ロシアとの激しい戦闘が続くウクライナ。ニュースでは毎日、町が破壊されていく様子が映されています。映画は無力かもしれませんが、映画を通してウクライナを知り、人々に思いをはせることならできるはず。「ひとシネマ」流、映画で知るウクライナ。
2022.3.15
映画で知るウクライナ:ザ・トライブ セリフなし、字幕なし 全編手話で描くろうあの世界
寄宿舎に渦巻く激しい暴力
ウクライナにはなぜか、少し変わった刺激的な映画が多い。2015年4月に日本で公開されたこの作品もその一つ。手話を言語に、字幕や吹き替え、音楽も存在しないまれな作品だ。それが逆に、あふれるほどの発見を与えてくれる。ウクライナ映画の多様性と発想や視点の自由さ、豊かさを強烈に印象づける。
ろう者が主人公というと、古くは松山善三監督の「名もなく貧しく美しく」が浮かぶが、日本では病気や福祉、社会の無理解を訴える映画のイメージが強い。しかしこの映画、寄宿舎を舞台にしたろうあ者の少年少女による激しい暴力が渦巻く驚くべき作品になっている。
人の動きが雄弁に語る
登場人物は全員ろうあ者だ。手話でコミュニケーションを取っているが字幕はなく、手話が分からないと、会話を理解できない。動作や表情から話していることを推測するしかない。会話を聞いて理解する力を、動作や表情を見つめて想像する力に転換する。無声映画や理解できない言語の映画を見ている感覚に近い。
手話ではなく映像に集中する作業は、時間が進めば少しは慣れてくる。実は、これが結構面白い。少しぐらい分からないところがあっても、気にせず見入っているうちに、リズムが生まれ、音のない世界が創る新たな魅力に気づかされる。人の動きは雄弁だ。
セルゲイはろうあ者専門の寄宿学校に入学するが、学校は売春や強盗などを仕切る悪の組織=族(トライブ)に支配されていた。強要された殴り合いで屈強さを示し、組織のリーダーに気に入られ頭角を現していく。一方で、組織のボスの女アナにひかれていく。セルゲイは他人から奪った金で、アナに売春をやめさせようとするが拒絶され、リーダーたちからリンチを受ける。満身創痍(そうい)となったセルゲイは怒りと憎悪にとりつかれ、ある行動を起こす。
聞こえない世界を映像で見せる
電車内や路上、寄宿舎内での暴力シーンは壮絶だ。加害者側の感情をあまり感じさせないから、一層不気味で怖い。カット割りも鋭利な刃物で切りつけるようなクールさで、感情の存在を極力避けているような演出。アナの堕胎のシーンも目を背けたくなるような映像だが、そうしたシーンでさえ感情を極力排し、固定カメラで淡々と見せる。説明的な描写は意図的に排除。ミロスラブ・スラボシュピツキー監督は暴力について問いかける。
暴れ回る少年少女たちはもう一つのテーマもあらわにする。音が聞こえない世界とはどういうものなのか。耳が聞こえないと不便や支障が生じてしまうと考えがちだが、本当にそうだろうか。彼らは手話が見えるよう常に向き合わなければ通じないし、教室の机がコの字形に配置されているのも象徴的。ろうあ者の若者たちは、障害とは何かも突きつけている。14年のカンヌ国際映画祭批評家週間でグランプリを受賞した。
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