国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。
2023.9.25
またやられた! 私が原田眞人監督最新作「BAD LANDS バッド・ランズ」に熱狂する理由
「和魂洋才」という言葉を考える。
日本古来の精神を大切にしつつ、西洋からの優れた学問ㆍ知識・技術などを摂取ㆍ活用し、両者を調和・発展させていくという意味である。社会科学を研究していた時代、大変お世話になったアメリカㆍランド研究所の咸在鳳(ハムㆍジェボン)元専任政治学者は、極東の隣国にも例えば朝鮮の「東道西器」のようにそっくりな概念が存在すると指摘していた。しかし、筆者としては「近代」に集中しすぎているのではないかという感じもある。日本独自の文化が最もまぶしく開花した平安時代中期に、すでに「和魂漢才」という言葉があったのだ。ただ、日本国外のものを受け入れるにとどまらず、一種の「ツール」として活用し、「サムシングㆍモア」を創造してきた底力を意味するのだろう。
映画の話をしようとする冒頭でこんな話をすると、多少硬く感じられるかもしれない。そうしてまで、概念定義をしている理由はただひとつ。映像作家としての姿勢がこの言葉と完全に一致する「大御所」の新作について話をするためだ。「大御所」という呼称からもう察した方もいるかもしれない。そう、原田眞人監督の話である。
国や世代を超え、圧倒的な評価と人気を誇る「大御所」
筆者が海外の日本映画特講で行ったひとつの実験を紹介したい。対象は大部分が映画専攻の学部生や大学院生、要は「若い監督志望生」。現代日本の映画監督について話しつつ、「大御所」のフィルモグラフィーから何本かを選び、監督名を明かさずいくつかのシーケンスを見せた。そうすると、最初に出た感想は「監督が非常に若そう」、2番目に出た感想は「背景などを少し変えて俳優陣だけアメリカでキャスティングしたら、どれもそのままハリウッド映画と言ってもおかしくなさそうな作品だ」、そして3番目は「全く新しい感じで、俳優の最適な姿を選び出す編集などを見ると、日本映画の定型化されたパターンから完璧に脱却している」ということだった。その後、私が「監督は1949年に静岡県沼津市で生まれた日本人の男性で、デビューは1979年(日本)」ということを知らせると、皆は一斉に嘆声を上げた。
グローバルㆍユニバーサリティー(地球的普遍性)、まさにそうだった。世界の誰にも通じるコードの映像言語を自由自在に使い、国際的拡張性を持つ「物語」を作り出すマエストロ。ただ、国内の観客が先に挙げた彼の才能にそこまで驚かない理由は、いつまでも当たり前のようにそばにいるという根拠のない安心感があるからだろう。9月29日公開予定の新作「BAD LANDS バッド・ランズ」(以下「BAD LANDS」)は、主に海外を拠点として活動する筆者が思うに、この大御所の大事さを改めて実感できる2023年日本映画の代表作である。実に日本と世界のシネフィルが時間の流れさえ忘れて没頭できる、文字通りの「ウエルメードㆍフィルム」なのだ。
縦横無尽な発想と確かな骨子が生み出す、バランスの妙
長い隠遁(いんとん)の日々によって神話の主人公になったという面で、いつも自分を待っている日本の観客を意識する大御所とは対照的な同世代の監督、テレンスㆍマリックの1973年作と同名タイトル(邦題は「地獄の逃避行」)でもある「BAD LANDS」は、それ以外にも独特なキャラクターの男女の主人公が登場するという共通点を持っている。しかし、テレンスㆍマリックの「BAD LANDS」は、荒涼とした平原で象徴されるアメリカ中北部のサウスダコタを舞台に叙事的演出力を見せるのに対し、大御所の「BAD LANDS」は欲望が炸裂(さくれつ)する日本の経済首都・大阪を舞台にはるかに多層化され、堅固なドラマトゥルギーを披露している(いつか詳述する機会があると思うが、原田監督は作家主義監督のための最高の教本といえる「原田眞人の監督術」を出版したこともある)。裏を持ったIT界の若い新興富豪、すなわちテクノキャピタリズムのフードチェーンの「上位捕食者」と、その反対の特殊詐欺団のボスというもう一人の「上位捕食者」を設定し、その間を危なげに綱渡りする被搾取者で抵抗者の若い男女を登場させている。驚くべきことは、ここに2人を追う第3の勢力(大阪府警)が加わることで、どのように解消されるか分からない葛藤の高まりが生まれ、劇場に座った瞬間から抜け出せないサスペンスが構築されるということ。ハリウッドのやり方? そういう側面もあるかもしれない。しかし筆者は、原作のユニークさに最適化された大御所の輝く監督術と言いたい。繰り返し強調するが、彼には「エリアコード」が存在しない。
「BAD LANDS」で体験する、唯一無二のエンターテインメント
そして、もうひとつ注目すべき点は大御所の「BAD LANDS」の 主人公が姉弟であるいうこと。ここで召喚されるのが世界映画史の名作「ファニーとアレクサンデル」。同作と大御所の「BAD LANDS」は、ひとまず人間的欠陥はあるが、優しい気持ちでお互いを助け合う〝きょうだい〟(「ファニーとアレクサンデル」の主人公は兄妹)が「愛(恋愛と家族愛)」を武器に抑圧してくるビランと戦っていくという共通点を持っている。一方、大御所の「BAD LANDS」でははるかな映画的進歩が見られる。暗い世界を突破していくための機知を発揮し、被抑圧者間の連帯ぶりなどを演出することで劇的なカタルシスを提供するのだ。これは上述のテレンスㆍマリックや、マーティンㆍスコセッシらと同世代でハリウッドの監督塾などに通い、共に成長してきた大御所(彼は1970年代にはすでにカリフォルニアにいた)が、「形而上学の網に落ちて現実から背を向けている」とよく指摘されていた先輩のイングマールㆍベルイマンの弱点を見事に克服したところであろう。
告白すると丸の内TOEIの完成披露で作品を鑑賞した直後、筆者は二つの理由から上映後に続くイベントに集中できなかった。まずは本編のキャラクターと完璧に一体化した俳優陣の現実の姿をすぐに受け入れたくなかったということ。次は、ふと、このような作品をあとどれだけ見ることができるだろうかという恐怖があったからだ。しかし、いつものように楽観してみる。「ハウスㆍオブㆍグッチ」がアメリカで公開(2021年11月24日)された当時のリドリーㆍスコットの年齢(1937年11月30日生まれ)を考えれば、しばらくは大丈夫ではないか。ただ、ハイエンドㆍエンターテインメントの映画体験を望む観客なら、映画のチケットを買うのをためらう余裕はないだろう。