2018 Oops Publishing, Limited Under exclusive license to Craft Recordings

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2023.8.04

高校生のころから今も、僕のヒーロー! 漫画家、イラストレーター本秀康さんが語るジョージ愛「コンサート・フォー・ジョージ」

音楽映画は魂の音楽祭である。そう定義してどしどし音楽映画取りあげていきます。夏だけでない、年中無休の音楽祭、シネマ・ソニックが始まります。

鈴木隆

鈴木隆

ジョージ・ハリスンの生誕80年を記念した映画「コンサート・フォー・ジョージ」が全国公開中だ。ジョージが他界した1年後の2002年11月29日にロンドンで行われた伝説の追悼コンサートで、日本では劇場初公開。漫画家、イラストレーターでジョージの熱狂的ファンである本秀康さんにコンサートの見どころやジョージ自身の生きざまなどを縦横無尽に語ってもらった。

 

◆ジョージのことしか考えていないコンサート

 
01年11月29日、音楽ファンにとどまらず多くの人々に惜しまれながら58歳で世を去ったジョージ・ハリスン。長年の友人であり、本作をプロデュースしたエリック・クラプトンが中心となり、長年の親しい友人たちが呼びかけに応じてロイヤル・アルバートホールに顔をそろえた。ポール・マッカートニーとリンゴ・スター、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、ジェフ・リン、ジュールズ・ホランド、ビリー・プレストン、ジョージが敬愛したインド音楽シタール奏者のラヴィ&アヌーシュカ・シャンカール、モンティ・パイソンのメンバーらそうそうたるアーティストがジョージが残した名曲や愛した曲を披露した。
 
本さんはロンドン公演から約1年後、レコード会社やファンクラブらのみを対象にした東京・日本青年館で実施された1回限りの上映会で「コンサート・フォー・ジョージ」を見た。クラプトンやジョージの妻オリヴィアも登壇した。「コンサートではビートルズの曲やインド音楽などいろんなことをしているが、言ってみればジョージが好きなものを羅列しただけ。そこに感動した。ジョージのことしか考えていないコンサート。出るべき人は全員顔をそろえていた」。どうしても参加できなかったボブ・ディランが自身のコンサートでジョージの「サムシング」を披露したことを含め「これこそがコンサート・フォー・ジョージだ」と言い切った。

 

◆悲しみこらえ、思いが深い

 
演奏するミュージシャン、歌手、楽曲それぞれ一曲一曲に深い意味があり「そこにジョージが息づいていて、何度も泣けてきた」と感慨深げに解説する。例えば、ラストの曲は「夢で逢いましょう」。「追悼ならばジョージのメジャーな曲で締めれば盛り上がる。それを豪華な出演者の中で、最も地味なジョー・ブラウンがジョージの曲ではない曲を演奏してものすごく感動させる。お客さんのためではなく、本当にジョージのためのコンサート。あの曲で終わる意味があるか、ジョージが好きだったかでしょうね。ポールが来ているのに、ひょっとしたら一番目立っていない。ビートルズのファンにも通じるうなるようなコンサートだった」とその一端をひもといてくれた。
 
ポールがラスト近くに歌う「オール・シングス・マスト・パス」も深い意味があるという。「あの当時、ポールとジョージはそんなに仲良くなかった。ポールはあえてそれをセレクトして歌った」。本さんに、一番好きなジョージの曲をあえて聞いてみた。本さんの口から出たのは、その「オール・シングス・マスト・パス」。元々、ビートルズの曲になるはずだったのが選から漏れて、ジョージの歌もののファーストアルバムに入った曲という。「ポールは多分当時はそれほどいい曲だと思っていなかったはず。このコンサートまでに意識が変わったんでしょうね。声がおじいさんになり始めたころで渋くていいんです。やっぱり泣けてきます」。コンサート自体はにぎやかで、モンティ・パイソンとか楽しく伴奏しているが、「悲しみをこらえて演じている、仲の良い人だけが集まっているからみんなの思いが深いんです」。

 

