第二次世界大戦中の最後の官選沖縄知事・島田叡、警察部長・荒井退造を主人公とした「島守の塔」(毎日新聞社など製作委員会)が公開される(シネスイッチ銀座公開中、8月5日より栃木、兵庫、沖縄、他全国順次公開)。終戦から77年、沖縄返還から50年。日本の戦争体験者が減りつつある一方で、ウクライナでの戦争は毎日のように報じられている。島田が残した「生きろ」のメッセージは、今どう受け止められるのか。「島守の塔」を通して、ひとシネマ流に戦争を考える。
2022.7.18
目を背けてはいけない 戦争映画の女性たちが教えてくれたこと 山田あゆみ
夫の実家がある沖縄を訪れた際に、お墓を見てその大きさに驚いた。沖縄のお墓は、亀甲墓と言って中は6~8畳の広さがあり、まるで小さな家のようだ。また、お墓参りではお墓の前で親戚一同が集まり、皆でお弁当なんかを食べるそう。夫から「小さいころはピクニックか何かだと思っていた」と聞いた時は「先祖は、こうやって集まってくれてうれしいだろうな」などとほほ笑ましく感じたものだった。
亀甲墓が防空壕に 沖縄で感じた生と死
しかし、戦時中にはこの大きなお墓は防空壕(ごう)として使われ、人々がぎゅうぎゅう詰めになって隠れていたといわれている。死を意味するお墓と、その中で生き延びようとする人々、生と死の境界線がまじりあう沖縄の悲しい歴史を身近に感じた瞬間だった。
沖縄本土復帰から50年、この節目の年に沖縄戦を描いた映画「乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~」と「島守の塔」が公開される。
太平洋戦争で日本唯一の地上戦となった沖縄ではひめゆり学徒隊が有名であるが、実際にはその他に20校もの旧制中学の学徒たちが動員された。その中でも、沖縄県立第二高等女学校の56人によって編成された白梅学徒隊について描かれたのが、「乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~」だ。ドキュメンタリーパート約90分、再現ドラマパート約30分で構成されている。
「乙女たちの沖縄戦 白梅学徒の記録」の中山きく©Kムーブ
白梅学徒 最後の語り部の後悔
当時の状況を語ったのは、白梅学徒出身で最後の語り部である中山きくさんと武村豊さん。
中山さんは小学校3年生のころに日中戦争が始まり、軍事教育を刷り込まれた年代。そして、太平洋戦争勃発の年に女学校に入学。その年に日本軍が真珠湾攻撃を行った。その知らせを手をたたいて喜んでいたという中山さんは「全く命の大切さを知らなかった。相手を思いやる気持ちを持てなかった」と語っている。
武村さんが言葉を詰まらせたのは、母親から心配、反対されながらも自ら学徒隊に入隊したことについて語る場面。武村さんは疎開することもできたのに、自ら入隊を決めた。「お国のために傷ついた兵士を救える。私がいなければだれが沖縄を守るんだ」と語気を強めて母に反抗したのだと言う。そして、当時のことを戦時中に亡くなった母親に謝りたいと語った。
当事者たちの言葉よりも重いものはない。2人の口から語られるのは、実際に目にした惨劇、かいだ悪臭、感じた苦痛や恐怖だ。
運び込まれる兵士たちの手当ては、傷口にわくウジ虫を取り除いたり、暗闇の中ノコギリで足や腕を切断する軍医の手元を照らしたり。兵士たちの排せつの世話まで、学徒らが行っていたのだ。当時16歳前後の少女たちの置かれた状況を思うと、血の気が引いた。
「乙女たちの沖縄戦 白梅学徒の記録」の武村豊©Kムーブ
おばあさんが生き残れなかったら、自分はここにいない
だが、私が何より残酷だと思ったのは、兵士でも何でもない少女たちが「お国のために」という強い意識を持っていたという点だった。
少女たちにとって「お国のために」使命を果たすことは当然だった。その呪縛が解けた今、中山さん、武村さんの表情から、深い後悔の念が伝わってくる。
そして、なによりも胸に迫ったのは、中山さんの孫の結婚式でのエピソードだった。式の中で、孫から花束と共にこんなメッセージが送られたのだ。
「もし、おじいさんおばあさんが生き残れなかったら、母さんは生まれてない。僕も生まれてない。今日の結婚式もなかった。おばあさんに感謝している」
「乙女たちの沖縄戦 白梅学徒の記録」の再現パート©Kムーブ
今があるのは命つないだおかげ
自分がいなければ、子や孫たちも存在しなかったと語る中山さんの実感に満ちた思い。生き残ったからつながった命がある、当たり前のようで奇跡ともいえる事実に胸が熱くなった。
ふと、今年亡くなった祖父の顔が浮かんだ。私の母は4人兄妹で、それぞれの娘、息子らにも子がおり、葬儀には幼い子どもたちも参加して、とてもにぎやかだった。祖父に最後のお別れをしている傍らで、無邪気な子どもたちの足音、声がする。
祖父がいなければ、私も、この子たちもここにいなかった……。と、命のつながりを実感し、感じたことのない感動といとしさを抱いたのを、はっきりと覚えている。
