髙野悦子総支配人(中央)とアンジェイ・ワイダ監督夫妻=2000年5月、提供写真

髙野悦子総支配人(中央)とアンジェイ・ワイダ監督夫妻=2000年5月、提供写真

2022.6.15

総支配人・髙野悦子が残した岩波ホールの〝イズム〟とは:女たちとスクリーン⑨ 

「男性映画」とは言わないのに「女性映画」、なんかヘン。しかし長年男性支配が続いていた映画製作現場にも、最近は女性スタッフが増え、女性監督の活躍も目立ち始めてきました。長く男性に支配されてきた映画界で、女性がどう息づいてきたのか、女性の視点や感性で映画や社会を見たらどうなるか。毎日新聞映画記者の鈴木隆が、さまざまな女性映画人やその仕事を検証します。映画の新たな側面が、見えてきそうです。
 

鈴木隆

鈴木隆

 岩波ホール総支配人の髙野悦子は、エキプ・ド・シネマ(映画の仲間=名画上映運動)を軌道に乗せ、公開が難しいとされた作品に独自の光を当てた。巨匠たちの日の目を見なかった作品や女性監督、第三世界の映画、反戦を唱える作品などを多数世に送り出した。その根底にあるのは長年培った映画愛であり、権力や差別、戦争にあらがう人たちへの思いだ。元岩波ホール企画室長の大竹洋子さんと髙野さんの元秘書・石井淑子さんのインタビュー2回目は、脈々と続いてきた髙野イズムに話が及んだ。
 

大竹洋子さん(左)と石井淑子さん

大竹洋子さん、石井淑子さんに聞く(2) 女性監督、第三世界、非戦

 
--岩波ホールの上映作品の選び方は。
 
大竹 髙野悦子さんが上映したい作品を選んできて、夜にホールで映してスタッフみんなで見た。ご自身が買い付けてくることはほとんどなかったが、髙野さんが映画祭で「上映したい」と思った作品を選んで配給会社の人と話をしたり、フィルムを見せてもらったりして俎上(そじょう)に上げた。配給会社からこの作品は岩波さんで上映しては、と持ちかけてくることもあった。
 

大竹洋子さん

文化祭の延長みたいなホールの仕事

--上映作品は合議制で決めた。
 
石井 髙野さんがいいと思った作品をみんなで見て、感想を好き勝手に言うような雰囲気だった。合議で上映を決めたから、上映の準備も一丸となってできた。一人でもやりたくない人がいたら、その力は半減していたと思う。
 
こんなこともあった。2005年7月公開の「輝ける青春」は6時間を超える大作ながら大ヒットして、スタッフも全員バタバタと大忙しだった。ある時、それを見ていたお客さんから「文化祭みたいで楽しそうですね」と言われた。正直に言ってホールの仕事は、学生時代の文化祭の延長みたいなところがあった。
 
--エキプの当初は、ベルイマンやビスコンティ、アンゲロプロス、ブレッソン、ルノワールなど巨匠たちの作品が多かったが、次第に変化していった。
 
石井 髙野さんは亡くなるまで約40年間エキプの活動をしてきたが、以前に聞いた時にこう話していた。最初の10年は巨匠たちの時代、そのあと10年、いや20年は入り組んでいるが、第三世界と女性監督の映画、最後の10年は非戦の時代。最後の10年では、黒木和雄監督の「美しい夏キリシマ」などの3部作や羽田澄子監督の「嗚呼 満蒙開拓団」などが顕著な例だ。10年単位で変化していった。時代の流れもあって、ごく自然にそんな傾向になった。
 
「キリシマ」の上映が決まる前に黒木監督と話をした時に「黒木さんの必死さが伝わってきた。戦争を知っている人たちが残した作品をやらなければいけない」とはっきりと言っていた。髙野さんも満州で育ち、富山に引き揚げてきた。あの時代を反省する気持ちもあった。特に、お父さんが満鉄に勤めていたから、侵略者側の娘、ということを本人は強く意識していた。それこそ、映画は作れないが、そういう非戦の思いで作った人たちの映画を上映しなければと強く考えていた。髙野さんの中での変化が上映作品にも反映された。
 

