【追悼・世界のオザワ】音楽を共通言語にして生きたマエストロ・小澤征爾を語り続けよう
1991年4月24日、水曜日。思ったより寒くない天気だった。 だから良かったのか。いや、そうではなかったと思う。久しぶりに父と二人だけのシカゴ旅行だったが、やはり予測できないスケジュールで忙しくなった父は、筆者を父のユダヤ人の友人宅に預け、急いでニューヨークに行ってしまった。とはいえ、父の友人のミスターㆍアベルマンは、筆者が少しでも暗い顔をするのが申し訳なくなるほど優しい人だった。2歳年上のその家の娘・エリザベスも、筆者にシカゴの歴史や文化を説明することに必死だった。 ミスターㆍアベルマンとともに1904年開場したシンフォニーセンターを訪れ、その正面に筆者の英語の名前(「トーマス」)が刻...
洪相鉉
2024.2.27