「ゴジラ-1.0」©2023 TOHO CO.,LTD.

「ゴジラ-1.0」©2023 TOHO CO.,LTD.

2024.4.03

大怪獣とあのダークヒーローを結ぶ上下運動 「ゴジラ-1.0」:勝手に2本立て

毎回、勝手に〝2本立て〟形式で映画を並べてご紹介する。共通項といってもさまざまだが、本連載で作品を結びつけるのは〝ディテール〟である。ある映画を見て、無関係な作品の似ている場面を思い出す──そんな意義のないたのしさを大事にしたい。また、未知の併映作への思いがけぬ熱狂、再見がもたらす新鮮な驚きなど、2本立て特有の幸福な体験を呼び起こしたいという思惑もある。同じ上映に参加する気持ちで、ぜひ組み合わせを試していただけたらうれしい。

髙橋佑弥

髙橋佑弥

ここのところ、新型コロナウイルスにかかって伏せったり(2度目の感染である)、胃を壊してぐったりしたりと、体調不良に苦しめられていたら、あっというまに2月末が3月末になっていて、昨年公開作「ゴジラ-1.0」がアカデミー賞受賞作(視覚効果賞)になっていた。賞レースを熱心に追いかける習慣など失って久しい身としては、なんとまあ!という虚を突かれる驚きがあったりもしたわけだが、受賞記念ということで今回は「ゴジラ-1.0」を取り上げる。

とはいえ、作品はすでにご覧になっている方も多いだろう(アカデミー賞効果で拡大公開中である)。だから(というわけでもないのだが)本稿ではおそらく終盤の展開にも触れる。またいつものことながら、たびたび脇道にそれることにもなりそうである。


駆け込み鑑賞「面白い!」

映画というのは不思議なもので、本編以上に鑑賞前後が記憶に残ることもある。私にとっては「ゴジラ-1.0」もそうだった。

2023年11月13日(月)夕刻、職場を飛び出て電車に乗って、乗り継ぎ数度で渋谷まで。名画座「シネマヴェーラ渋谷」で、ぎりぎり上映開始に間に合った西河克己「追跡」(1961年)を見たのがこの日の私的活動の始まり。見終えて再び劇場から飛び出し、走って走ってまた乗車、自宅最寄りのシネコンで「ゴジラ-1.0」の最終回に駆け込んだ。一般2000円のところレイトショー料金1400円にIMAX上映で+500円、しめて1900円なり。着席してすぐ上映開始。はらはらしたから覚えているのだろうか。

──約2時間後。面白い! 鑑賞後感はそれに尽きる。見終えるともう終電はなく数十分歩かねばならなかったが、コンビニで買い求めた豚汁をすすりつつ、作品を反すうしながら家路についた。


「ゴジラ-1.0」©2023 TOHO CO.,LTD.

戦後の生活、男女関係「あいだ」がない

正直なところ、戦後映画としては不満がないではない。たとえば、物語の前半3分の1ほどの復員後描写。衣食住の不足と、その改善に、あいだがないのだ。初めこそ食料調達が話題に上るものの、神木隆之介演じる主人公・敷島が職についてからは、瞬く間に新居が建ち、同僚を招いて夕食を共にし、あっけなく生活の困窮は解決するし、後半にゴジラが壊す街は俯瞰(ふかん)で全体が示されるにもかかわらず、戦後の焼け跡やバラックはきわめて局所的にしか映らない。

企画的に仕方がない部分もあろうが、終戦後のどさくさにまぎれて、恋愛関係ではないにもかかわらず致し方なく同せい状態となる敷島と典子(浜辺美波)の関係性のきわどい曖昧さにも、ほとんど展開は踏み込むことがない(他者と疑似家族の、あいだがない)。要するに「生活感」に欠けているのである。


「ゴジラ-1.0」©2023 TOHO CO.,LTD.

