「子どもたちはもう遊ばない」「苦悩のリスト」のモフセン・マフマルバフ監督

「子どもたちはもう遊ばない」「苦悩のリスト」のモフセン・マフマルバフ監督鈴木隆撮影

2025.1.15

パレスチナとイスラエル、アフガニスタン……抑圧される人々の〝小さな声〟「伝えることを決して諦めない」 モフセン・マフマルバフ監督

公開映画情報を中心に、映画評、トピックスやキャンペーン、試写会情報などを紹介します。

筆者:

鈴木隆

鈴木隆

パレスチナとイスラエル、アフガニスタン。抑圧の下で生きる人々の葛藤と苦しみを記録した2本のドキュメンタリー映画「子どもたちはもう遊ばない」「苦悩のリスト」を製作したのは、イランの巨匠、モフセン・マフマルバフ監督とその家族、「マフマルバフ・ファミリー」だ。日本公開に合わせてマフマルバフ監督が来日。2作の共通点を「人類の悲しみ」だと言う。「エルサレムでは人々を理解しようとし、アフガニスタンでは救おうと思った。声なき人の声になろうとした」と語る。


「子どもたちはもう遊ばない」断絶されたエルサレム

「子どもたちはもう遊ばない」は、映画のロケハンでエルサレムを訪れたマフマルバフ監督が、エルサレムのパレスチナ系住人らに会い、相互理解の難しさを明らかにし、解決への望みを見いだそうとする。2018年と23年、24年と断続的に5年かけて撮影。エルサレムの旧市街を歩き、街角にたたずむ老人、ダンススクールのパレスチナ系ティーン、ユダヤ系の若者らとの出会いから、パレスチナとイスラエルが抱える重層的な複雑さや根源的な問題を浮き彫りにする。

「パレスチナ系住人は以前にもまして、長年にわたる民族間の対立が収まらない状況に恐怖感を持っている。発言したり取材を受けたりすると罰金か刑務所入りと言われているようで、ほとんど話そうとしない。しかし彼らの内にある怒りは、強く感じた。そして、絶望している。怒りと恐れにまみれた絶望だ」。映画に映る、普通の人々が暮らす街の路地や壁は変わっていない。「二つの民族の間に愛は感じず、距離感は同じだ。イスラエル人とパレスチナ系住民との対立は子どもの時から根付いていて、人と人との間に生まれる愛や恋のエネルギーを感じない。こうした人間の基本的な気持ちも、二つの民族をつなげることができない」と憂いをみせた。


「子どもたちはもう遊ばない」©︎Makhmalbaf Film House

「メディアは半分しか見せていない」

ニュースで見るのは戦闘的なイスラエルやパレスチナの人たちばかりだが、映画に登場する街の人たちは穏やかだ。その落差を「メディアのせい」とはっきりした口調で言う。「特に大きなメディアが問題だ。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相やハマスは小さな声、普通の人たちの声を聞かせたくないんだ。メディアから聞こえてくるのは権力者の大きな声ばかりで、お母さんたちの生の声、生活の声は消されてしまう。メディアはうそはついていないだろうが、(物事の)半分しか説明していない。それを受ける私たちは半分の情報で物事を考えている」と断言する。

映画はリアルな現実を突きつけるが、一方で映像に詩的な香りも漂っている。マフマルバフ監督は、これまでの作品でも人々の営みや生活、風景にポエティックな表現を織り交ぜてきた。「撮影や編集の時は、もちろんリアリズムに徹しようとする。ただ、いつも思うことだが100%現実的に語ると、人間は絶望的になって考えるのをやめてしまう。詩(ポエム)の風を吹かせるとホッとして、きちんと考えて理解しようとする。私は映画を見てくれる人をハイジャックせず、自由に考えてもらいたい。そのためには詩を間に入れるのが一番いい」


