「ポップスが最高に輝いた夜」より © 2024 Netflix,Inc.

「ポップスが最高に輝いた夜」より © 2024 Netflix,Inc.

2024.3.04

マイケル・ジャクソンらアメリカ音楽界のレジェンドたちが集った「ウィ・アー・ザ・ワールド」誕生の舞台裏に迫った「ポップスが最高に輝いた夜」:オンラインの森

いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、村山章、大野友嘉子、梅山富美子の4人です。

村山章

村山章

1985年にリリースされたUSAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、おそらく世界で一番有名なチャリティーソングだろう。

きっかけは、前年にイギリスとアイルランドの人気ミュージシャンが集結したアフリカ飢餓救済のチャリティープロジェクト「バンド・エイド」だった。それに触発されたアメリカの大御所ミュージシャン、ハリー・ベラフォンテが発起人となって生まれたのがUSAフォー・アフリカで、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共作した楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」に当時のアメリカ音楽界を代表する45人が参加し、世界中で爆発的なヒットになった。

今年1月にNetflixで配信が始まったドキュメンタリー「ポップスが最高に輝いた日」は、45人のスターたちがひとつのスタジオに集まり、たった一夜で録音された「ウィ・アー・ザ・ワールド」誕生の舞台裏を描いている。
 

レコーディングについて振り返る(左上から時計回りに)シンディ・ローパー、ライオネル・リッチー、シーラ・E、スモーキー・ロビンソン

舞台裏は想像以上にカオスな状態だった

当時中学生だった筆者は、「ウィ・アー・ザ・ワールド」で「海外アーティストは困った人を助けるためならここまで本気で協力するのか!」と驚いた。欧米ではチャリティーは成功者の義務として捉えられていると聞くが、「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加していたのはまさにスター中のスターたち。どんなオールスターキャストの超大作映画にも負けないインパクトが「ウィ・アー・ザ・ワールド」にはあって、その一枚岩の善意は、豊かさに浮かれていた80年代の象徴でもあった。

しかしこちらも大人になり、「ウィ・アー・ザ・ワールド」のような一大プロジェクトを実現させることが、いかに困難な大事業であったかに想像が及ぶようになる。レコーディングが行われたスタジオの入り口には「エゴはここで捨てろ」と書いた紙が貼られていたそうだが、強烈なエゴを武器にしてきたスターたちが、そう簡単にまとまった団体行動ができるわけがない。
 
しかも(レコーディング時間を短縮するために)全員が同じ部屋で、たくさん立てられたマイクの前で歌ったのだ。技術的なことだけを考えても関係者の苦労(と気苦労)に気が遠くなってくる。

ドキュメンタリーを見ると、想像した以上にカオスな現場でハラハラせずにいられない。曲は突貫工事の猛スピードで作られ、これだけの数のミュージシャンを集められたのは、年に1度の大イベント「アメリカン・ミュージック・アワード」に大勢が出演するとわかっていたから。
 
テレビの生中継が終わると参加者はその足でA&Mスタジオに移動しなくてはならず、作曲者でプロジェクトの中心人物だったライオネル・リッチーはその年の「アメリカン・ミュージック・アワード」の司会役まで務めていた。「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、同イベントに便乗できたおかげで実現したと言っていい。

USAフォー・アフリカのプロジェクトはご存じのように大成功を収めたが、筆者個人の話をすると、「ウィ・アー・ザ・ワールド」が名曲なのかどうか、正直ずっと判別できずにいた。あまりにも善意を押し出したメッセージとキャッチーなメロディー。たしかによくできたポップソングだし、豪華な顔ぶれに胸が躍って幾度となく聴きまくった。しかし同時に気恥ずかしくてちょっとダサい、と思っていたのは自分だけではないはずだ(と信じている)。

しかしレコーディング風景を目撃し、実際にプロジェクトに参加したブルース・スプリングスティーンやシンディ・ローパーやヒューイ・ルイスやライオネル・リッチーらのコメントを聞いていると、やはり「ウィ・アー・ザ・ワールド」は奇跡だったのだと思う。
 
というのも、短いソロパートを分け合ったポップスターたちは、大勢がひしめく慣れないレコーディング環境に戸惑い、お互いにけん制し合い、ときに自分をより大物と比べて卑下し、疲労や眠気と闘いながら、他の誰にも負けられない覚悟でパフォーマンスに挑んでいたからだ。
 

奇跡の96分を堪能してほしい

プロデューサーのクインシー・ジョーンズの采配も素晴らしかったのだろう。今あらためて聴くと(そして映像を見ると)、それぞれの短いパートにきちんとそれぞれの個性が発揮されていることに感動する。ベタでわかりやすいメロディーでも、いや、ベタでわかりやすいメロディーだからこそ、自分の歌い方、節回し、クセを持ち込んで絶妙にアレンジを加えていて、しかも互いを殺すことなくアンサンブルが成立している。40年近くを経てその過程を目撃することはエキサイティングのひと言に尽きる。

実際、曲がリリースされて以降、大勢が「ウィ・アー・ザ・ワールド」をライブで歌う機会が何度かあって、その多くをインターネットで見ることができるのだが、成功したと思えるパフォーマンスにはほとんど出合えない。
 
誰かが我を出そうとしすぎたり、歌い継ぎがうまくいかなかったり、上滑りして曲がやたらと凡庸に聞こえてしまったり、改めていかに絶妙なバランスで成り立った難しい曲なのかを思い知る。やはり、あの晩にあの顔ぶれで録音された「ウィ・アー・ザ・ワールド」こそが正解であり、唯一無二の最高のバージョンなのだとこのドキュメンタリーに教えられた。

しかしボブ・ディランはどうして参加を承諾したのだろうか? ディランは当時すでに伝説的かつ孤高の存在だったが、明らかにメンバーの中でも浮いていて、スタジオでも終始厳しい顔で居心地悪そうにモジモジしている。もちろん完成した曲を知っているから、ディランが自己流に崩した歌い方でみごとに自分のパートを歌いきったのはわかっている。が、まさか大失敗をすんでのところで食い止めた、こんな秘話があったとは!

もちろん本ドキュンタリーの一番おいしいところでもあるディランのソロパートの顚末(てんまつ)についてのネタバレはしない。ほかにもスターたちの思いがけない素顔にハッとさせられるので、この一夜の奇跡を描いた96分間を、ぜひご覧いただきたい。
 
「ポップスが最高に輝いた夜」はNetflixで独占配信中

ライター
村山章

村山章

むらやま・あきら 1971年生まれ。映像編集を経てフリーライターとなり、雑誌、WEB、新聞等で映画関連の記事を寄稿。近年はラジオやテレビの出演、海外のインディペンデント映画の配給業務など多岐にわたって活動中。

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