「瞳をとじて」© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

「瞳をとじて」© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

2024.2.08

名匠エリセ 31年ぶりの新作に映画を再発見する幸せ 「瞳をとじて」:藤原帰一のいつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

今日ご紹介するのはスペインの映画です。監督は、「ミツバチのささやき」と「エル・スール」によって知られるビクトル・エリセですが、これが31年ぶりの新作。もう映画つくるのやめちゃったんじゃないかと心配してしまうほど間が空いていますが、82歳になったエリセ監督がスペインの現代史と重ね合わせて自分の人生を振り返るかのような作品です。


内戦と独裁 切り離せないスペイン

スペインは内戦と独裁を経験した国です。1931年に共和派が政権を掌握し、王政を廃止しますが、政治の混乱が続き、33年の選挙では右派、36年には左派勢力が結集して人民戦線の政権が発足しますが、右派勢力が反乱を起こします。右派の指導者フランコはイタリアやドイツから支援を得ますが、右派勢力は左派勢力を打ち倒し、内戦が起こりました。38年にはフランコが勝利を宣言、翌39年にはイギリス、フランスとアメリカがフランコ政権を承認します。その後、フランコが死んだ75年まで40年近くの間、独裁政権が続きました。

スペイン内戦は、義勇軍として従軍したヘミングウェーが原作の「誰がために鐘は鳴る」をはじめとして、「蝶の舌」や「パンズラビリンス」など、数々の映画に描かれてきました。内戦が終わった後もフランコ政権に立ち向かうゲリラ活動は続き、それが「日曜日には鼠を殺せ」や「戦争は終った」などの傑作に描かれることになります。私にとってのスペインのイメージは映画で見た内戦と独裁と不可分のものでした。


社会の傷をつかまえる

ビクトル・エリセ監督はこの時代を生きたひとりです。生まれたのは40年、まさにフランコ政権が生まれた直後ですね。エリセ監督の代表作といっていい「ミツバチのささやき」が公開されたのはフランコ政権末期の73年でした。村で上映された「フランケンシュタイン」を少女が見るところから始まり、フランケンシュタインの恐怖と内戦の恐怖が重なり合う。こんな映画が撮れるんだとびっくりしたことをいまでも覚えています。

その10年後の作品、「エル・スール」も、やはり少女の視点を通して、内戦がスペイン社会に与えた傷をつかまえる作品でした。エリセは政治問題をテーマにするという監督ではありませんが、内戦と独裁を切り離してスペイン社会の過去を語ることはできなかったんですね。


ああ、見てよかった

フランコ政権の終わりからもう半世紀近くになります。独裁後のスペインはいくつもの政治危機に遭いながら、民主政治は何とか保ってきました。エリセ監督は92年に発表されたドキュメンタリー「マルメロの陽光」を最後として新作から遠ざかってしまいます。スペイン映画といえばアルモドバル監督の名前が第一に思い浮かぶ時代になってからもう20年以上になります。.

ですからエリセ監督が新作を発表したというので、わくわくしながら、そしてちょっと心配しながら、この「瞳をとじて」を見ました。「ミツバチのささやき」と「エル・スール」がすばらしかっただけに、エリセ監督が映画を撮らなかった31年のブランクを埋めるだけの作品なのかどうか、心配だったんです。

結果を申し上げるなら、期待にこたえる映画でした。エリセ監督の以前の作品よりもずっとテンポの遅い、長い長い映画ですが、最後になって、ああ、見てよかったという気持ちになります。ひとことでいうならエリセ監督が、過去をたどってゆく映画です。


過去を探り当てる旅

はじまりは、行方のわからない子どもを探してほしいと老人に依頼されるという場面です。ここはケレン味たっぷりのドラマチックな場面なんですが、実は映画そのものじゃなくて、映画のなかの映画、主人公ミゲルが監督している「別れのまなざし」と題する映画の一場面なんですね。ところがこの映画、主演の人気俳優のフリオが行方不明になったため、製作が取りやめとなってしまった。フリオが失踪した後、ミゲルも映画監督を辞め、スペインの地方に移り住んで、作家、時には翻訳家として暮らしている。まるで俗世間から足を洗ったようなミゲルの姿は、映画づくりをやめてしまったエリセ監督と重なって見えてしまいます。

その静かな暮らしが、昔のできごとをセンセーショナルに報道するテレビ番組の取材によって揺り動かされます。人気俳優フリオはどこへ行ったのか、テレビで取り上げたいというんですね。ミゲルは取材に応じるかどうか悩みますが、結局取材を受け入れる。さらに、記憶のなかに押し込めていたフリオの失踪を改めて捉え直すべく、古い資料を引っ張り出し、関係者からの聞き取りを始めます。

映画のほとんどは、ミゲルが過去を探り当てる、いわばあてのない旅のような姿で満たされています。映画づくりの仲間だったマックス、かつての恋人ロラ、そしてフリオの娘アナ、誰ひとりとっても、昔話をしたいわけじゃない。みんなフリオが行方不明になったことに傷ついているので、思い出したくない、戻ってくることのない過去はそのままにしておきたい、という感じなんです。



昔の顔・今の顔

映画のテンポがすごくゆっくりですから、退屈しちゃう人もいるでしょう。でも、過去を語るひとりひとりの顔に注目してください。どなたも年齢を重ねているんですが、過去を話すなかで、いまの顔ではなく、昔はこんな人だったんだろうなという表情が見えてくるでしょう。なかでもフリオの娘アナを演じる俳優は、40年前に「ミツバチのささやき」に主演した少女なんですが、その映画をご覧になっていない方も、既に中年期を迎えた女性のなかに6歳の少女の顔が見えてくるはずです。フランコ政権が倒れた後の時代を生きてきた人の肖像ですね。

テレビ番組が放送された後、フリオのゆくえについて情報が入ります。テレビで取り上げられた人とそっくりの人を知っているというんですね。では、その人は本当にフリオなのか。また、自分がフリオだとわかっているのか。ミゲルはフリオとおぼしい人に会うべく、旅に出ます。ここから映画はテンポを速め、締めくくりに向かってゆくんですが、ご紹介はここでおしまいにしましょう。

ただ申し上げられるのは、映画が過去と現在を結びつけるという一点。時間が過ぎ去るとともに過去も意識から遠ざかります。でも、現在の私たちを支えるのは過去の経験です。そして、映像は、それが過去のものであっても、常に現在のものとしてしか立ち現れることはありません。映像を通して過去と現在が結びつくんですね。映画から遠ざかったエリセ監督が映画を再発見する幸せな瞬間をぜひ経験してください。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 千葉大学特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。