「少年と犬」

「少年と犬」©2025映画「少年と犬」製作委員会

2025.3.31

この映画を見るのと同時に家に来た妹のような愛犬「少年と犬」スクリーンの中の世界とつながる感覚

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

筆者:

和合由依

和合由依

多聞(たもん)の表情を見ると、自然と多聞の声が聞こえてくるような気がした。そんな声のない無音な時間は私に癒やしや苦しみ、感動を与えた。「スクリーンの中の世界」とつながる感覚を味わうことができたのは今作がはじめてかもしれない。


 

5年で約三千キロ

東日本大震災から半年がたった頃。仙台市で暮らす青年・和正の前に突如現れた犬の多聞はなぜかいつも西の方向を気にしていた。職をなくした和正と震災で飼い主を亡くした多聞のこの出会いは、やがて多聞にとってたった一人の大切な存在である少年の元へたどり着くための懸け橋となる。少年に出会うまでの道のり、5年で約三千キロメートルの中で生まれた人々との出会いを描く今作に、ダブル主演である高橋文哉と西野七瀬を筆頭に伊藤健太郎、伊原六花、柄本明、斎藤工などが多聞と出会った人物を演じている。
 

多聞が希望となっていた

多聞は少年の元へたどり着くまでに和正や美羽以外にもたくさんの人物と触れ合っていくが、みな同じ人間とはいえ、生活環境や家族関係はさまざま。罪を犯し心に傷を抱えた者や認知症に苦しむ者など、その様子はまさに十人十色だった。しかし、全員に共通していたのは多聞が希望となっていたのだということ。生きていると人生に疲れたり、自分であることに苦戦したりするが、何か一つでも希望があれば明日が今日よりもいいものになるのではないかと想像を膨らますことができる。「希望」は人の心を照らしてくれるものなのだと多聞を見て再認識した時、一瞬でもいいから今近くにいる人を少しでも幸せにできるような人でありたいと考えを膨らませた。

言葉が無いからこそ通じ合う

多聞が関わってきた人物の中で最も私の頭の中に強く印象に残り続けている人物が、不治の病気を持ちながらも山奥での暮らしを続ける柄本さん演じる猟師の片野弥一。彼と過ごしていたときの多聞の表情は繊細であるのと同時にいとおしく、その姿を私は今も忘れることができない。動物とは言葉が無くとも通じ合うものがあると感じていた私だが、二人の関係性から、言葉が無いからこそ通じ合うものがあるのだと学んだ。言葉の数が少ないシーンだったからこそ、より一層そう感じることができたのかもしれない。彼と一緒に横になっている時、ご飯が来るのを待っている時。それぞれの多聞の表情はとても自然で、言葉のないその瞬間瞬間に私の体は敏感に反応し、心があたたかくなったり涙目になったりした。

 

犬が家にいる生活

初めて彼を見た時、一人で猟師を続ける自分のプライドを揺るがすことのないような真の強い人物だと感じたが、彼の瞳に映る多聞が希望の存在になっているのだと気がついた時、本当の彼は孤独を抱えていたのではないかと察した。それはきっと、多聞の存在に救われたり癒やされたりしたから。また、こんな感覚は初めてなのだが、今作では「スクリーンの中の世界」とつながる感覚を覚えた。最近我が家にも子犬(雌)の家族が増えたこともあってそのように感じたのかもしれないが、共通して「犬が家にいる生活」を送っているからこそ、二人の過ごす時間と私が愛犬である彼女と過ごす時間とが重なり、私の中に新しい感覚が生まれたのだと思う。

「今」があるこの瞬間瞬間を楽しく

彼女と多聞との出会いを通して、命というものは尊く美しいものなのだと心から感じた。まだ小さい子犬の命を我が家に迎えた時、妹のような彼女が増えたことに興奮し喜んだのと同時に今まで経験したことのないくらいの責任感を感じた。幼い頃からの夢だった犬と暮らすということが現実になったからこそ痛感したのだと思うが、これからを一緒に生きていく彼女の生について私は今までにないほど深く考えた。何日も何日も考え続けた。答えのないような問いを自分自身にしてしまったという自覚がありながらも、これは向き合うべき問いなのだと自分の中で考えを巡らせた。最終的には答えが出なかったのだが、私の中で絞り出した考え方は命あるものだからこそ今を楽しもうというもの。「今」はあっという間に過ぎていく。それは彼女も私も同じ。だからこそ「今」があるこの瞬間瞬間を楽しく生きたいと考えた。きっとこの感情は彼女と出会えたことによって芽生えたもの。忘れたくないこの経験を、記録という意味でもここに記しておこうと思う。
 

私にもその感動を届けてくれた

「多聞」は多くを聞く、と書く。私は実際に多聞と触れ合ったことがないが、スクリーンからでもその存在に癒やされ、自分でも気づくことのできなかった心にたまった荷物のようなものを下ろしてもらえたような気がした。劇場を出た時、私の体が軽くなったと感じたのはきっと、多聞に出会えたから。また、映画の中の登場人物と同じように私も多聞に心を動かされた者なのだと思うと、多聞が実際に出会った人々に限らず作品を見る私にもその感動を届けてくれたのだということに胸が締め付けられた。

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