いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、大野友嘉子、梅山富美子の3人に加え、各ジャンルの精鋭たちが不定期で寄稿します。
2023.9.25
独裁者アウグスト・ピノチェトが吸血鬼、驚きの設定をダークコメディーに仕立てた風刺劇「伯爵」:オンラインの森
チリを代表する映画監督、パブロ・ララインの最新作「伯爵」がNetflixで配信されている。先月末から開催された第80回ベネチア国際映画祭で脚本賞に輝いたばかりの注目作だ。
チリの映画、と言われるとなじみがないと感じるひともいるかもしれないが、ララインはナタリー・ポートマンがジョン・F・ケネディ大統領夫人だったジャクリーンを演じた「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」や、クリステン・スチュワートがダイアナ元皇太子妃を演じた「スペンサー ダイアナの決意」を手がけるなど英語圏でも活躍しており、日本公開作は多い。
ララインは歴史的人物や事件をモチーフにした伝記的な作品で有名になったが、母国チリで撮った「エマ、愛の罠」では、個人の目的のために古い価値観を焼き払うラジカルな女性像を打ち出して世界を驚かせるなど、常に何が飛び出すのか油断がならない存在でもある。
そのララインが、おそらくキャリアで最も破天荒な問題作を作り上げたのがこの「伯爵」だ。主人公は、1973年から1990年までチリの大統領の座に就き、独裁者として絶大な権勢を誇ったアウグスト・ピノチェト。しかし伝記映画ではまったくない。ララインは2006年に91歳で没したピノチェトを、なんと「250年前から生きている不死身の吸血鬼」として描いているのだ。
あらすじのムチャクチャさに頭を抱えてしまう
劇中のピノチェトは自らの死を偽装し、妻と人里離れたへき地の屋敷で暮らしている。しかし永遠の命にうみ、5人の子供にすべての財産を譲ると言い出す。ところが途方もない財産がどれくらいあって、どこに隠されているのかピノチェト本人もよく覚えていないらしい。そこで会計士助手の美しい女性、カルメンが資産の調査のためにやってくる。ところがカルメンの正体は、吸血鬼退治のために教会から派遣されたエクソシストだった!
と、ざっくりとあらすじを書いてみたが、われながら何を書いているのか頭を抱えてしまうくらいムチャクチャである。劇中のピノチェトはフランス革命で王政が倒される瞬間を目撃し、以来、世界各地で革命を阻止することに情熱を注いできた。そして自らも表舞台に出ることを決意し、チリで武装蜂起を先導して大統領になった、というのである。
もちろんこれはフィクションだし、吸血鬼VS美人エクソシストという図式は完全にB級映画ノリに思える。しかしララインは、権力を乱用して私腹を肥やし、大勢の政敵や民衆を虐殺してきたピノチェトの実人生のエッセンスをあちこちに埋め込んで、皮肉に満ちたブラックコメディーに仕立て上げた。
圧倒的に美しいモノクロ映像に収められた、重層的な面白さ
ピノチェトが吸血鬼であることは、当然ながら国民の血を吸い上げてきたことへのストレートな隠喩だろう。ピノチェトが人間の生き血をすすり、心臓を食らって生き続けている設定も、チリで犠牲になった人々が膨大な数であり、今もその影響から脱していないことを示している。
しかしララインは、矛先をさらに全方位に向けている。人間の欲望の愚かしさ、権力への執着、権力者にひき付けられる大衆心理、老いと性の問題、連綿と続く暴力と弾圧の歴史など、さまざまなテーマが折り重ねられていて、正直一度見ただけくらいでどこまで理解できているのだろうかと不安にすらなる。
ところが目の前で繰り広げられる事象やビジュアルは、どこを切ってもやたらと面白いのだ。前述したB級映画的な要素も、政治的な批判も、圧倒的に美しいモノクロ映像に収められていて、もしこれがB級映画ならば、これほど格調高く撮られたB級映画もあるまい。
振り返ればララインは、過去にもピノチェト政権時代を扱った作品をいくつも撮っている。しかし今回、ララインが挑み続けてきた「歴史上の有名人をフィクショナルな寓話(ぐうわ)として描く」アプローチがより先鋭化されて、異形の風刺ファンタジーが産み落とされた。まずは難しく考えずに「ヘンな映画だなあ」と珍奇なものとして楽しめばいいし、その上でどこかしら現実とのリンクを感じて思わずゾッとさせられる作品である。
Netflix映画「伯爵」は独占配信中。