藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。
2022.8.29
料理から知る「フランスとは何か」 「デリシュ!」:いつでもシネマ
おいしい料理は、フランスの誇り。どこの国の料理がいちばんおいしいかなんて問いを立てたら議論は分かれるでしょうし、特にある国のお料理をほかの国のお料理よりも持ち上げる必要なんてありませんけれど、フランスがお料理に国民的な誇りを持っていることには間違いがないでしょう。
暗闇の調理場で動き回る料理人
だから、お料理がフランス映画の素材になるのは当たり前すぎるくらい当たり前のこと。最近に限っても「シェフ! 〜三ツ星レストランの舞台裏へようこそ〜」とか「大統領の料理人」とか、見るだけでおなかがすいてくるような映画がたくさんあります。でも、居並ぶお料理映画のなかで、この「デリシュ!」は、もっと先を行く。フランス料理を通して、フランスとは何かを表現しているからです。
時代は、1789年。既に革命への動きは始まっており、バスティーユ襲撃までもうちょっとという頃です。舞台は、シャンフォール公爵の広壮な館。映画は、宴席の準備で大忙しの調理場から始まります。時代が時代ですから調理場のなかは決して明るくありませんが、僅かに差し掛かる光はあるわけで、その光によって、お料理やお菓子、そして調理する人の顔も見えてくる。暗いなかなのに色彩までが画面に映えるところが、美術館に並べられた泰西名画のように美しいんです。
それに画面が静止しているわけではありません。映画の主人公はシャンフォール公爵お抱えの料理人のマンスロンなんですが、このマンスロンが調理場をあちらこちらへと動き回って料理作りの指揮をとるのをカメラが追いかけてゆく。もうこの場面だけで、この映画いいぞ、この調子、という気持ちになってしまいます。
光に満ちた食堂の貴族たち
次の場面は暗がりのような調理室とは打って変わって、窓から差し込む光に満たされた、それはそれは豪奢(ごうしゃ)な食堂です。暗闇の調理室と光の中の食堂という対比が、仕える者と支配する者のコントラストを視覚的に示しています。
その食堂に居並ぶのは、もう見るからに上流階級という人たちでして、大げさな衣装と鬘(かつら)を身に纏(まと)い、顔中にお化粧なんてほどこしていて、ホストのシャンフォール公爵も傲慢そのもの。そのいかにも不愉快な人たちがお食事を済ませると、シェフのマンスロンが呼びよせられます。料理を作った人に謝意を示すのは当然のことにも思われますが、これがまたいかにも上から目線でして、料理人をたたえると言うよりもその料理人をお抱えにした公爵への社交辞令のような褒め言葉なんです。
土の中のものを客に出すとは
それでも皆さん、最初はこんなおいしい料理はない、すばらしいなんて褒めてくれるんですが、ゲストのひとりの聖職者は、最初に出されたジャガイモとトリュフのお料理はいけない、土の中のものをお客に出すのはおかしいじゃないかと不満を漏らすんですね。
マンスロンがデリシュと名付けたこのお料理、公爵に言いつかったメニューのなかには入っていないオリジナルな一品だったんですが、まさに言われたとおりのお料理じゃないために攻撃の対象にされてしまったんです。
それまで褒めるばっかりだったゲストは一転して料理の批判に転じ、土の中のものを食べるなんて豚じゃないんだからなどと、マンスロンを愚弄(ぐろう)するような言葉まで投げかけられます。シャンフォール公爵はマンスロンに謝罪を求めますが、マンスロンはそれを拒む。自分がつくった自慢のお料理を出したことについて、謝ることができないんです。で、マンスロンはクビ、お屋敷から追い出されてしまう。息子とともに、実家の旅籠(はたご)屋に移り住むことになります。
失意の職人に弟子入り志願
出した料理が気に入らないから解雇されるなんてそれだけでひどい話ですが、時代が時代ですから、貴族のお抱えでないと料理人には仕事がないんですね。マンスロンは旅籠でパンを焼いたりしますけど、料理一筋に生きてきた人ですから、料理を奪われたら生きる希望がなくなってしまう。人生の目的を失ったマンスロンは尾羽打ち枯らした姿になってしまいます。
これじゃあ映画が先に進まないと心配していると、そこに謎の女性ルイーズが現れます。あなたに料理を教わりたい、弟子にしてほしいと言うんですね。マンスロンは断り続けますが、ルイーズもなかなか強引で、結局弟子入りを認めることになります。そしてルイーズの働きがあって、旅籠屋で食事も出すようになる。なにぶん腕のいいマンスロンのこと、おいしい料理だという評判がシャンフォール公爵の耳に入ります。
これは、過去の時代を再現したりおいしいお料理を映したりする映画ではありません。昔の時代を麗々しく描いた映画をコスチュームプレーなんて呼びますが、この映画、コスチュームプレーに終わっていない。カメラも照明も美術も絶品で、食材もお料理も一幅の絵のようですが、大事なのはフランス革命直前という時代設定なんですね。
自由に生きる社会の創造
王侯貴族だけのための美食でいいのか。お偉方じゃなくてもおいしいお食事を食べたっていいじゃないか。レストラン、つまりお客さんを集めてお料理を提供する場は、フランス革命、バスティーユ襲撃と前後して生まれたものだった。映画の筋書きを割ってしまうようですが、これはフランスにレストランが始まった、その起源をたどった作品なんです。
フランスはお料理がおいしいだけじゃない。お金さえ払ったなら誰でもおいしいお料理を食べることのできる社会をつくったからフランスなんだ。フランス革命のことをひとりひとりの人間が自由に生きる社会の創造というのはちょっと褒めすぎなんですが、それこそがフランスの誇りなんでしょう。お料理に始まってフランスとは何かで終わる思いがけない映画でした。