「見知らぬ医師」©HISTORIAS CINEMATOGRAFICA/SPYRAMIDE PRODUCTIONS/WANDA VISION/HUMMEL FILM

「見知らぬ医師」©HISTORIAS CINEMATOGRAFICA/SPYRAMIDE PRODUCTIONS/WANDA VISION/HUMMEL FILM

2022.10.25

南米に現れた〝死の天使〟 異色のナチスもの 「見知らぬ医師」:謎とスリルのアンソロジー

ハラハラドキドキ、謎とスリルで魅惑するミステリー&サスペンス映画の世界。古今東西の名作の収集家、映画ライターの高橋諭治がキーワードから探ります。

高橋諭治

高橋諭治

映画のデータベース・サイトで「ナチス」「ヒトラー」「アドルフ」といったワードを検索すると、相当な数の映画タイトルがヒットする。題名にこれらの単語を含まないナチス・ドイツ関連の作品(「サウンド・オブ・ミュージック」「シンドラーのリスト」etc.)も膨大に存在するので、ナチス映画は戦争もの、歴史ものの有力なサブジャンルになっている。

キーワード「不穏なメタファー」

ただし総統のヒトラー以外のナチス高官や将校を単独でクローズアップした作品となると、ぐっと数が限られてくる。〝砂漠のキツネ〟の異名を取ったエルビン・ロンメル将軍、ユダヤ人数百万人の強制移送を指揮した親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンらがすぐさま思い浮かぶが、筆者が思うに、映画の題材として最も興味深い存在はヨーゼフ・メンゲレではあるまいか。アウシュビッツで囚人のユダヤ人を非人道的な人体実験の道具にし、〝死の天使〟と恐れられた男だ。これまでにメンゲレを登場させた主な映画には、以下の作品がある。


フランクリン・J・シャフナー監督がアイラ・レビンの小説を映画化した「ブラジルから来た少年」(1978年)は、メンゲレ(グレゴリー・ペック)がクローン技術でナチス復活をもくろむという過激なSFサスペンス。チャールトン・ヘストンがメンゲレに扮(ふん)した「MY FATHER マイ・ファーザー」(2003年)は、殺人医師の父と対峙(たいじ)する息子の葛藤を描いていた。ダスティン・ホフマン主演のスリラー「マラソンマン」(76年)には、主人公がドリルで歯をえぐられる絶叫ものの拷問シーンがあるが、ローレンス・オリビエが演じた悪役の歯科医はメンゲレをモデルにしている。



「マラソンマン」©2016 by Paramount Pictures. All rights reserved.
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いずれも一見の価値ある良作、異色作だが、すべて戦後を舞台にしているのは、戦中のアウシュビッツにおけるメンゲレの行為があまりにもむごたらしく、実質的に映像化不可能だからだろう。連合軍の摘発を逃れてドイツから南米に逃亡し、30年以上も生きながらえたメンゲレの謎多き軌跡が、小説や映画といったフィクションの作り手の想像をかき立てるのかもしれない。

謎多き医師メンゲレ アルゼンチンでの逃亡生活

今回紹介する「見知らぬ医師」(13年)は、アルゼンチンのルシア・プエンソ監督の長編第3作。同国の名匠ルイス・プエンソの娘であるルシア・プエンソは、メンゲレのアルゼンチン滞在期の実話に創作を織り交ぜた小説「Wakolda」を発表しており、それを自らの手で映画化した。上記の「マラソンマン」などの3作品とはまったくテイストが異なり、なおかつ尋常ならざる不穏な緊迫感が渦巻く一作である。
 
60年、パタゴニア地方の町バリローチェで古びたリゾートホテルをオープンさせようとしているアルゼンチン人夫婦エンゾとエバが、ヘルムート・グレゴールと名乗るドイツ人医師と出会う。ホテルの最初の宿泊客になると申し出たヘルムートは、決して裕福ではない夫婦を何かにつけて援助し、彼らのひとり娘である12歳のリリスとも親しくなっていく。そんなある日、ナチス・ハンターの協力者である女性写真家ノラは、グレゴールの正体こそ逃亡中のナチス戦犯メンゲレだと確信するのだった……。


 

知的な中年紳士にこみ上げる違和感

まず断っておきたいのは、劇中にグレゴールという偽名を使っているメンゲレが人を傷つけるシーンはひとつもないことだ。むしろメンゲレは温厚で知的な中年紳士として振る舞い、本業は人形職人のエンゾに人形工場のための資金を提供したり、妊娠中のエバに医師として助言を与えたりと〝いい人〟のように映る。
 
しかし時折、鋭い目つきを見せるメンゲレは、発育不良による身長の低さに劣等感を抱いているリリスに強い関心を示し、レントゲンを撮って彼女の骨格を調べ、母親の同意の上で成長ホルモン剤を与え始める。その挙動たるや、何かがおかしい。見ているこちらはグレゴールの素性がメンゲレだとあらかじめ知っているので、なおさら嫌な違和感がこみ上げてくる。
 
伝えられるところによれば、メンゲレは南米で逃亡生活を送っている最中も、アウシュビッツでのゆがんだ探究心を保ち続けていたという。メンゲレがめぐり合ったアルゼンチン人の一家は、悪名高き〝死の天使〟にとって興味をそそる人体研究の〝サンプル〟だというわけだ。
 

〝人形〟が示す悪魔性 冷たい戦慄

プエンソ監督はそうしたメンゲレとナチスの悪魔性を、人形というメタファーを用いて表現する。人形工房の棚にずらりと並べられた首、首、首。ただでさえ不気味なその光景は、おぞましい想像をかき立てる。大量生産された物言わぬ人形たちが、あるときは優生思想に根ざしたアーリア人の軍隊、またあるときはアウシュビッツの犠牲者たちのしゃれこうべに見えてくるのだ! そのほかにもメンゲレの〝双子〟に対する異常な執着をうかがわせる描写が盛り込まれるなど、随所に冷たい戦慄(せんりつ)を誘うプエンソ監督の演出に驚かされる。
 
また本作は、ドイツからの移民やナチスの残党が多数存在したアルゼンチンの歴史的背景を伝えていること、好奇心旺盛な少女の視点を通してメンゲレのえたいの知れない人物像をあぶり出していることからも、実にユニークなナチス関連映画である。加えて、アンデスの雪山を望める湖畔の風景が印象的なのだが、その絶景のロケーションを生かしたエンディングの壮大なショットには息をのむしかない。同時代を南米で生きたアドルフ・アイヒマンが現地でイスラエルのモサドに捕獲されたことは有名な話だが、最後までナチス・ハンターの捜索網をかいくぐり続けたメンゲレが罪深き人生の幕を閉じたのは、79年のブラジルでのことだった。
 

「見知らぬ医師」はオンリー・ハーツからDVD発売中。3900円(税抜き)。

ライター
高橋諭治

高橋諭治

たかはし・ゆじ 純真な少年時代に恐怖映画を見すぎて、人生を踏み外した映画ライター。毎日新聞「シネマの週末」、映画.com、劇場パンフレットなどに寄稿しながら、世界中の謎めいた映画、恐ろしい映画と日々格闘している。