「アアルト」ビルピ・スータリ監督=松室花実撮影

「アアルト」ビルピ・スータリ監督=松室花実撮影

2023.10.19

アアルトの家具が今も日本人に刺さるわけ ドキュメンタリー監督インタビュー

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松室花実 

松室花実 

フィンランドを代表する建築家・デザイナーのアルバ・アアルト。シンプルで温かみのある作品は、日本でもファンが多い。私もその一人だ。しかし、作品が生まれた背景に妻アイノの存在があったことは、寡聞にして知らなかった。公開中のドキュメンタリー映画「アアルト」は、「2人のアアルト」の関係や人となりに迫る。なぜアアルト作品が今なお多くの人を引きつけるのか、映画を通して見えてくるものとは。ビルピ・スータリ監督に聞いた。



100年にわたり愛用されるフォルム

アルバ・アアルトは1898年、フィンランドに生まれた。1916年からヘルシンキ工科大(現アアルト大)で建築を学んだ。23年にアルバ・アアルト建築事務所を設立した。35年に妻アイノと創業した「アルテック」では、無駄のないフォルムに木材の温かみを感じられる「スツール60」などを発表。その家具や照明などが、今も世界中で愛用されている。
 
スータリ監督は、フィンランド北部のロバニエミ出身。第二次世界大戦で大きな被害を受け、アアルトの建築によって再興された街だ。子どもの頃は、学校が終わるとアアルトが設計した図書館に毎日のように通っていた。「氷点下30度の厳しい冬の日でも、一歩足を踏み入れると美しくて温かい空間が広がっている。図書館に並ぶ本以上に建物の持つ雰囲気のとりこになっていたのだと思います」と振り返る。


アルバ・アアルトが1933年にデザインした「スツール60」©FI 2020 - Euphoria Film

フィンランドのシンボル的存在

そんな思い入れの深い人物だが、ドキュメンタリーを手がけるのには時間がかかった。「フィンランド人にとってアアルトはシンボルのような存在で、誰しもが何らかの意見を持っている。映画監督として30年のキャリアを積んだ今なら、私自身の解釈で彼を描けるかなと思った」と言う。
 
意識したのは「建築家としてのプロフェッショナルな部分だけでなく、人間的な面も描くこと」。焦点を当てたのがアルバの最初の妻アイノの存在だった。アイノはアルバと同じヘルシンキ工科大で学んだ後、アアルト事務所で働き、アルバと結婚した。石を水面に投げ入れた際の波紋に着想を得てアイノがデザインし、32年に発表した「ボルゲブリック/アイノ・アアルト・グラス」は、今もフィンランドのガラスメーカー「イッタラ」でロングセラーとなっている。


公私共にパートナーだったアルヴァとアイノ©Aalto Family


歴史に埋もれた妻にスポット

アアルト作品といえば、アルバのイメージが強い。実はフィンランドでも同じで、アイノの功績はあまり知られていなかったという。「歴史の中で埋もれてしまった彼女にスポットライトを当てるべきだと感じました」と強調する。建築家、デザイナー、アルテックの経営者、2児の母――。いくつもの役割を1人でこなしていた彼女を「100年も前に、現代と同じような感覚を持ったモダンで魅力的な女性」とみる。アルバは常にアイノの審美眼を信頼していた。映画では、そんな夫婦を、交わした書簡を通じて描いている。「2人の対等な関係」が、アアルト作品の世界観を作り上げていたことがうかがえる。
 
ラジオでのインタビューなどの資料があったアルバに比べ、アイノの記録はほとんど残っていなかった。製作に難航していた折、アアルト夫妻の孫が訪れ、大量の手紙を提供してくれたという。「おかげでアイノをより身近に感じられて、夫婦の関係性が見えてきた。2人の書簡がなかったら、この映画を作り上げるのは難しかったと思います」と打ち明ける。
 

アルヴァ・アアルトが設計したヴィープリ(現ヴィボルグ、ロシア)の図書館©FI 2020 - Euphoria Film

アアルトの建築に触れた旅

私はスータリ監督への取材が決まる直前の9月、偶然にもフィンランドを旅行し、ヘルシンキとロバニエミに7日間、滞在した。泊まったホテルや街の図書館、書店、カフェなど、アアルトの建築やアルテックの家具に触れる旅だった。家具はいつもさりげなく置かれていて、周囲の環境に自然となじんでいる。当たり前のように使っているフィンランドの人々をうらやましく感じた。
 
そんな光景を思い出しながら、スータリ監督にアアルト作品の魅力を尋ねると、「公共性」というキーワードが返ってきた。アアルト夫妻には常に「富める人も、貧しい人も全ての日々の生活をより美しく」というコンセプトがあった。公共建築を多く手がけ、自身がデザインしたインテリアや照明なども、誰もが享受できる場所に取り入れてきたという。
 
「現代作品は注目を浴びたい、目立ちたいというものが多いけど、アアルト作品はその逆で穏やかで静かで謙虚。そこに至るまでに複雑な思考が存在していて、計算し尽くされた上のシンプルさがある。何より、使う人たちのことが一番に考えられていて、どんな環境にもしっくりなじむ。時によって移ろわない、普遍性が彼らの素晴らしさだと思います」と語る。


アイノ・アアルトがデザインした「ボルゲブリック/アイノ・アアルト・グラス」©FI2020Euphoria Film


心を豊かにするフォルム

アアルト作品は、日本でも展覧会などで度々取り上げられている。私もフィンランドに滞在中、同じように旅する日本人と出会うことも多かった。なぜ、アアルト作品は日本でも人気なのだろうか。「謙譲の美徳を尊ぶ日本人の美意識はアアルト作品に通じるものがあり、共鳴しやすいのかもしれませんね」
 
アルバは生涯で200超の建物を設計し、世界中に名作が残っている。どれもが絶妙な光の組み合わせと有機的なフォルムが美しく、人々の心を豊かにしてくれる。映画を見ると、世界中のアアルト建築を巡った気持ちにもなれる。「映画を見ることで、より深くアアルト作品とつながることができると思います」と語る。美しく心地よい映像は、アアルト作品の原点に触れる旅にもなる。

ライター
松室花実 

松室花実 

まつむろ・はなみ 2019年毎日新聞入社。大阪本社学芸部で演劇と放送を担当。初任地の岡山で出合ったハンセン病、大学時代に研究していたアメリカの取材空白域についても関心がある。

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