ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 © 2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. Harry Potter and Fantastic Beasts Publishing Rights ©J.K.R..jpeg

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2022.4.06

映画の推し事:「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」 「魔法界」が想像力を拡張し、人生を豊かにしてくれた SYO 

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

SYO

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「ハリー・ポッター魔法ワールド」の最新作「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」が4月8日、公開される。J・K・ローリングの小説を原作に、魔法魔術学校ホグワーツを舞台とした映画「ハリー・ポッター」シリーズは、全8作で完結。本作は、そのスピンオフとして始まった「ファンタスティック・ビースト」シリーズの第3作にあたる。「ハリー・ポッターと賢者の石」刊行から23年。人生の半分以上をシリーズと共に歩み、映画ライターとなったSYOさんが、自身のハリポタ体験と熱愛を告白します。

 

初めての一人旅 お供は小説「賢者の石」

1999年、小学校の高学年だったときのこと。福井から高速バスに乗り、名古屋の親戚の家に遊びに行った。初めての一人旅というやつである。一人旅といっても、出発ギリギリまで母と一緒で、バスを降りたら親戚が待っているわけだから僕はただ約3時間バスに乗っているだけなのだが、それでもドキドキした。
 
なにせまだスマホはおろか、携帯電話が十分に普及していない時代である。バスに乗ったら最後、親や親戚とも気軽に連絡を取れない状況に陥るという緊張と不安、これから待っている冒険へのかすかな期待。そんな僕に母が渡してくれたのが、おにぎりとお菓子とお茶、そして分厚い「ハリー・ポッターと賢者の石」だった。なんと粋な采配だろうか。僕は夢中になって読み進め、トイレ休憩のサービスエリアでも降車することなく、気づいたら名古屋に着いていた。
 
出発前に感じていたほのかな心細さなんてものはどこかに消え去っていて、脳みそも心も魔法界と直結していた。9と4分の3番線、ハリーの誕生ケーキやカエルチョコレート、つえ……親戚と会ってからも「早く続きを読みたい。魔法界に帰りたい」とばかり思っていた気がする。これが、現在まで続く「ハリー・ポッター」シリーズとの出合いだ。
 
その頃の僕は頻繁に福井と名古屋を行き来していて、いつかの名古屋から福井に帰る高速バスの車内では、「ハリー・ポッターと秘密の部屋」を読みながらチーズクッキーを頬張っていた。これが2000年の思い出。
 
「ハリー・ポッターと賢者の石」

ゼロ年代初期の洋画黄金時代支えたハリポタ

そして01年の12月に、いまも忘れられない出合いが訪れる。映画「ハリー・ポッターと賢者の石」の日本公開だ。テアトルサンクという99年末に開館した映画館に、姉と一緒に見に行った。そして、とんでもない衝撃を受けた。自分が本を読んで想像していたイメージが、具現化された感動。冒頭、ダンブルドアが登場して「灯消しライター」を使ったときに生じた鳥肌は、いまだ記憶に刻まれている(ライターのデザインがこれまたカッコいいのだ)。読書体験が映画によってアップデートされるという初めての経験だったかもしれない。
 
先日、「ハリー・ポッター」チームの同窓会番組「リターン・トゥ・ホグワーツ」(各プラットフォームで配信中)を鑑賞したが、イマジネーションをビジュアライズするという意味で、「賢者の石」が世界に与えた衝撃は計り知れない。日本国内の興行収入203億円(歴代6位)という数字からも、その影響力がひしひしと伝わってくる(ちなみに第2作「ハリー・ポッターと秘密の部屋」は歴代10位の173億円)。
 
余談だが、99~00年代初頭はVFX等の技術革新もあって「ハリー・ポッター」「ロード・オブ・ザ・リング」「スパイダーマン」「パイレーツ・オブ・カリビアン」「マトリックス」等々、洋画大作ラッシュ。国内の実写作品が強い現在の興収ランキングとは真逆で、洋画+ジブリやコナンといったアニメがベスト10をにぎわせていた(いまだったらそこまで違和感のない「ドラマの劇場版がヒット」という構造は、「踊る大捜査線」以降に主流になったイメージ)。つまり「ハリー・ポッター」シリーズは、ゼロ年代初期の洋画黄金期を支える重要なピースでもあったわけだ。僕は87年生まれだが、同世代の映画業界人は大体このブームを経験している印象で、劇場体験のルーツが洋画であるパターンが多い。
 

ハリーと歩んだ洋画オタクへの道

というわけで自分の洋画大作好きのルーツには「ハリー・ポッター」が大きな位置を占めているのだが、いま思うと興味深かったのはメディアミックスだ。「マトリックス」がアニメ「アニマトリックス」やゲーム「ENTER THE MATRIX」へと派生していったのがわかりやすいかと思うが、同じワーナー作品の「ハリー・ポッター」も小説→映画→ゲーム、「クィディッチ今昔」「幻の動物とその生息地」といった副読本、そして大量のグッズ展開が進んでいった。ちょうど家庭用ゲーム機のプレイステーション2が発売されたのが00年と、「ハリー・ポッター」ブームと同時期なのも注目すべきポイントだろう。少年少女が触れるカルチャーの中に、「ハリー・ポッター」との接点が非常に多かったのだ。
 
そしていま思えば、当時からオタク気質だった僕のマインドも完全に持っていかれており、原作にパンフレットにサウンドトラック、ゲーム……いまで言うところの「沼落ち」状態だった。中学に上がってからは「ロード・オブ・ザ・リング」も始まり、情報をキャッチしたいと雑誌「SCREEN」を定期購読(当時の僕にはまだネットで情報収集という概念がなかった。平和な時代である)。さらに洋画に対する知識が増えると「リチャード・ハリスやマギー・スミスってすごい人だったんだ……。ロックハート先生役はヒュー・グラントでなくケネス・ブラナーに決まったのか。うそ、今度はゲイリー・オールドマンが参加する!?」みたいに、いまの自分と変わらない洋画オタクが完成していった。
 
