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2025.1.13
アメリカの人種問題と歴史を、ある家族とピアノをフックに濃密な会話劇に仕上げた「ピアノ・レッスン」
1936年、大恐慌後のピッツバーグ。一軒の家にたたずむ一台のピアノが、アメリカの深い傷痕と向き合う人々の心を映し出す。2024年11月22日(金)からNetflixにて世界独占配信されている映画「ピアノ・レッスン」は、単なる家族の物語を超えて、アメリカの人種問題と歴史の重みを、静かに、しかし力強く描き出す傑作だ。
デンゼル・ワシントン一家が作り上げた「継承」のドラマ
物語の中心となるのは、ドーカー・チャールズ(サミュエル・L・ジャクソン)らの家に代々受け継がれてきたピアノ。そのピアノには、奴隷制時代を生きた先祖の手によって精緻な模様が彫り込まれている。それは単なる装飾ではなく、一族の歴史そのものを語る証しとなっている。この「語り部」としてのピアノを巡り、姉のバーニース(ダニエル・デッドワイラー)と弟のボーイ・ウィリー(ジョン・デビッド・ワシントン)の価値観が激しくぶつかり合う。
本作の真骨頂は、実力派キャストたちが繰り広げる濃密な会話劇にある。薄暗い室内を主な舞台として、テンポよく展開される対話は、それぞれの登場人物が抱える葛藤を鮮やかに描き出す。特に、ピアノを売却するか否かを巡る姉弟の激しい対立・口論は、単なる物品の処遇を超えた深い意味を帯びている。
バーニースにとってピアノは、消し去ることのできない過去とのつながりであり、家族の記憶そのものだ。一方のボーイ・ウィリーは、その価値を金銭に換えることで、新たな人生を切り開こうとする。どちらも先祖への敬意を失っているわけではない。ただ、その継承の形が異なるだけなのだ。
演技陣の力量も特筆に値する。サミュエル・L・ジャクソンは、ドーカー役で重厚な存在感を示し、物語全体を支える柱となっている。「セキュリティ・チェック」でもNetflixオリジナル作品と縁のあるダニエル・デッドワイラーが描き上げたバーニース像は、過去への執着と未来への不安が交錯する複雑な心情を繊細に表現。
そして、ジョン・デビッド・ワシントンのボーイ・ウィリー役は、これまでの「TENET テネット」や「ザ・クリエイター/創造者」で見せてきた抑制の利いた演技とは一線を画す。普段の淡々とした口調から一転、高めの声色で感情を爆発させ、時にヒステリックに言葉を投げつける姿は、彼の新境地と呼ぶにふさわしい。その激しい感情表現は、先祖から受け継いだピアノへの複雑な思いと、それを金に換えることで人生を切り開こうとする切実な願いを説得力たっぷりに体現している。
本作は、デンゼル・ワシントン一家が総力を挙げて製作に関わった作品でもある。ボーイ・ウィリーを演じた息子ジョン・デビッドだけでなく、もうひとりの息子マルコム・ワシントンが監督を務め、デンゼル自身と娘のカティアがプロデューサーとして参加。さらに、デンゼルの妻ポーレッタと娘オリビアも出演している。この家族的な製作体制が、作品のテーマである「継承」に深い説得力を与えているように思える。
音楽の使われ方が印象に残る
印象的なのは、劇中で描かれる音楽のシーン。特に、登場人物たちが床を踏み鳴らしながら歌を歌うシーンは圧巻だ。それは単なるパフォーマンスではなく、抑圧された歴史の中で培われてきた魂の奔流のように感じられ、黒人たちの絆、そして世代を超えて受け継がれてきた文化の力強さを象徴するかのようだった。
「ピアノ・レッスン」は、アメリカの人種問題、奴隷制の歴史という重いテーマを扱いながらも、決して説教臭くならない。それは、個々の人物の生き方や価値観を丁寧に描き出すことで、観客に考えるきっかけを与えているからだ。過去を背負いながら未来を見つめる――その普遍的なテーマは、黒人たちのみならず、現代の私たちの心にも強く響いてくる。
重厚な会話劇作品でありながら、その展開は常に生き生きとしている。演技と撮影の工夫によって限られた空間の中で繰り広げる濃密な人間ドラマは、まさに映画という芸術の神髄を見せつける。Netflixの配信作品として、より多くの観客が今作に触れられることは、とても意義深いことだと言えるだろう。
Netflix映画「ピアノ・レッスン」は独占配信中。