戦争は、そんな命のつながりを無残にも断ち切ってしまう暴力なのだ。「乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~」は、命の尊さを当事者たちのリアルな言葉をもって伝えてくれる一作であった。
「島守の塔」©2022映画「島守の塔」製作委員会
「島守の塔」で忠実に映像化
もう一作は、戦中最後の沖縄県知事・島田叡と警察部長の荒井退造。島田の世話役である県職員の女性・比嘉凜に焦点を当て、戦況が悪化していく中で、沖縄県民を率いた者たちと県民の苦悩がいかなるものだったのかを描いた「島守の塔」である。
凜の妹は学徒隊に入隊し、野戦病院に派遣される。傷を負った兵士たちの凄絶(せいぜつ)な苦しみ、その手当てに当たる学徒隊を映した場面には生々しさとリアリティーがあり、「乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~」で中山さんと武村さんが話していたことの忠実な映像化だと感じた。合わせて見ることで、より広い視野で、沖縄戦がもたらした悲劇について知ることができるだろう。
「戦争と女の顔」 戦後を生きる女性の苦悩
一方、現在ウクライナへのロシアの侵攻が続き、日々痛ましい戦況が報道されている。そのような中で、1945年のソ連を舞台にした映画「戦争と女の顔」が日本公開された。第72回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」でプレミア上映され、国際批評家連盟賞と監督賞をダブル受賞した作品だ。
第二次世界大戦直後のレニングラード(現在のサンクトぺテルブルク)を舞台に、傷病軍人病院で働くイーヤ(ビクトリア・ミロシニチェンコ)と、戦友だったマーシャ(バシリサ・ペレリギナ)の2人の女性の苦しみに満ちた生きざまを描いたヒューマンドラマである。
傷ついた心の支えに
戦争のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えるイーヤは、マーシャの息子パーシュカを預かり暮らしていたが、発作によってパーシュカを死なせてしまう。そこへマーシャが戦地から帰還。2人は悲しみを抱えながらも、どうにか安らぎを求めて暮らそうとするが、戦争の傷痕が重くのしかかる…….。
本作は、〝出産〟を一つのテーマとし、女性として戦中、戦後に生きていくことについて描いている。マーシャは、戦禍で度重なる中絶によって、子どもを産めない体になってしまう。どうしても諦めきれないマーシャは、代わりにイーヤに子どもを産むよう頼み、イーヤはそれを戸惑いながら受け入れようとする。
マーシャが「体の中に人間が欲しい。心の支えに」というセリフがある。戦場で、男たちに体を売ることで生き抜いてきたマーシャは、自身の誇りや喜びを見失ってしまったのかもしれない。唯一残った生きがい、希望が子どもの存在だったのだ。
「戦争と女の顔」© Non-Stop Production, LLC, 2019
奪われたものに気付く場面に漂う絶望感
そんなマーシャについて忘れられないシーンがある。仕立て屋に頼まれたマーシャが、緑色のドレスワンピースを着たシーンだ。
戦地では着ることができなかったワンピースを着た喜びから、まるで少女のようにはしゃぎ、くるくると回って見せるマーシャだが、次第にその表情は曇っていく。絶望とやり場のない怒りを体いっぱいで表現するマーシャ。そんなマーシャに、イーヤは優しさだけではない感情をぶつける。
セリフは無いが、マーシャとイーヤの激しい感情が入り交じるこのシーンの熱量はすさまじい。マーシャは戦前の自分を思い出し、体も、そして心も元には戻れないと改めて気付いたのではないだろうか。彼女の悲しみと諦めが交じった絶妙な表情を見ていて、私はやりきれない絶望感で打ちのめされてしまった。
「戦争と女の顔」© Non-Stop Production, LLC, 2019
今も苦しむ人がいる 過去の話ではない
正直なところ、戦争映画を見ることは辛い。それが感情移入できる作品であれば、なおさらだ。
現在の日本で生きる私には、この3作品に登場する人物の苦しみを全て理解することは、到底できないと思う。全て女性視点で描かれているにもかかわらず、である。
だが、全て理解できなくとも、知ることから始まるのだ。これは過去の話ではない。ウクライナで戦争が起きている今、さまざまな暴力にさらされている女性はいるはずだ。白梅隊のように純粋な少女たちが今も死の淵に立たされているかもしれない。
そんな中、今の私にもできることは過去の戦争や世界の現状を知り、戦禍の中にいる人から目を背けないこと。「戦争は悲劇を生む」、そのことを改めて感じさせてくれる映画に出会えたことに感謝したい。
「乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~」は8月2日、東京・東京写真美術館ホールなどで公開。全国でも順次。
「島守の塔」は、東京・シネスイッチ銀座で7月22日公開。全国でも順次。
「戦争と女の顔」は、東京・新宿武蔵野館ほかで公開中。