1980年版「将軍 SHOGUN」の大坂城のセット。大映美術陣が粋をこらした=提供写真

1980年版「将軍 SHOGUN」の大坂城のセット。大映美術陣が粋をこらした=提供写真

2024.3.25

「SHOGUN 将軍」1980年版撮影で奮闘した〝サムライ〟映画人たち

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勝田友巳

勝田友巳

ディズニー+で配信中の「SHOGUN 将軍」は、1975年に発表されたベストセラーの2度目の映像化だ。主演の真田広之がプロデューサーも務め、日本を正しく伝えようと努めただけあって、違和感のほとんどない正統的かつ壮大な時代劇。実は80年の最初の映像化でも、映画全盛期を知る日本のカツドウ屋たちがハリウッドから乗り込んできた撮影隊のやり方に度肝を抜かれつつ、誤った日本のイメージを正そうと奮闘したのだ。当時を知る映画人への取材を元に、撮影を振り返ってみる。


「将軍 SHOGUN」より (C) 2014 CBS Studios Inc. SHOGUN and related marks are trademarks of CBS Studios Inc. CBS and related logos are trademarks of CBS Broadcasting Inc. All Rights Reserved. TM, (R) & (C) by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 

三船敏郎、島田陽子、フランキー堺……ゲイシャ、フジヤマただす

ジェームズ・クラベルによる原作は、1600年に豊後に漂着した英国人航海士、ウィリアム・アダムス(三浦按針)と彼を召し抱えた徳川家康をモデルとした歴史小説。嵐に遭って難破した航海士、ブラックソーンが、太閤亡き後日本を統治していた五大老の1人、吉井虎長に拾われる。ブラックソーンは虎長と石堂和成との権力争いに巻き込まれ、通詞の鞠子と恋仲になる。戦国末期の権謀術数と国を超えたロマンスがスケール大きく描かれる。
 
映像化は79年、パラマウントのテレビのミニシリーズとしてドラマ化が企画された。当時のハリウッドの日本描写は、ゲイシャ、フジヤマ、ハラキリの誇張されたステレオタイプの域を出なかったが、本格時代劇を目指したパラマウントの製作陣は、主要な配役に日本人スターを起用、日本人のセリフは日本語で通すことを決める。
 
ブラックソーンはテレビ、映画で活躍していたリチャート・チェンバレン。2024年版で真田広之が演じている虎永を三船敏郎、まりこ(24年版では鞠子)を島田陽子、浅野忠信が演じる柏木矢部(24年版では樫木薮重)をフランキー堺、石堂和成を金子信雄という布陣。まりこ役は人気歌手だったジュディ・オングが降板し、抜てきされた島田陽子はこの作品でゴールデングローブ賞を受賞、一躍〝国際派女優〟として名をはせることになった。
 

1980年版「将軍 SHOGUN」のロケセットを建てるため、三重・紀伊長島の海岸を造成した=提供写真

道造り、山崩して大セット建造

撮影の大半も日本で敢行された。時代考証や建造物のデザインは日本側に任され、美術は大映京都撮影所が引き受けた。大映京都は溝口健二監督の芸術作から勝新太郎、市川雷蔵ら主演の娯楽作まで、時代劇を伝統芸として継承、膨大な知識と経験を蓄積してきた。美術監督の西岡善信を中心に、撮影所スタッフが総出で取りかかることになる。
 
ハリウッド流の撮影は、日本映画界にとって文字通り桁違いだった。製作費30億円。三重・紀伊長島の海岸を主要ロケ地と決めると、まず幹線道路から撮影現場まで、機材と人を運ぶための道路を造る。海岸に迫った山を崩して地形を変え、船着き場と漁村、大坂の町並みのオープンセットを建造してしまった。
 
撮影隊はスタッフ、出演者にその家族まで同行し、約50人。撮影現場近くに適当な宿舎がないため、廃業していたホテルを借り上げて整備し、稼働させた。劇中で主人公が乗ってきた船は、サンフランシスコの博物館に展示されていた船を、撮影のために航海させて持ち込んだ。一方日本の船は、船大工に「3000万円」かけて建造させる。コンピューターグラフィックス(CG)のない時代、背景の海に浮かんでいた養殖場は保証金を支払って撤去させた。