下げて下げて下げて上げる作戦

けれど、序盤に続いてゴジラが再び、ようやく姿を見せる海上場面以降、印象が様変わりする。当時の装備と手探りの作戦が戦後設定とからみあい、怪獣襲来を際立たせるのだ。重巡洋艦も、銀座の街も、なすすべもなく瞬く間に壊されてゆく──ここがほぼ折り返し地点、以後は対ゴジラ一筋の潔さがいい。

本作の見せ場は数が絞られていて、①冒頭の大戸島、②海上、③銀座のあと、残るはひとつ=④最終決戦のクライマックスであり、後半はひたすら作戦準備となる。本作の勝因は、肝心要の「海神作戦」がユニークなことだろう。

詳細は省くが、作戦は荒唐無稽(むけい)すれすれのとっぴなシンプルさが魅力だ。ゴジラを急速に海に沈めて水圧で壊死(えし)を試み、無理なら今度は一気に浮上させて減圧で退治する。要するに、下げて下げて下げて上げる、という作戦である。

「ダークナイト ライジング」 地下監獄からの脱出

この「海神作戦」を思い返していて、思わず思い浮かべた映画がクリストファー・ノーラン監督作「ダークナイト ライジング」(2012年)だ。

本作にも、下がって下がって下がって上がる展開が登場する──筋骨隆々の強敵ベインとの戦いに敗れ、異国の地下深い監獄「ザ・ピット」に幽閉された主人公ブルース・ウェイン=バットマンは、命綱なしのロッククライミングで地上へと登り出るのである。下がって上がるのは、強敵ではなく主人公なのだから「ゴジラ-1.0」とは随分違うが、作品のスケールに似合わぬ単純さの印象が作品の想起につながったのだろう。

けれど、思えば主人公もどこか似ている。「ゴジラ-1.0」の敷島は「特攻兵の生き残り」で終戦後も死に場所を探していたが、「ダークナイト ライジング」のブルース・ウェインもまた不本意な隠遁(いんとん)生活の無気力状態から死に急ぐようにバットマン活動へ復帰することになるし、ふたりとも最愛の女性を亡くしている(生存があとから明らかになったりもするのだが)。終盤に身をていした自己犠牲的行動がある(あとから、脱出して助かったと判明する)点も同じだし、両作ともにそれが起こるのは海だ。そして、決死の戦いを終えた主人公は、これまでとらわれていた戦いから解放される。まさに「戦争は終わ」ったとばかりに。


「ダークナイト ライジング」© Warner Bros. Entertainment Inc. and Legendary Pictures Funding, LLC

IMAXの思い出とともに

個人的には「ダークナイト ライジング」も「ゴジラ-1.0」同様、不格好な個所が気になりつつ鑑賞後感は「面白い!」だった映画である。

思い返せば、記憶はおぼろげながら初めてIMAXで見た映画でもあったはずだ。たった十数年前のことだが、まだIMAXはいまほど多くなく、わざわざ足を延ばして行き慣れない劇場へ赴いたことが懐かしい。当時の一般料金はまだ1800円だった(いまだに2000円になったことが信じられない)。私は中学生だったので学生料金1000円にIMAX分+400円で計1400円なり。安い! けれど、当時の懐には追加料金400円がとても重みのあるものだったことも思い出される。

どこかのノートに記録が残っているはずだが、日付までは思い出せない。けれどアウトレットモールの一角にあってにぎわっていた劇場周辺、往路や帰路、ちょっと奮発してぜいたくな上映回を買い求める罪悪感(が不思議とあったのだ)、おもいのほか大きかったスクリーンはいまでも覚えている。

この劇場「109シネマズ グランベリーモール」は、私の大学時代に一度閉館してしまったのだが、今回調べてみたら「グランベリーパーク」と改称してリニューアルオープンしていると判明したので、いまは「オッペンハイマー」を見るために再訪しようか頭を悩ませているところだ。もしここで見たならば、たとえ本編が好ましいものではなくても、きっと作品は嫌いになれないにちがいない。

「ダークナイト ライジング」はU-NEXTで配信中。

ライター
髙橋佑弥

髙橋佑弥

たかはし・ゆうや 1997年生。映画文筆。「SFマガジン」「映画秘宝」(および「別冊映画秘宝」)「キネマ旬報」などに寄稿。ときどき映画本書評も。「ザ・シネマメンバーズ」webサイトにて「映画の思考徘徊」連載中。共著「『百合映画』完全ガイド」(星海社新書)。嫌いなものは逆張り。

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