2021年に生誕90周年を迎えた高倉健は、昭和・平成にわたり205本の映画に出演しました。毎日新聞社は、3回忌の2016年から約2年全国10か所で追悼特別展「高倉健」を開催しました。その縁からひとシネマでは高倉健を次世代に語り継ぐ企画を随時掲載します。
Ken Takakura for the future generations.
神格化された高倉健より、健さんと慕われたあの姿を次世代に伝えられればと思っています。
2023.3.30
ひとシネマ「映画館のあった風景」など寄稿の小田貴月さん「高倉健、最後の季節(とき)。」発売
ひとシネマに「映画館のあった風景」などを寄稿の高倉プロモーション代表取締役小田貴月さんが「高倉健、最後の季節(とき)。」を出版しました。ひとシネマでは毎日新聞の記事アーカイブや書きおろしで随時「高倉健を次世代に語り継ぐ 」を掲載しています。
「僕は、この病気で死ぬのかな……」
孤高の映画俳優は、病が発覚した後も、仕事への情熱が尽きることはなかった。2019年に発表された、高倉健の最後のパートナー・小田貴月による手記「高倉健、その愛。」は大きな反響を呼んだ。本書は、当時書ききれなかった、高倉健と過ごした最後の一年を綴る続編。
内容紹介 2014年正月。いつも、出された食事を残さないことを心がけている「剛さま」(貴月は高倉健のことをそう呼んでいた)が、珍しく食事を残した。2月、風邪のような症状を訴え、急速に体調が悪化していく。病院に行きたがらない高倉を、泣き落としで無理やり連れていき、さまざまな検査を行う。下された診断は「悪性リンパ腫」。高倉は尋ねた。「何もしないとどうなるんでしょうか」。医師の答えは、「死にます」。そこから、高倉と貴月、二人三脚での闘病が始まった――。同年11月に死去するまで、何があったのか。二人の間で、どのようなやり取りが交わされていたのか。そして、最後の一年を書ききるために、なぜ8年の歳月が必要だったのか。人知れず、稀代の俳優に17年寄り添った女性が綴る手記。
著者プロフィール 小田貴月(おだ・たか)
1964年、東京都生まれ。女優を経て、海外のホテルを紹介する番組のディレクター、プロデューサーに。96年、香港で高倉健と出会う。2013年、高倉健の養女に。現在、高倉プロモーション代表取締役。著書に『高倉健、その愛。』(2019年)。