命を救うも容疑者とみなされる警備員を描いた「リチャード・ジュエル」、優秀な狙撃兵をPTSDがむしばむ「アメリカン・スナイパー」も同様で、実在の人物をベースに正義を問うスタイルを貫いてきた。戦争を日米双方の兵士の視点で描く「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」にもその特徴が見られる。 銃乱射事件に立ち向かった若者たち本人を起用した野心作「15時17分、パリ行き」含めて、これまでの主人公が世間に広く知られた〝英雄〟だったのに対して、「陪審員2番」はいわば小市民。いまでいうところの〝闇バイト〟に加担してしまった老人を描いた実録映画「運び屋」のように一線を越えてしまった人物とは違い、ある事件を機に幼なじみ3人が再会する「ミスティック・リバー」と重なる部分は多少あれど、主人公が圧倒的に善人である(が自分を犠牲にできるほどの行動力はない)、という〝小ささ〟が、イーストウッド監督作にこれまで以上に身近さや、高い共感性をもたらしている点が興味深い。 私見も含むが、正義とは?をストレートに問う作品は、いまこの時代の空気感と必ずしもそぐわないようにも思える。もちろん時代性を意識しすぎる必要はないし、トレンドに乗っからないのがイーストウッド監督の良さでもあろう(実在の人物を映画化する時点で時代性を満たしているともいえる)。ただ、実話を中心にしてきた彼が具体的な「誰か」ではなく、限りなく「私たち」に近い主人公像を設定したうえでこのテーマを問い直すとき、そこには確かな同時代性と無視できない当事者性が立ち上がってくるのだ。
2025.1.07
是枝裕和が監督・脚色を務めたNetflixシリーズ「阿修羅のごとく」の全7話が、1月9日に一挙配信される。まず「え? 向田邦子の!?」と反応するのはかなりのドラマ好きか、読書家か、60歳以上の方だろう。 本作は、向田邦子がキャリアの最盛期に脚本を執筆したドラマシリーズのリメークだ。オリジナルは1979年に全3話がNHKで放送され、好評だったため、翌年に続編となる4エピソードが放送された。 長女の綱子、次女の巻子、三女の滝子、四女の咲子からなる4姉妹が主人公。4人はすでに、両親が暮らす池上(東京都大田区)の実家を出て、それぞれの暮らしを送っている。79年1月のある日、70歳の父・恒太郎に愛人と幼い息子がいることをつきとめた滝子の号令で、久しぶりに集合する。そこから4人それぞれの、姉妹には知られたくなかった顔が明らかになっていき……。 4姉妹のキャスティングが強い! 強すぎる!! 是枝版「阿修羅のごとく」の最大の強みは、四姉妹を演じる俳優陣の顔ぶれである。長女が宮沢りえ、次女が尾野真千子、三女が蒼井優、そして四女が広瀬すず。4人中1人くらいは「チャレンジ枠」にして、一般的にはそこまで知名度が高くない有望株を抜てきするのもひとつの手だが、本作は4枠全てに、いくつもの主演作を持つトップ・オブ・ザ・トップの俳優をキャスティングした。トランプでいえばエースのフォーカード級だ。 夫に先立たれ、生け花の師匠として生計を立てている綱子は、感性と本能に従順な人。独立した一人息子は仙台にいるため、谷中(東京都台東区)の木造住宅に一人で暮らしている。逢瀬(おうせ)を重ねている料亭の主人(内野聖陽)には、妻(夏川結衣)がいる。 専業主婦の巻子は、毎日の家事と、長男と長女の子育てに忙しい。良妻賢母の彼女は、サラリーマンの夫・鷹男(本木雅弘)の浮気をひそかに疑っているが、問い詰めたりはしない。父(國村隼)を問い詰めない母(松坂慶子)のように。 祐天寺(東京都目黒区)のアパートに暮らす滝子は有栖川図書館で司書として働いている。父の浮気調査を依頼した興信所の所員・勝又(松田龍平)から告白されるが、恋愛に縁遠かった滝子はどうしたらいいかわからない、奥手の堅物だ。 咲子は器量が良く、モテモテ人生を歩んできた。今は喫茶店でアルバイトをしながら、恋人のボクサー・陣内(藤原季節)と風呂なしのアパートで同せい生活を送っている。チャンピオンを目指す陣内の夢を献身的に支える彼女は、姉たちから見ると危なっかしい末っ子だ。 全7話の折々で見られる、4姉妹で集まってああだこうだおしゃべりをするシーンが圧巻だ。何かを食べている者、人の話を聞いていない者、笑い転げる者、好き勝手にまくしたてる者などを、ワンカットで撮影している。予定調和でもなければ段取りでもないが、ドキュメンタリーでもないし、行き当たりばったりの掛け合いでもない。超絶技巧を持つ4人がそれぞれのキャラクターに徹しつつ、言うべきせりふを言い、その場で生まれる空気や流れに大胆に反応していく。その結果生み出された、緻密さと自由さを兼ね備えた奇跡の四重奏なのだ。 グレーな部分をグレーなままにする洒脱さ このドラマにおけるアクセントが、三女・滝子と四女・咲子の関係性だ。勉強はできるがモテなかった滝子と、モテるけれど勉強ができなかった咲子は、性格も生き方も正反対。互いにコンプレックスを刺激され、妬み、そねみの感情もあり、顔を合わせるたびに場の空気が険悪になってしまう。 滝子と咲子がお互いに放つ言葉はむき出しだが、だからといって愛情がないわけではない。その証拠に、咲子がボロボロになったとき、滝子は誰よりも胸を痛め、咲子を傷つけた「敵」に牙をむくのだ。友人同士だと縁が切れてしまえばそれっきりの関係も、姉妹だからいやが応でも続き、このようなドラマが生まれるのだろう。 意識的だとしても、無意識だとしても、語られる言葉がすべて本音とは限らない。会話劇でせりふが多いにもかかわらず、多くの作品でクライマックスとされうる「本音はこうですよ」「これが事実ですよ」という種明かしをせず、グレーなことをグレーなままにする洒脱(しゃだつ)な作劇に、人間の計り知れなさが浮かび上がる。それこそが、「阿修羅のごとく」の人間ドラマとしての醍醐味(だいごみ)だ。 Netflixシリーズ「阿修羅のごとく」は2025年1月9日より独占配信。
2025.1.06