「独裁者たちのとき」

「独裁者たちのとき」

2023.4.18

スターリンとヒトラーは死んでいるのか 現代にさまよう20世紀「独裁者たちのとき」:いつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

これは何とも風変わりで、奇怪な映画です。スターリンとヒトラーとムッソリーニとチャーチルが登場すると申し上げると第二次世界大戦の時代を取り上げた歴史スペクタクルなんて想像されるでしょうが、いえいえ、この人たちは出てくるけど、というより他の登場人物なんてほかにはキリストとナポレオンくらいしか登場しないんですが、誰もがみんな、死んだ後なんです。
 


 

リアリズムとは無縁の石版画

まず舞台からお話ししましょう。壁の高い位置に窓があり、そこから差し込む光によって、周りを取り囲む石造りの壁が照らし出された、寺院の内部のようなところです。といってもこれは映画のセットや実在の寺院の映像ではなく、絵の一部分なんですね。それもリアリズムともモダニズムとも無縁でして、絵、それも恐ろしく古い本の挿画として描かれた石版画のような絵なんです。
 
絵だけを見ると中世末期みたいですが、こちらに背を向けた男は山高帽をかぶってますし、何といってもスターリンとヒトラーですから中世のはずはない。冥界には時代設定がないんでしょう。
 

資料映像で描く

この背景の画像に人の姿が重ね合わされます。最初に出てくるのは、花に囲まれて棺(ひつぎ)に横たえられたスターリン。これがもう、本や映画で見たスターリンの姿にそっくりなんですが、似ているのは偶然じゃなくて、スターリンの写真そのもの。というのもこの映画、登場人物の姿には俳優ではなく、実写映像と写真を使ってるからなんです。古風な画像に実在の人物の映像が重ね合わされるわけです。
 
映像は実物でも、口にされるせりふは創造したもの。スターリンは、ブーツがきつい、何も食っていないのに体重が増えているなんてぶつぶつ言ってるんですが、その時に唇や指先がちょっとだけ動いたりするので、映画というよりは紙芝居のようなイメージです。スターリンはさらに、おれは死んでいない、おれは永遠に死なないのだなどとスターリンはうそぶきますけれど、本人は死んだ気がなくても死んだ後なのは間違いなさそうです。


 

現代国際政治と通じる恐怖

ずいぶん変わった映画でしょう。この後に横たわるキリストが登場し、スターリンが、キリストはやさしい青年だ、いつか必要になるなんて含みのある言葉を口にするんですが、ヒトラー、ムッソリーニ、そしてチャーチルが出てきても、意味があるのかないのかわからないことをぶつぶつつぶやくだけ。20世紀の歴史を左右した4人と一緒に観客を冥界に投げ込んだような映画です。
 
登場人物が登場人物ですから感情移入を誘われないのは無理ありません。とはいえこの映画、途中から始まって途中で終わっても不思議がないくらい、筋書きとか起伏とかいったものがない。背景の絵の光と影に4人の映像が組み合わさった画像は不気味な魅力をたたえているのでアートのひとつとして美術館の一室で展示したらぴったりかもしれませんが、これが映画なのかと問われたら、言葉に困ってしまいます。
 
それでも私はこの映画に心ひかれました。映画の文法を退けたからではありません。死んだ後もなおさまよい続ける20世紀の権力者というモチーフに現代性を感じたからです。現代国際政治の動向を見ていると、足元から砂が引いて大波にさらわれるような恐怖を感じるのですが、その恐怖とつながる現代性です。
 

戦争と独裁が復活した衝撃

ロシアのウクライナ侵攻はドイツのポーランド侵攻という第二次世界大戦の始まりを想起させる事件でした。第二次世界大戦終結から80年近くを経て、ヨーロッパ諸国では大戦争が過去のものになったはずだった。こんなことはもう起こるはずがないという思いが、戦争勃発のショックを深めてしまう。終わったはずの戦争がまた起こってしまった衝撃です。
 
独裁も復活しました。米ソ冷戦終結によって議会制民主主義が当たり前の日常となり、少なくともヨーロッパでは戦争も独裁も過去のものになったはずでしたが、共産党支配を打倒したハンガリーやポーランドの統治は強権化し、ロシアではプーチン大統領への権力集中が進みます。ロシアのクリミア併合とウクライナ東部進駐、そして2022年2月のウクライナ全面攻撃は独裁が復活するなかで起こった戦争でした。
 

現実から離れても現在を描く

映画もその時代を表現してきました。ウクライナ情勢なら昨年公開された「ドンバス」は14年以後に展開されてきたウクライナ東部における事実上の占領統治とその不条理を描きましたし、公開の始まった「マリウポリ 7日間の記録」はロシア軍の攻撃によって廃虚と化した土地を捉えています。
 
現在を描くこれらの作品と違って、「独裁者たちのとき」は現実世界の表現から離れています。ただ、この映画は戦争と独裁の時代を過去として捉えていない。冥界にうごめくスターリンもヒトラーもムッソリーニもチャーチルも、過去ではなく、現在の世界のそこに実在するかのように描かれています。


 

「民衆は帝国を愛している」

この映画を監督したアレクサンドル・ソクーロフはタルコフスキー監督から高く評価されながら、ソ連時代は映画製作の機会を得ることができず、共産党政権が倒れた後に一躍高い評価を得ることになった映画作家です。おそらくもっともよく知られる作品がヒトラーを主人公とする「モレク神」、レーニンを取り上げた「牡牛座 レーニンの肖像」、そしてイッセー尾形が昭和天皇を演じた「太陽」の3本でして、その後の「ファウスト」と合わせて4部作と呼ばれています。
 
この「独裁者たちのとき」は、取りつかれたように権力者を表現してきたソクーロフの集大成と呼んでいいでしょう。人物表現や起承転結を拒むスタイルは「ファウスト」と共通していますが、闇に満たされた「ファウスト」の世界をさらに突き詰めて、権力者の亡霊が徘徊(はいかい)するだけという空間を作り出した。ソクーロフにとって第二次世界大戦は過去ではなく、また冷戦終結などという転機もない。独裁者の季節がずっと続いている世界なんです。
 
映画の中程で、群衆であるかのように影の一群が画面下に移り、それを前にした壇上にスターリン、ヒトラー、ムッソリーニが並ぶ場面が出てきます。そこでムッソリーニが、帝国の演壇だ、民衆は帝国を愛していると言うんですね。過去の再現と見ることはできます。しかし、これが過去のことに過ぎないと私たちは本当に言うことができるでしょうか。

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ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 千葉大学特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

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