「将軍 SHOGUN」より

大物・三船通じて意見具申

大映の南野梅雄は監督補として参加し、時代や風俗の考証を手伝った。噴飯ものにならないように、おかしなところがあれば監督はプロデューサーに修正を求めるお目付け役。「恥ずかしくないものにしたかった」と意気込んだ。黒澤明監督作品で知られハリウッド映画にも出演していた三船は撮影現場でも一目置かれていたから、その威光を借りて積極的に発言したという。「影響力は大きくて、三船さんが意見すると向こうが黙ってしまう。まずは彼に言いに行きました」

大映京都撮影所最大のA2スタジオには、大坂城のセットが組まれた。ハリウッドの潤沢な資金を得て、大映美術が実力を遺憾なく発揮。日米の美術陣が協力して大がかりで豪華な城内を作り上げた。CGがなくても、いやCGがないからこそ〝本物〟の重厚さが画面に表れている。たて込みを担当した大道具の大ベテラン、馬場正男は「久しぶりに腕を振るった」と話していた。

とはいえ、季節が合わないという意見が「画(え)が優先」と却下されるなど、妥協も強いられた。南野は「おかしなとこがいっぱいあったけど、日本文化への敬意は感じられた」と振り返った。「連中、兜(かぶと)が好きでね。三船さんのがかっこいいと、オレもオレもと注文が来ましたよ」。確かに兜は、やたらと派手で大ブリである。ちなみに24年版の第1話で村人がいきなり首をはねられたり英国船の船員の1人が釜ゆでにされたりする残酷描写は、80年版にもある。原作通りとはいえ、このあたりはまだまだ〝米国人の見たがる〟日本描写かもしれない。


80年版「将軍 SHOGUN」の撮影で三重・紀伊長島に造った漁村の図面。これに隣接して大坂の外観セットもあった=提供写真

フィルムはガンガン回した

閑話休題。ハリウッド式の撮影方法は、〝コンプラ〟〝適正化〟など思いもしない時代の日本映画界にとって衝撃的だった。NGを出さないように汲々(きゅうきゅう)としていた。ところが「SHOGUN」では、シーンを丸ごと、違う角度、サイズで何度も撮影して編集素材を集める方式。日本では考えられないほど「フィルムをガンガン回してました」。特にこの撮影ではテークが多く、海外での撮影経験も豊富だった三船も音を上げたという。「朝に始めて、まずロング。同じ芝居でミディアムサイズで撮って、夕方くらいにやっとアップ。三船さんは朝早くから現場に入って、全部に付き合うわけです。『なんで表情が映るアップを、一番疲れた時に撮らなきゃならないんだ』とぼやいてました」

ジャブジャブと金を注ぐ一方で、日本ならスタッフが奮闘する場面であっさり諦める。馬に乗った三船が立つといい画になる場所があった。しかしハリウッド側は気に入らない。「一部の車両が入れない場所で、スタッフがそろわないから。残念だけど」と取りやめ。「日本なら画が優先。少々無理しても、仕事は互いに補い合って撮るところ」


「将軍 SHOGUN」より

大映の給料遅配、一気に解消

契約社会の米国だけに、働き方も違う。その日の予定を何とか撮りきるまで頑張るのが日本式だが、ハリウッドは割り切っている。「定時を1分でも過ぎたら契約違反。あと5分、カメラを回してくれたらという時でも、続けて割り増し払うのと、翌日やるのと、どっちがいいかをてんびんにかける。スタッフも含めた超過料金は結局高くつく。だから途中でも『カット、お疲れさま』で解散」。撮影中の昼食も豪華で、温かい料理のビュッフェ。給料も破格だったという。

2カ月に及ぶ撮影は、東京・砧の東宝撮影所や兵庫・姫路城などで行われ、12月にクランクアップした。大映にとって「SHOGUN」は干天の慈雨となった。当時日本映画界は不振のただ中で、大映は71年に一度倒産して再建の途中、青息吐息だった。しかしこの撮影受託の恩恵で、遅配だった社員の給料がまとめて支払われたそうだ。作品は米国で80年9月に5夜連続放映され、連日7000万人が視聴したという。日本でも同年、2時間の劇場版が公開、翌年にはテレビで連続放送、こちらも大きな話題となった。

<画像使用作品>

「将軍 SHOGUN」
ブルーレイBOX:18150円(税込み)
発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント
※2024年3月現在の情報です。

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ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

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  • 80年版「将軍 SHOGUN」の撮影で三重・紀伊長島に造った漁村の図面。これに隣接して大坂の外観セットもあった=提供写真
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