◆高校生のころから今も、僕のヒーロー

 
確かに参加したアーティストの思いの強さを感じるが、本さんの“ジョージ愛”も半端ではない。それはいつから、どこから来ているのか。横浜の高校生だったころ、洋楽、特にビートルズ好きのメンバー5、6人でレコード屋さんで棚(担当)の奪いあいがあった。要はそれぞれ好きなメンバーを決めてレコードを買い、調べて、知識を増やそうというもの。「(ジョン)レノン、マッカートニーはより人気があったが、僕はジョージを好きになる兆しを感じていた。僕は漫画でもガロ系、メジャーよりサブカルチャー系が好きだった。少し変わったことをしている人に興味があった。生まれや性格、友人関係などあらゆることを調べた。第三の男的存在が自分に近く、自分に重ねていた」
 
レノン、マッカートニーと争うのをやめたのかと思ったら「サムシング」のようなビートルズの最高傑作と言われるような曲を作ったりする。「第三の男が筆頭になるようなことはメジャーバンドではほとんどない。解散後最初にヒットを放ったのはジョージ。僕の中ではヒーローでした。今もそうです」と振り返る。実は純粋なインド音楽はイメージほど作ってはいないというのだ。「自分の作風に取り込んで自分の個性にしている。斬新な寄り道をしたといってもいい」。今回のコンサートでも幅広い交友関係に驚く。「友情を大切にしてきた証しがこのコンサートにも表れている」

 

◆ジョージはあのコンサートの中にいた!

 
ジョージへの愛は、現在の漫画やイラストを描く仕事に影響があるのだろうか。ジョージの似顔絵のようなものを描くときは「もちろん楽しい」と話す。今回のコンサートでも、ジョージは実際のステージにはいないが、ラストの紙吹雪の中で演奏し歌っている絵を描いている。「ジョージをとても感じられる映画だからです。あの場所にジョージは本当にいたと思っている」
 
仕事の時は必ず音楽をかけている本さん。こんな時もあるという。「疲れている時やもう絵を描くのが嫌だと思ってしまう時は、特にジョージの音楽をかけます。かけだしのころにジョージを聴きながら、もっといい仕事がしたいと思っていたことを思い出させてくれるから。忙しくていやだと思っても、あの頃のことを考えたら、俺はこれを望んでいたと思ってがんばれる」。本さんにとってジョージは公私ともに太い支柱であり、エネルギー源のようなものかもしれない。「多感な時期に入れ込んでいたからかな。でも、皆さんもそういうのって、音楽に限らずあるのではないですか」

ジョージのトリビュート・コンサートは、歴史的一夜として語り継がれ、その映像作品は2005年第47回グラミー賞も受賞。ジョージ・ハリスンの生誕80年を記念して今回上映される「コンサート・フォー・ジョージ」は、昨年、開催20周年を記念し、海外で上映された高音質リマスター版。オリヴィアと息子のダニーからのメッセージも新しく寄せられた。
 
本秀康(もと・ひでやす)

漫画家、イラストレーター。1969年、京都府生まれ。「ガロ」95年7月号の入選作「パーティー大好き」でプロデビュー。98年には初の単行本「たのしい人生」を青林工藝舎より刊行。「ビッグコミック」「クイックジャパン」などでも連載。音楽にも精通していることから音楽雑誌に「レコスケくん」の連載などを持つ。2003年から10年まで月刊IKKIで「ワイルドマウンテン」を連載する。ジョージ・ハリスンの熱狂的ファン、コレクターとしても有名。14年には7インチ・シングル盤限定・アナログレコード専門レーベル「雷音レコード」を立ち上げる。愛犬・モコゾウがチョーヤ梅酒のCMに出演したことでも有名。

ライター
鈴木隆

鈴木隆

すずき・たかし 元毎日新聞記者。1957年神奈川県生まれ。書店勤務、雑誌記者、経済紙記者を経て毎日新聞入社。千葉支局、中部本社経済部などの後、学芸部で映画を担当。著書に俳優、原田美枝子さんの聞き書き「俳優 原田美枝子ー映画に生きて生かされて」。

カメラマン
土橋正義

土橋正義

玉川大学 芸術学部卒、俳優活動の後、動画、写真など映像事業に携わる。現職F.PARADEでは美容室の新規出店、マーケティングプロモーションを主軸に企画立案からイベント、映像制作、広告施策、コンサルティングも含め、ワンストップで担当している。

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