映画は娯楽であり芸術であり、同時にジャーナリズムでもある。毎日映画コンクールはこの分野での顕彰にも先鞭(せんべん)を付けた。また、毎日映コンの中で、最も変遷を経た賞でもある。
「教育文化映画賞」が創設されたのは第4回(1949年度)だ。49年12月23日付朝刊社告に「内容を充実するため教育、児童、文化、科学、漫画、影絵、記録などの短編を含む広範囲の」分野を対象とするとある。最初の受賞作は、学術映画「こんこん鳥物語」だった。
映画は、科学的な実験や観測、観察や、社会の出来事を映像で記録し伝える有力媒体だった。第6回には「ニュース映画賞」を新設。毎日、朝日、読売の新聞社系などのニュース映画会社が競って製作し、映画館で上映していた短編ニュースを対象とした。
60~70年代には記録映画が盛んに作られたことを反映し、第15回で教育文化映画賞が長編記録映画▽理科映画▽短編劇映画▽科学映画――と細かく分かれた。その後、産業映画、学校教材映画、児童映画などの区分けが次々と現れては消える。企業発注の作品の増加から、63年には毎日新聞社が産業映画協議会を設立し、産業映画コンクールが始まった。このため作品は地方の芸能や文化、芸術家の創作風景などを収めた作品が中心となり、第44回からニュース映画賞と統合し、「記録文化映画賞」となった。
90年代後半になると、ビデオ機器の普及と性能向上で、時事性、社会性の高い作品が急増する一方、文化・芸能などを記録した映画は減少していく。毎日映コンはフィルム作品だけを対象としてきたが、第60回を機にビデオ素材で作られた作品にも門戸を開放、賞の名称も「ドキュメンタリー映画賞」と変更した。現在は応募、受賞作ともほとんどが時事的、社会的作品だ。
2022.2.13