「イニシェリン島の精霊」©2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.

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2023.2.02

同じ島で異なる世界に生きる2人 残酷で不思議な悲劇「イニシェリン島の精霊」:いつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

シンプルでいながら奥の深い映画です。どんなお話なのか、誰でもすぐわかるほどはっきりしている。舞台の設定も明確で、登場する人物も頭にすっきりと入ってくる。言葉によって進められますが、何が起こっているのかを説明されなくても理解できる。だからわかりやすいはずなんですが、これは何なのか、考えてしまう映画です。
 


 

アイルランド内戦の対岸で

舞台はアイルランドの羊飼いと漁業が中心のうら寂れた島、イニシェリン。時代は1923年、独立戦争が終結し、アイルランドがイギリスから自治を獲得することが決まった後、こんどは暫定政府とアイルランド共和軍の戦闘が始まります。まさに戦乱の時代ですが、ここ、イニシェリンでは戦争は島のずっと向こうにしか見えません。島には草原が広がり、羊が逃げないようにするためでしょうか、いくつもの長い石の塀で仕切られています。言葉で説明すると長くなってしまいますが、そこは映画、あ、こういうところなんだと目に飛び込んでくる感じ。説明を加えなくても映画の舞台が頭に入ってきます。
 
島で人が集まる場所といえば、教会と雑貨店、それに何よりも、パブです。映画の始まり、主人公のパードリックは、一緒にパブに行こうと友だちのコルムの家に行きますが、答えがない。これまでは毎日コルムとパブで過ごしてきたのでパードリックは動揺し、コルムがどこにいるのか知らないかと聞いて回りますが、誰もわかりません。逆に、おまえコルムとけんかしたのかなんて聞かれるんですが、パードリックにはその覚えがない。気がつかないうちに怒らせるようなことをしたんだろうか。コルムを探し回るパードリックは動揺します。
 

「話しかけたら、指を切る」

で、やっとパブにいるコルムを見つけるんですが、話しかけようとするとパブの外に出てしまう。屋外のテーブルにひとりでいるところに行くと、もう声をかけないでくれとコルムに言い渡されます。怒らせるようなことをしたんだろうかとパードリックは聞きますが、そうじゃない、ただおまえと話したくないだけだとコルムに言われてしまいます。
 
どうしてコルムに拒まれるのか、パードリックはその理由がわからない。仲を取り戻そうと近づけば近づくほど拒まれ、拒絶がエスカレートするだけ。そのあげくに、こんどパードリックが話しかけたら、指を1本、大きなはさみで切り落とす、おまえが口を開くたびに指を1本1本切るんだ、コルムはそう宣言します。


 

不条理の裏にある精緻なドラマ

こわい映画ですね。普通の映画だったら、実はこういうことがあってコルムがパードリックを避けたんだなんて真相がどこかに潜んでいて、映画の終わりにはその真相を教えてくれるでしょう。でもこの映画は、事件の真相を教えてくれません。映画の舞台もストーリーもキャラクターも至極明確なのに、これはいったい何なのか、観客は自分で考えなければいけないわけです。
 
理由がないのが現実の特徴だ、理由を求めること自体が間違っている。そんなふうに考えるのなら、不条理劇になりますね。そう、昨年亡くなったジャンリュック・ゴダール監督の「軽蔑」は、まさに不条理でした。ある日突然、あなたを軽蔑するわと、妻に申し渡された。動揺する夫は妻の気持ちを変えようといろいろ努力しますけど、努力すればするほど妻の気持ちは離れてゆく。この「軽蔑」でも軽蔑される理由には説明がありませんでした。
 
でも、多分、不条理劇とは違います。ゴダールはもう最初からドラマを壊していましたから、映画でどんなことが起こっても不思議はありませんでした。でもこの「イニシェリン島」の場合、どうしてコルムが拒むのか説明はしてくれませんけれど、コルムの拒絶によって生まれた波紋がはるかに大きな破綻を引き起こしてゆく過程は順を追って、しかも緻密に描かれている。何が起こっても不思議じゃない不条理な空間ではなく、精緻に組み立てられたドラマなんです。
 

閉ざされた演劇的空間としての島

ドラマを要素に分解して考えてみましょう。まず、映画の空間が重要。村の真ん中にはパブ、お店、教会があって、その周りに塀で区切られた道が連なり、向こうには海が広がっています。視覚的にはとても美しいんですが、この空間は、ちょうど舞台劇における舞台のように、外から閉ざされた、閉じた空間なんですね。で、外の世界があることを知り、その空間に関心を持つ者と、関心を持たない者がいる。パードリックは島の世界に安住していますが、コルムも、それで言えばパードリックの妹シボーンも、大きな世界のなかで島の空間を見ています。
 
空間の限定は生の認識に結びついています。パードリックはこの島に生まれ、生きて、死んでいくことをなんとも思っていない。村の暮らしを当たり前のものとして受け入れているわけですね。でもコルムはこの島でこのまま生きていく意味なんてあるのかと考えてしまう。島の外の世界とのつながりから自分を見ているわけです。島で終わる人生に耐えられないからこそ、それを疑うことのないパードリックと過ごす時間に耐えることができない。コルムの拒絶の背景には限られた生のありかたに対する焦燥があり、だからこそ作曲を通して人生に意味を求めたりするわけですね。
 

図式感じさせぬ名優のアンサンブル

こんなふうに説明を加えると、ほとんどチェーホフの演劇ですね。監督のマーティン・マクドナーは「スリー・ビルボード」が有名ですが、劇作家としてキャリアを築いてきた人。この映画も舞台劇のように俳優を生かしています。中心にはパードリックとコルムを置いて、その周りに妹のシボーン、空気を読まずに本当のことをいってしまう道化役のような若者ドミニクを配置する。この2人はそれぞれ別のやり方で、目前に展開する悲劇を理解しているんですね。
 
忘れてはならないのが、パードリックが愛してやまないロバ。パードリックはペットが主人を追い求めるようにコルムを追いかけますが、ロバは疑うことなくパードリックに付き従います。ロバとパードリック、パードリックとコルム、この二つのペアがそれぞれ壊れていきます。
 
絵解きをすると図式のようですが、俳優がすばらしいので図式的だと思わせません。パードリック役のコリン・ファレルは、素朴なキャラクターの中から思いがけない顔を、そして声を、いくつも取りだす名演。ファレルの代表作になりますね。オロオロして動き回るパードリックと違ってコルムは頑ななばかりですが、その内心に潜む絶望をブレンダン・グリーソンが見事に表現しています。この人の顔に刻まれたしわとその動きに注目してください。兄を支えるだけの人生を静かに見つめるシモーンを演じるケリー・コンドンも、本当のことを言わずにはいられないドミニク役のバリー・コーガンも絶品。これほどすばらしい演技のアンサンブルを映画で見たのはほんとうに久しぶりのことです。
 
残酷で、不思議で、怖い映画。アカデミー賞の有力候補ということですが、賞を取ろうと取るまいと、文句なしの傑作です。書きたいことはまだありますが、ここはひとつ劇場にお運びいただき、ご自分で感じ取り、ご自分の意味づけを発見してください。

全国で公開中。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 順天堂大国際教養学研究科特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

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