34回の長い歴史の土台と、これからの進む方向をイメージした第35回高崎映画祭のポスターを紹介する志尾睦子プロデューサー

34回の長い歴史の土台と、これからの進む方向をイメージした第35回高崎映画祭のポスターを紹介する志尾睦子プロデューサー

2022.5.04

高崎映画祭の歴史は、「七人の侍」を連想させる

国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。

洪相鉉

洪相鉉

2022年3月25日。 高崎映画祭の初日、授賞式の前日。

新幹線で目的地を知らせるアナウンスを聞き逃した。平成の終わり近くの年、どこからかロンドンの友人との電話で聞いたうれしい大きな声が再び聞こえてくるようだったからだ。

「なんと1位だよ!」

スコットランド人の友人は興奮していた。 生まれてから一度もアジアに行ったことのない彼が、日本留学をするきっかけになった日本映画が、BBCが実施した「史上最高の外国語映画ベスト100」の投票で1位を獲得した。 ヴィットリオㆍデㆍシーカの「自転車泥棒」もジャンㆍルノワールの「ゲームの規則」よりも上だった。 その映画は、やはり「世界の」という修飾語が似合う黒澤明の「七人の侍」だった。

当然の前提である映画的完成度以外に、どのような要素が世界の人々の普遍的な情緒にアピールしたのだろうか。 筆者は偉者の時代であった封建を越え、只者(ただもの)、つまり「市民」が歴史の主役として浮上した近代の精神を表現しているからだと思う。 このような脈絡から見ると、「七人の侍」の主人公は大切な人々を守るために全てをかけて7人の侍を動かし、一緒に戦った村人たちである。 他でもない「民衆の力」が、ドラマの葛藤を解決する鍵だったのだ。 しかもアクションを起こすための決定も、討論という民主的な意思決定を経た。 モダンのシチズンシップをこれほど見事に描き、人類を感動させた映画が過去にあっただろうか(ちなみに1935年に制作された「レㆍミゼラブル」は、「史上最高のアメリカ映画ベスト100」にも入っていない)。

筆者が向かっていた高崎映画祭の歴史は、この「七人の侍」を連想させる。 日本の国内映画祭として最も長い歴史と、それにふさわしい権威を持つこの映画祭の中心には「市民」がいる。 それだけではない。 国内ではまだ自動車や家電、あるいはIT産業ほどにもなっていない「映画」を中心に、驚くべき潜在力を発揮している。 100年以上の映画館(高崎電気館)は今も本来の姿で愛され、高品格のアートフィルムでプログラムが構成されたシネマテークたかさきの客席には、シネフィルが並ぶ。場合によっては、地方ロケの協力者ではなく、妨害者という非難を受けがちなフィルムコミッションは、首都圏だけでなく全国向けに類例のない活躍を見せている。

授賞式のリハーサルが行われている芸術劇場に入ると、志は高いが腰は低く、何よりも心温まるスタッフたちが笑顔で挨拶(あいさつ)をしてきた。

筆者は改めて高崎映画祭の歴史が御三家の名高いプロデューサーやメジャー映画雑誌の鼻高々な評論家ではなく、サラリーマンの茂木正男から始まったことを思い出す。 そして、茂木を支える皆の自発的努力であった。 もちろん試練もあった。 シネマテーク高崎の無給総支配人もいとわなかった彼の急逝である。 しかし、この試練を高崎映画祭のボランティアとして始まり、映画祭事務局長となった高崎のジャンヌㆍダルク、志尾睦子が彼の後を継いで克服した。 そして冒険の中で多くの英雄が生まれた。 街のビューティーサロンの店主は海外映画祭出品作のスタイリストとなり、ミニシアターのアルバイトは将来有望な新人監督となった。 案内役の老紳士の話し方は優しいながらも、威厳がある。 筆者が高崎映画祭を訪問するために電話をかけた時、世界のどの映画祭の事務局員からも見られなかった優しさと丁寧さで応対してくれた「an.g」というミドルネームの女性もその一人だった。

一連のフラッシュバックが終わり、目の前の場面が会場に切り替わっていた。 授賞式前日のリハーサルが終わり、私は客席に一人で立っていた 筆者の誇らしきパートナー、映画祭プロデューサーの志尾に向かって、頭を下げて挨拶した。 そして、映画祭の閉幕から1カ月以上が過ぎた今、告白する。

その黙礼は志尾に対するリスペクトとともに、群馬県中南部の商工業都市という地理上の名前から関東のカンヌに生まれ変わり、世界に向かおうとする「まぶしく輝く『普通の人々(Ordinary People)』」に対する敬愛の意味も込められていた」と。

ライター
洪相鉉

洪相鉉

ほん・さんひょん 韓国映画専門ウェブメディア「CoAR」運営委員。全州国際映画祭ㆍ富川国際ファンタスティック映画祭アドバイザー、高崎映画祭シニアプロデューサー。TBS主催DigCon6 Asia審査員。政治学と映像芸術学の修士学位を持ち、東京大留学。パリ経済学校と共同プロジェクトを行った清水研究室所属。「CoAR」で連載中の日本映画人インタビューは韓国トップクラスの人気を誇る。

カメラマン
ひとしねま

佐藤伸

毎日新聞記者