BEGINNING/ビギニング

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2022.5.22

オンラインの森:「BEGINNING/ビギニング」 何が始まり、何が終わろうとしているのか

いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、大野友嘉子、梅山富美子の3人に加え、各ジャンルの精鋭たちが不定期で寄稿します。

高橋諭治

高橋諭治


ジョージアの女性監督、衝撃の長編デビュー作

長回しショットの多用など極めて作家性が強いアートハウス向け映画は、ストーリーやキャラクター重視のハリウッド映画、テレビドラマに比べると、配信には不向きだと思う。ただでさえ長回しは見る者にそれなりの忍耐を強いる手法だし、自宅のテレビ、パソコンやタブレットのモニターで見る場合はなおさらしんどい。それでも筆者がJAIHOで配信されているジョージア映画「BEGINNING/ビギニング」に最後まで見入ってしまった理由は、作品そのものの尋常ならざる吸引力に圧倒されたからだ。
 
ソ連崩壊前の1986年にジョージア(当時はグルジアと呼ばれていた)で生まれ、米コロンビア大芸術学部で映画を学んだ女性監督デア・クルムベガスビリの長編デビュー作。コロナ禍でリアル開催が見送られた第73回カンヌ国際映画祭のオフィシャルセレクション〝カンヌ・レーベル〟に選定され、第45回トロント国際映画祭の国際批評家連盟賞などを受賞した一作である。
 
ジョージアの首都トビリシにほど近い田舎の村を舞台にしたこの映画のすごさは、ファーストショットを見ればその一端をうかがい知ることができる。草原にぽつんと建っている宗教団体「エホバの証人」の小さな集会所。その内部にすえられたカメラは、子供を含む数十人の信者が集まってきて牧師の説教を聞く様子を映し出すのだが、突如として厳粛な雰囲気が打ち破られる。
 
何者かによって画面外から火炎瓶が投げ込まれ、まさしく阿鼻叫喚(あびきょうかん)のパニックが勃発するのだ。この8分間にも及ぶ長回しショットの衝撃性を目の当たりにすれば、その後の成り行きを確かめずにいられなくなる。
 

妻として母として、抑圧された女性の肖像

後からわかってくることだが、キリスト教系のジョージア正教会が主流のこの地域では少数派のエホバの証人は虐げられており、上記の放火事件も警察に取り合ってもらえない。しかし本作は宗教対立をテーマにした社会派ドラマではないし、放火魔捜しをめぐるサスペンス映画でもない。エホバの証人の牧師であるダービドの妻ヤナ(イャ・スキタシュビリ)を主人公に、有象無象の抑圧を受けているひとりの女性のポートレートを浮かび上がらせていく。
 
35ミリフィルム、スタンダードサイズの様式を採用したクルムベガスビリ監督は、説明描写を最小限にとどめ、まだあどけない息子ギオルギを育てている主人公ヤナの日常と彼女に降りかかる厄災を、一切の感情を差し挟まない固定カメラで写し取る。「鏡を見ると、知らない誰かが見つめ返す」。女優のキャリアを捨てて、ダービドのもとに嫁いだヤナは、そんな謎めいた言葉を夫の前でつぶやく。すでに結婚生活に失望している彼女は、〝妻〟として〝母親〟として、そして〝宗教団体の助手〟として求められるすべての役割に息苦しさを感じながらも、現状から逃れるすべを見いだせない。
 
するとトリビシに単身出張した夫が不在の夜、刑事と称する若い男が自宅にやってきて、ヤナは理不尽な辱めを受ける。後日、再び現れたその男はヤナにひどい暴行を働く。こう書くとむごたらしい暴力描写を連想するかもしれないが、本作はあらゆるショットが謎めき、静かな緊迫感がみなぎっている。ヤナの対話相手(自称・刑事の男)をあえてフレーム外に配置したり、さも川の浅瀬の荒涼とした風景の一部のようにレイプシーンを捉えたりと、見ているこちらの想像をかき立てる超現実的な視点のショットが連ねられる。


 

謎めく視点、驚きの長回しショット!

さらに驚かされるのは中盤、ヤナが息子のギオルギを伴って森へのハイキングに出かけ、枯れ葉の上に寝そべる5分以上のショットだ。俯瞰(ふかん)の視点で撮られたその映像は静止画と見まがうショットなのだが、不意に差し込んでくる柔らかな木漏れ日がヤナの顔を照らし出す。やがて鳥のさえずりが聞こえなくなり、映画が真の静寂に満たされると、そのイメージそのものが神聖な宗教画のように思えてくる。
 
しかもこのショットが切り替わると、遠く離れた場所に立っているギオルギが〝寝そべるヤナと自分自身〟をじっと見つめているという摩訶(まか)不思議なショットが提示される。まるで夢の中の出来事か、もしくは幽体離脱を映像化したようなスーパーナチュラルなショットなのだ!
 
何が始まって、何が終わろうとしているのかも判然としない「BEGINNIG/ビギニング」という題名からして深遠なベールに覆われている本作は、見る者の自由な解釈を促す作品であり、これ以上、筆者の感想を書き連ねるのは控えたい。宗教や家父長制に束縛され、自己喪失に陥った女性の危うい漂流を見すえる本作は、海外の批評ではしばしばミヒャエル・ハネケやルーマニアの〝新しい波〟の監督たち(クリスティ・プイウ、クリスティアン・ムンジウ)の作品と比較されているようだ。
 
それに加えて筆者は、先ごろの特集上映が盛況だったシャンタル・アケルマンの「ブリュッセル 1080 コメルス河畔通り 23番地 ジャンヌ・ディエルマン」(1975年)が脳裏をよぎったことを書き添えておきたい。そう、これは「~ジャンヌ・ディエルマン」と同じく、繰り返される鬱屈した日常の果てに恐ろしい出来事が起こる映画なのである。
 
2022年7月7日まで、JAIHOにて独占配信。

ライター
高橋諭治

高橋諭治

たかはし・ゆじ 純真な少年時代に恐怖映画を見すぎて、人生を踏み外した映画ライター。毎日新聞「シネマの週末」、映画.com、劇場パンフレットなどに寄稿しながら、世界中の謎めいた映画、恐ろしい映画と日々格闘している。
 

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