ひとしねま

2022.9.16

チャートの裏側:心の奥に分け入る作品

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

映画の実験というより、映画の果敢な冒険と呼んでみたい。「百花」だ。認知症を患う母と息子の話だが、このような題材なら、普通はある程度想像ができる作品になる。それが、そうはならない。人の記憶、人の心の内奥に分け入る。その映像が多くを占めるからである。

現実に見えた画面が、いつの間にか、認知症の母が思い描く映像のように提示される。これに驚きはない。それが時に、息子が抱く過去の映像と重なり合うから目を見張る。両者の切れ目がよくわからない。現実の進行画面と、2人の記憶、心の内奥の描写がつながっている。

まったく不思議な作品だ。母の日記から始まる場面の連なりでは、過去の映像の中に非現実的な世界が混ざる。息子がたどる母の過去なのに、そう見えてこない。過去映像の主体が不分明にも感じる。他の多くの場面でも同様だ。長回しされるカメラが、その異様さを増幅する。

虚心に画面を見つめていくと、自身の心持ちの複雑さにまで思いが及ぶ。人は、現実では生まれようもない別の精神世界のなかで、さまざまな人への思いをつむぐ。本作が、そのことを指し示す。このような作品が、250スクリーン前後の規模で公開された。無責任な言い方ではなく、これもまた映画の冒険ではないか。そう確信している。(映画ジャーナリスト・大高宏雄)