ハラハラドキドキ、謎とスリルで魅惑するミステリー&サスペンス映画の世界。古今東西の名作の収集家、映画ライターの高橋諭治がキーワードから探ります。
2022.3.02
謎とスリルのアンソロジー 「ザ・バニシング -消失-」
愛する者が忽然と消えた! 信じがたい事件の全貌とは
キーワード「人間失踪」
ある日突然、家族や友人といった身近な人が行方不明になってしまう。しかも理由が一切わからないまま、跡形もなく。身代金目的の誘拐や駆け落ちではなく、宇宙人による拉致でもない。そんなごく平穏な日常の中で巻き起こる人間の〝失踪〟をテーマにしたスリラー&ミステリー映画が、今回のお題である。
例えば「ブレーキ・ダウン」(1997年)では砂漠地帯のダイナーで中年女性が消え、「フライトプラン」(2005年)では旅客機の機内で少女が忽然(こつぜん)といなくなった。それに気づいた夫は妻を、母親は娘を懸命に捜索するが、なぜか現場に居合わせた人たちは彼女らを「見ていない」と口をそろえる。こうした理不尽な形で愛する者と引き離されてしまった主人公の絶望感、誰にも信じてもらえない焦燥と孤立感が、失踪映画におけるスリルの源となる。
むろん多くの失踪映画には〝タネ明かし〟があり、単独もしくは複数の犯人が隠れ潜んでいる。その真実を突き止めた主人公は、犯人一味との捨て身の格闘の末に愛する者を取り戻す……というのが、このジャンルのオーソドックスなパターンだ。
ところが、そうしたパターンに当てはまらない異色作がある。オットー・プレミンジャー監督のカルト的な失踪ミステリー「バニー・レークは行方不明」(1965年)は、ロンドンでの少女失踪事件の行方を描きつつ、消える前の少女の姿を映さないことによって「本当に少女は存在するのか?」という根本的な疑問を観客に投げかけた。スペインのホラー映画でありながら、「バニー・レークは行方不明」の影響を感じさせる「永遠のこどもたち」(2007年)は、失踪現象を幽霊屋敷ものに応用したユニークな一作。炭鉱町で次々と子供が蒸発する「トールマン」(2012年)は、中盤のどんでん返しの果てに、「なぜ、この世から人が消えるのか?」という問いに対するひとつの回答を示した意欲作だった。
また、映画史上には謎が解かれなかった非ジャンル系の深遠な失踪映画もある。〝愛の不毛〟の作家と呼ばれたミケランジェロ・アントニオーニの「情事」(1960年)、神隠しのような少女集団失踪事件を扱った「ピクニック at ハンギング・ロック」(1975年)がまさしくそれ。消えた少年をめぐる捜索描写に並々ならぬ力がこもっていた「ラブレス」(2017年)は、「情事」の現代ロシアバージョンとも言えよう。
巨匠キューブリックをおののかせた伝説的な失踪ミステリー
そして最大級に特筆すべき失踪映画が「ザ・バニシング -消失-」(1988年)だ。オランダのジョルジュ・シュルイツァー監督が手がけ、日本では長らく未公開だったこの作品は、2019年4月に初めて劇場公開された。かのスタンリー・キューブリックが「これまで見た中で最も恐ろしい映画だ」と評したことでも知られるオランダ・フランス合作映画である。
オランダ人の若いカップル、レックス(ジーン・ベルヴォーツ)とサスキア(ヨハンナ・テア・ステーゲ)が、フランスを車で旅している途中、山間部のサービスエリアに立ち寄る。すると、飲み物を買うために売店に行ったサスキアが戻ってこない。不安を募らせたレックスは必死に捜すが、サスキアはそのまま行方知れずになってしまう。3年後、なおもサスキアの捜索に執念を燃やすレックスの前に、レイモン(ベルナール・ピエール・ドナデュー)という見知らぬ中年男が現れて……。
ティム・クラッベの小説「失踪」に基づく本作の特異な点は、サスキアを〝消失〟させた張本人であるレイモンが前半のうちに画面に登場することだ。つまりこのミステリー劇の主眼はフーダニット(誰がやったか)にはなく、ハウダニット(どうやったか)にある。恋人を失ったレックスから犯人のレイモンへと視点を切り替え、なおかつ現在から過去へと時制をさかのぼり、サービスエリアでの失踪の前段が映像化されていく。さらに後半には、世にも奇妙なレイモンの犯行動機、すなわちホワイダニット(なぜやったか)が解き明かされる。
比類なきバッドエンドへと至る伏線とシンクロニシティー
史上まれに見るバッドエンディング映画としても名高い本作は、ラスト直前に「消えたサスキアは、その後どうなったのか?」を見る者に提示する。常人には理解しがたい異常な結末なのだが、この映画の見どころはそれだけではない。サービスエリアで永遠の愛を誓い合ったカップルが引き裂かれ、孤独な捜索者となったレックスが、3年後に悪魔のようなレイモンと対面していく一連の流れが、あたかも逃れられない“運命”だったかのように構成されているのだ。
レックスとサスキアが見たという〝金の卵〟をめぐる摩訶(まか)不思議な夢、サービスエリアの地中に埋められた2枚のコイン、〝R〟という頭文字のキーホルダー……。これらのエピソードや小道具が巧妙な伏線のごとく配され、理屈を超えたシンクロニシティー(偶然の一致)を生み出すストーリー展開の緻密さにうならずにいられない。誤解を恐れずに書くなら、前述した罪深きバッドエンドさえも美しい。まさにこの点において、世界中を見渡しても類を見ない失踪映画なのである。
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