そうした中で高校へと進み、オダギリジョーさんにハートを撃ち抜かれた僕は彼の作品を介してさまざまな映画監督を知り、日本映画の魅力も知っていくのだが、「ハリー・ポッター」への愛は継続していた。大学進学のため06年に上京し、新生活そっちのけで読んでいたのが第6作「ハリー・ポッターと謎のプリンス」。08年に完結編である第7作「ハリー・ポッターと死の秘宝」を6畳一間のアパートで読み終えたときの感慨は、いまもまだ言語化できない。


「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」 

その3年後、11年に「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」を劇場で見たとき、僕は大学を卒業し、フリーターになっていた。ものづくりをしたいという気持ちだけが肥大化し、就職したら負けだ!なんて思っていた自分は就活を一切しなかったのだ……(ザ・黒歴史)。当然ながら経済的にはなかなか厳しく、鑑賞料金を捻出するのは苦しかったのだが、本作は別。あれは立川のシネマシティだったかと思うが、盛大に泣きはらしながらフィナーレを見届けたのである。
 

「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」

推し活が仕事に 最新作に思わず人生を振り返る

小学生から社会人になるまで。以上が「ハリー・ポッター」シリーズと自分の歩みだが、ドラマはそこで終わらない。そう、「ファンタスティック・ビースト」シリーズの始動である。まさか中学時代に読みふけった「幻の動物とその生息地」が映画化するなんて! 「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」が日本公開されたのは、16年。そのときの自分は、12年に映画業界入りしてから4年。映画雑誌の編集を経験したのち転職し、映画情報サイトの編集者として2年目に入ろうとしていた。
 
ある程度のコツをつかんできた時期で任されたのは、「ファンタスティック・ビースト」ベタ付きの取材と大量の記事執筆。ニュースに解説、イベントリポートにインタビュー……。第2作「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」においてもその仕事は続き、デビッド・イェーツ監督にプロデューサーのデビッド・ヘイマン、吹き替え声優の宮野真守や小野賢章らに取材する機会に恵まれた。エディ・レッドメインとジュード・ロウにインタビューした際には、主人公ニュートの顔が大きくプリントされたTシャツを着ていった結果、ふたりが爆笑してくれるということも。
 
あの日、高速バスの車内で始まった「推し活」が、仕事になるまで――。自分自身、割と重度のシリーズファンであるという認識はあるが、ここまでくるとさすがに情緒がおかしくなる。前作から3年半足らずのときを経て公開を迎える最新作「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」においてはマスコミ用の試写会で拝見したわけだが、いちファンとして「うああああダンブルドア家の謎が解けていく」と興奮する一方で、前作からの年月をしみじみ振り返る自分もいた。その間に独立し、なんとかまた仕事としてシリーズに携わることができているが、ここまでの道のりは決して平たんではなかった。
 

「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」

映画ファンの個人史の一ページ飾るシリーズ

これはあくまで僕個人の半生とシリーズの重なりだが、映画を愛する多くの方の個人史のなかに「わたしと『ハリー・ポッター』『ファンタスティック・ビースト』」という項目があるかと思う。親子2代、あるいは3代で楽しんでいる方もいるだろうし、作品をきっかけにして友人や恋人と出会った方もいるかもしれない。23年には体験型施設「スタジオツアー東京 メイキングオブハリー・ポッター」がオープン予定。この先ますます、ファンの幅は広がっていくことだろう(老婆心ながら、僕は妻とユニバーサル・スタジオ・ジャパンの「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」を訪れた際、シリーズ愛を熱弁しすぎて引かれた経験がある。やり過ぎは禁物だ)。
 
この個人的な愛情をつづった文章の締めくくりとして、「ハリー・ポッター」シリーズになぜここまで魅力を感じるのか?について改めて言語化しようと試みたのだが、どうもスパッと一言で表すことができない。作品が自分の中に根を張りすぎていて、漫画「呪術廻戦」の両面宿儺(りょうめんすくな)に対して「分霊箱」みたいなこと?と咀嚼(そしゃく)したり、映画や漫画などで悪役として登場したキャラクターが実はいいやつだったパターンをひそかに「スネイプ現象」と呼んだり、あまりにも影響を受けすぎている。
 
ただひとつ確かなことは、このシリーズとの出合いによって、自分の中に「魔法界」という世界ができあがったということ。それはいちコンテンツやフィクションという領域を超えて、マルチバースのように「自分が生きているのとは別の世界」として確かに存在しているのだ。実感を持ってしまうほどに、強固に構築された世界観――それは、「ハリー・ポッター」シリーズが僕自身のイマジネーションをこの現実にとどまらせず、拡張してくれたということでもある。「魔法はある」のだと、教えてくれたのだから。


「ハリー・ポッター」シリーズはデジタル配信中。ブルーレイ(2619円)、DVD1572円は、発売元ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント、販売元NBC ユニバーサル・エンターテイメント。
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ライター
SYO

SYO

1987年福井県生まれ。東京学芸大学にて映像・演劇表現を学んだのち、映画雑誌の編集プロダクション、映画WEBメディアでの勤務を経て2020年に独立。 映画・アニメ、ドラマを中心に、小説や漫画、音楽などエンタメ系全般のインタビュー、レビュー、コラム等を各メディアにて執筆。トークイベント、映画情報番組への出演も行う。

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