石井淑子さん

少数派、反権力の思いをふつふつと

--女性監督の作品、小さな国の映画もいち早く上映してきた。
 
大竹 マルガレーテ・フォン・トロッタ監督やヘルマ・サンダース・ブラームス監督など女性監督の作品が増えたのは、髙野さんが外国でたくさんそうした作品を見てきたからだろう。女性が世の中や社会を見る感覚を大事にしていた。外国の女性監督は時代を先取りして、政治や経済、社会を変えていこうという作品を作っていた。そこに目を向けようとした。
 
石井 女性監督の作品と重なる部分もあるが、髙野さんは少数派の意見を大切にしてきた。欧米だけでなく、アフリカやアジア、中東など小さい国で作られた映画、映画小国の作品を大事に思ってきた。
 
大竹 こぶしを上げて反権力という人ではないけれど、女性や少数派、反権力という考え方が全身にふつふつと沸いていたし、そうした作品がうまくいくと本当にうれしそうだった。
 
石井 私たちも、小さな国の映画や女性監督の映画、権力にあらがう映画から多くのことを学ばせてもらった。岩波ホールにかかわっていなかったなら、見過ごしてしまった作品がたくさんあっただろうと改めて思っている。


「3人の女性映画人をお祝いする会」に出席した(左から)岩波ホールの岩波律子支配人、髙野悦子総支配人、秘書の石井淑子さん(1976年3月7日、東京・永田町のキャピタル東急ホテルで)=石井さん提供 

言うべきことは言う人

--それでも、興行だからホールの観客の入りが良くないときもあった。
 
石井 確かにお客さんはすごく入った作品も、全く入らなかった作品もあったが、公開前にみんな全力投球した。お客さんが来る来ないはしょうがない、残念だが仕方がない、という雰囲気があった。髙野さんもうるさく言う人ではなかった。
 
--髙野イズムというか、髙野さんらしさの一端を。
 
大竹 偉い人が目の前にいても、そういう人に対して決して卑屈にはならなかった。髙野さんらしいところの一つだ。
 
石井 緊張はするけど、どこに行っても、どんな場所に立っても、言うべきことは言う人。ただ、言い方がうまい。決して人を傷つけたりはしない。これは、天性のもののような気がする。
 
--映画に向き合っても変わらない。
 
石井 作品の監督が本当にいいたいことを心から大切にしてきた。例えば民族の魂とか、宗教的な制約があっても、権力の弾圧に負けない人、くじけない人が好きだし大事にしていた。一本筋が通っているというか、柱のようなものを持っている人でした。
 
 

岩波ホール

 
東京都千代田区神田神保町交差点の岩波神保町ビル内にある映画館。1968年にオープンし演劇、講演会など多目的のホールとして使用されていたが、74年2月から東宝東和の川喜多かしこと髙野悦子が中心になり、大手配給会社が扱わない数々の名作・秀作を発掘して日本に紹介する「エキプ・ド・シネマ」運動を展開してきた。第1回作品はインドの巨匠サタジット・レイ監督の「大樹のうた」。ミニシアターとして草分け的な存在にもなった。総支配人は岩波書店の社長を務めた岩波雄二郎の義妹で映画運動家の髙野悦子で、2013年2月の死去以降はめい(雄二郎の娘)の岩波律子が支配人を務めてきた。コロナ禍を含む経営環境の悪化を原因に22年7月29日の閉館が決まっている。

ライター
鈴木隆

鈴木隆

すずき・たかし 元毎日新聞記者。1957年神奈川県生まれ。書店勤務、雑誌記者、経済紙記者を経て毎日新聞入社。千葉支局、中部本社経済部などの後、学芸部で映画を担当。著書に俳優、原田美枝子さんの聞き書き「俳優 原田美枝子ー映画に生きて生かされて」。

カメラマン
藤田明弓

藤田明弓

ふじた・あゆみ 1987年生まれ、フリーカメラマン。オリンパスペン・ハーフを使い、ライブやサブカルチャーを撮影。人物撮影を主に雑誌やテレビのスチールカメラマンとして活動中。

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