「子どもたちはもう遊ばない」©︎Makhmalbaf Film House

ポエティックな表現が理解を深める

マフマルバフ監督はさらに続ける。「物事を時系列で細かく見すぎると、つらくて我慢できなくなる。だから、エモーショナルな部分もロジックな面でも、少し距離をおいた方が分かりやすい」と表現の手法についての考えを話した。それはこの映画でも実践されている。カメラの前で発言する、元ジャーナリストで投獄された経験を持つアリ、曽祖父の代から100年以上エルサレムに住んでいるベンジャミンらの話の間に、パレスチナ人少年少女のダンスチームの練習風景や石造りの路地裏、異教徒の子どもたちが一緒に学ぶ珍しい学校の映像を挟み込んだ。

「意識的に構成している。大変(な地区)だけど、いいところも悪いところもある。両方を同じフレームの中で見せると、見る側はより深く考えてくれる。悲しみと幸せを隣り合わせで見せた方が、後からでも感動したり考えたりできる。悲しいことを語るならば、少しハッピーな部分を挟んだ方が受け入れやすいんだ」

「この映画では、一番現実に近いもの、メディアが見せないエルサレムを見せたかった。私たちは映画を作ることしかできない。今起きていることを語るべき責任がある。小さくてもできることをやらなければならない。権力者や大きなメディアをコントロールしている人たちは、私たちの小さな声を聞かせないようにするだろうが、決してあきらめない」


「苦悩のリスト」©︎Makhmalbaf Film House


「苦悩のリスト」文化人救出に奮闘する一家

「苦悩のリスト」は、モフセンの次女ハナ・マフマルバフが監督。21年の米軍撤退によるタリバン再侵攻で、アフガニスタンの文化人が迫害されたり、処刑宣告されたりと生命の危機に直面した。これを知ったモフセンのほか、ハナの母マルズィエ・メシュキニ、兄メイサムらマフマルバフ・ファミリーは、約800人の映画関係者やアーティストを救出しようと奔走、その経緯を記録した。

一家はロンドンの小さなアパートから、出国希望者のリストを基にパソコンとスマートフォンで関係各所に連絡を取った。しかし、人数を絞らざるをえなくなるなど困難にも直面する。ファミリーの一喜一憂と、アフガニスタンのカブール空港周辺の臨場感あふれる様子が映し出される。アパートの壁にはリストが張ってあり、カメラは外に出ないが圧倒的な緊迫感が画面を支配する。「ハナがその時の映像を撮っていた。アパートの部屋には、アフガニスタンの方角に向いた窓があった。そこから見える空は青く広くても、その先にいるのはつらい思いをしている人ばかり。ストレスを抱える彼らの気持ちを伝えたかった」


「苦悩のリスト」©︎Makhmalbaf Film House

忘れられないために

ハナは交渉の手伝いをする一方で、アフガニスタンから携帯に送られてくるテキストを見たり音声を聞いたりしながら、撮影ボタンを押していた。「ハナは当時、映画にする気はなかった。私や兄が、泣いたり必死に交渉したりしている姿を、自分の記録のために撮っていた」

1年ほどたって、家族の間でアフガニスタンがどんどん忘れられているという話になった時、ハナが携帯を持ってきて編集を始めたという。マフマルバフ・ファミリーは長年にわたってアフガニスタンを映画として撮り、世界に示してきた。今のアフガニスタンをどう思っているのか。「アフガニスタンの苦しみが忘れられたのは、メディアのせいだ。ウクライナ戦争やガザの紛争と違い、アフガニスタンの状況を報道しても視聴者は飽きていてもう見ないと判断したのだろう。メディアがこっちを見なさい、あっちを見なさいと決めたからではないか」と話した。

東京・渋谷のシアター・イメージフォ-ラムでは、新作2本の公開を記念し「私が女になった日」などファミリーの過去作品6本を上映する「マフマルバフ・ファミリー特集」を1月17日まで開催。

この記事の写真を見る

  • 「子どもたちはもう遊ばない」「苦悩のリスト」のモフセン・マフマルバフ監督
  • 「子どもたちはもう遊ばない」「苦悩のリスト」のモフセン・マフマルバフ監督
さらに写真を見る(合計2枚)