チャートの裏側

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2021.9.30

チャートの裏側:社会へ訴える力、広い層に

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

〝社会派問題作〟が2本入った。邦画の「空白」と米映画の「MINAMATAミナマタ」だ。両作を、その言い方でひとくくりにするのは無理もあるが、あえて使う。前者は、少女の交通事故死から起こる周囲の人たちの混乱、混迷を描く。後者は米国のカメラマンが水俣の公害を追う。

「空白」は見ごたえがある。作品の底流には、人と人との関係性の困難さが詰まっている。憎悪も無関心も善意も同じ土俵に乗る。そこに耐え難い苦痛が噴出する。困難さは悲劇がなくても、現実の日々の営みの中で絶えず起きている。映画から身に染みることが山ほどある。

「MINAMATA」は製作、公開の意味が計り知れない。事前に、多くのメディアが本作を取り上げた。米映画である点、主演がジョニー・デップというのも大きいだろう。映画のテーマの一つに、水俣病の世界的なメディア発信の重要さがある。本作そのものがその役割を担う。

マスの観客の注目を集めるのが、そうたやすくない2作品と思われる。それが何と、ともに200スクリーン規模の全国公開になった。その劇場数だと、宣伝費も相応にかかる。社会に訴えかける映画の底力を、一定数の限られた客層に閉じ込めてなるものか。その意気込みを感じる。作品のサイズに合った公開方法だけがベストではない。(映画ジャーナリスト・大高宏雄)

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