「青春墓場」の奥田庸介監督=三浦研吾撮影

「青春墓場」の奥田庸介監督=三浦研吾撮影

2023.7.07

映画以外に救われる道はない! 私が「青春墓場」を自主製作したわけ 奥田庸介

分かりやすく誰もが楽しめるわけではないけれど、キラリと光る、心に刺さる作品は、小さな規模の映画にあったりする。志を持った作り手や上映する映画館がなかったら、映画の多様性は失われてしまうだろう。コロナ禍で特に深刻な影響を受けたのが、そんな映画の担い手たちだ。ひとシネマは、インディペンデントの心意気を持った、個性ある作品と映画館を応援します。がんばれ、インディースピリット!

奥田庸介

奥田庸介

私の6年ぶりの新作がこの度公開される事になりました。完全なる自主製作映画です。トラブル続きだった上、撮影終了後すぐコロナ禍に突入してしまい公開まで6年もかかってしまいました。6年というと、学生時代一緒に映画を撮っていた友人が結婚して、赤ちゃんが生まれて、その子が歩いて、おしゃべりもするようになって、2人目が生まれたよって連絡が来るぐらいの長い時間です。社会も大きく変わりました。6年前に今の世の中を誰が想像できたでしょうか? 私がこの映画にささげた長い時を思うと、なんとも言えない気持ちになります。
 


 

25歳で商業映画デビューしたものの

私は映画監督としてのスタートが早く、25歳で商業映画「東京プレイボーイクラブ」を撮りました。学生時代は自分を顧みる暇も無く勢いで自主映画を撮り続け、商業デビューの切符を獲得する事ができました。しかしいざ商業映画を撮ってみると、今まで自分がやってきた事がなんだったのか分からなくなってしまいました。今思えばその時点が映画監督としての本当のスタートだったのでしょう。
 
映画はお金がたくさんかかりますし、たくさんの人たちとの共同作業です。絵画のように自分の世界観を自分で具現化する事はできません。スタッフの皆さんと膝を突き合わせて話し合い、しっかりと自分のイメージを伝える事が大事になってきます。


ふて寝→金欠→バイト→やめる→ふて寝

そしてたくさんかかるお金はもちろん私のお金ではないですから、お金を出してくれる人の意見は聞かないといけません。中学生の頃の将来の夢が「木こり」だったくらいに他人との関わりに恐れを感じていた私には、商業映画はあまりにも高い壁でした。とにかく他人が怖くて仕方がないので、自分を守ろうと必要以上に意地を張ってしまいました。
 
そんな人に監督は務まらないのです。ふて寝する、金が無くなる、バイトする、バイトやめる、ふて寝するのループをひたすら繰り返す日々が続き、全てが嫌になって映画をやめようと何度も思いました。


「映画監督なんだってね」

ずいぶん前ですが、こんな事がありました。アルバイトで関東の某ショッピングモールのフードコートの清掃をしていた時です。フードコートは小さい子がたくさん来るので食べこぼしが多く、私はいつも残飯まみれになっていました。しかし清掃員不足で1人でフードコート全体の掃除を任され、そんな事構っていられません。右手にモップ左手に雑巾、腰に霧吹きを装着して、フードコート中を駆け回っていました。
 
汗が滴るスキンヘッドを輝かし、スカイブルーのポロシャツをパッツパツに着こなして(私の体に合うユニフォームがありませんでした)働く人間が場違いだったのでしょう。ある日、清掃業務の責任者とモール全体の責任者が楽しそうにスマートフォン片手に私を見ていました。私は嫌な予感がしたので無視していたのですが、モール全体の責任者が私に歩み寄り「君、映画監督なんだってね」と言ったのです。
 
私は全身が総毛立ち、動きが止まってしまいました。何も言えずに立っているとその人は続けて「なんでこんな所で働いているの?」と笑いながら言いました。無視して清掃作業を再開した私にその人は「いろいろ大変なんだねえ」と言って去って行きました。商業映画を有名俳優で撮った過去がある男が、フードコートの残飯処理をしている姿は、彼らの自己肯定感を高めた事でしょう。「お前は無能だ」と言われた気がしました。つらい時、皆さんはいつもどうしているのでしょうか?


ここまで人生を支配されるとは……

私はつらい事や悲しい事、悩みや苦しみを消化するのに、映画を作るしか方法を知らないのです。何をしていても結局最後はいつも映画に戻ってきてしまいます。もし映画以外に自分を救う手段があれば飛びついている気がしますが、今のところ見付かる気配はありません。若い頃は格闘技に救いを求めようとしましたが、無理でした(ヘルニアになりました)。
 
確かに小さい頃から映画は大好きでしたが、ここまで映画に人生を支配されるとは思いもしませんでした。しかし皮肉な事にここまで映画に魅入られたにも関わらず、映画は簡単には作れないのです。体にどんどんたまる「毒」に苦しんだ揚げ句、やむにやまれずれず自主製作で映画を作りました。それがこの度公開される「青春墓場」です。
 

切実さ求める観客を信じて

ここ数年で映画のサブスクリプションが普及して映画やドラマがとても身近になりました。話題の新作も過去の傑作も簡単に見られます。動画共有サイトで面白い映像もたくさん見る事が出来ます。一生かかっても見切れないほどの傑作が既にあり、それがどこでだって見られる世の中です。
 
冷静に考えてみますと、私の様な鈍臭いのが映画を作ってなんになるのかなあ、と思ってしまう時もあるのですが、それでも私は自分を救うために映画を作る以外道はないのです。そういう切実な映画を求めている観客もきっといると信じています。信じないとやってられません。

「青春墓場」© 映画蛮族

ライター
奥田庸介

奥田庸介

おくだ・ようすけ 1986年生まれ。早稲田大川口芸術学校の卒業制作「青春墓場」(2008年)がゆうばり国際ファンタスティック映画祭に入選。10年「青春墓場 明日と一緒に歩くのだ」で同映画祭グランプリ。11年「東京プレイボーイクラブ」で商業映画監督デビュー。韓国・プサン国際映画祭、ロッテルダム国際映画祭などに出品された。ほかに「クズとブスとゲス」(15年)、「ろくでなし」(17年)。最新作「青春墓場」が23年7月に公開。

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