「恐怖の報酬」【オリジナル完全版】©MCMLXXVII by FILM PROPERTIES INTERNATIONAL N.V. All rights reserved.

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2023.9.13

追悼フリードキン「恐怖の報酬」の青い夜と胃痛が結んだ 函館のあの映画

毎回、勝手に〝2本立て〟形式で映画を並べてご紹介する。共通項といってもさまざまだが、本連載で作品を結びつけるのは〝ディテール〟である。ある映画を見て、無関係な作品の似ている場面を思い出す──そんな意義のないたのしさを大事にしたい。また、未知の併映作への思いがけぬ熱狂、再見がもたらす新鮮な驚きなど、2本立て特有の幸福な体験を呼び起こしたいという思惑もある。同じ上映に参加する気持ちで、ぜひ組み合わせを試していただけたらうれしい。

髙橋佑弥

髙橋佑弥

ここのところ、はらはらし通しだった。ひやひや、きりきりする思いであった。それゆえ、少しばかりいらいらし続けてもいた。去年の夏に食中毒になってからというもの、1年たったいまも胃のぐあいが悪かったからだ。耐えかねて、今年の初めに内視鏡検査を受けたが、医者は「きれいなものです」と言い、異常なしと結論づけ、拍子抜けした。安心するために検査をしたはずであったが、かえって何か見落としがあるのではないかと不安になる始末で、まるで「ハンナとその姉妹」(1986年)に出てくるウディ・アレンが演じる心配性の男──体に少しでも不調があると「がんではないか」と騒ぎ立てる──のようだった。
 
しかし、つい先日ようやく不安は和らいだ。再検査をしたわけではないものの、どうもそれらしい症状名に思い当たり、それ用の漢方を試してみたところ、てきめんに効き始めたのである。
 
ずいぶん前置きが長くなったが、ただでさえ胃が痛いので、ここ最近は「胃が痛くなるような」緊張感のある作品を見るのは、気休めではあるけれど、つとめて控えるようにしていて、これにてようやく解禁されたというわけだ。喜び勇んで、私は近々見直そうと決めていた映画を見ることにした。


「恐怖の報酬【オリジナル完全版】」©MCMLXXVII by FILM PROPERTIES INTERNATIONAL N.V. All rights reserved.

はらはら解禁でフリードキンも追悼

ウィリアム・フリードキン監督作「恐怖の報酬【オリジナル完全版】」(77年)がそれだ。好きな映画にもかかわらず、だいぶ前にVHSで見たきりで、数年前に話題となった再公開やソフトリリースをことごとく見送ってしまい、先延ばしにしているうちに監督は今年8月に亡くなってしまった。それゆえ、見直すならいまだろうなと思ったのだった。
 


 
不謹慎であることを百も承知で書いておきたいのは、追悼という名目が、それまで訪れなかった機会を運んでくれることがあるということである。恥ずかしながら名前しか知らずに過ごしてきた書き手、作り手の訃報に接し、遅ればせながら、手をつけてこなかった作品を手に取ってみる──それがかけがえのない出会いになったことは少なくない。再見もまた同じことだ。だから、見たことがない人も、かつて見たきりの人も、これを機に私と一緒に見て(見直して)みてくれたらうれしい。


4人の落後者が運ぶニトログリセリン

映画の筋はシンプルだ。訳アリな過去を捨てて異国で落後者としてそれぞれ過ごしている男4人が、再起を懸けて危険きわまりない仕事を請け負う。仕事の内容もこれまた単純で、爆発物=ニトログリセリンを荷台に載せてトラック2台でジャングルから油田へ向かうというもの。油田では大規模火災が発生しており、ニトロは消火用になくてはならないものなのだが、同時に少しの刺激で爆発してしまう繊細な代物でもある。
 
尺は2時間。しかしこの筋書き=運搬は後半1時間に限られる。前半1時間は、男たちそれぞれの訳アリな過去、そして落後者としてのすさんだ日々がひたすら続く。これでもかとじっくり、じりじりと男たちの状況を描いていくが、全編通してセリフはわずかで、執拗(しつよう)さと寡黙さが絶妙に釣り合っている。同情は買わない。理解も求めない。けれど、これだけ見れば分かるだろう……彼らの情けなさ、いら立たしさ、現状に耐え続けるほかないやるせなさが、というわけだ。だからこそ、やめときゃいいのに、などというヤボな心は起こらない。入り組んだ密林のなか爆発物を背負いながら死と隣り合わせの運搬をゆく。当然だ、抜け出す道はこれしかないのだ、そう思わせる。


 

密林を抜けた先にある青い異界

いつもならば展開暴露は気にしないようにしているが「見てみてくれたら」などと書いた手前、道行きの詳細は明かさずにおこう。同乗したつもりで、じっさいに見て確かめていただきたい。けれど例外として、終盤のある場面にだけ触れておく。
 
物語は終盤にさしかかり、多くの出来事を経て、いまだトラックは先を急いでいる。つい先ほどまで木々の緑とぬかるんだ土があるばかりのジャングルに居たはずが、気づけば、辺りは岩肌がむき出しの荒涼とした土地である。そして、不自然なほどに青い。きっと夜なのだろうが、それにしても青々としすぎている。周囲だけでなく、人物の顔から何から全てが青一色だ。まるで無声映画の着色された場面のように、画面のほとんど全体が青ざめている。
 
しかも、道はなだらかでようやく旅路も峠を越したかのようなのに、運転者の表情は晴れない。遠くではひっきりなしに雷鳴がとどろき、真っ青な空を光らせている。これまで見てきた「リアル」な過酷さと打って変わって、この世と思えぬ幻想的といってもいいような異様地帯で、車を走らせながらハンドルを握る男は次第に自らの内なる記憶をも走り抜けることになる。はじめて見たときから、この青い空間が忘れられない。青い夜を抜けて、旅が終わり、映画は幕を下ろすことになる。


「きみの鳥はうたえる」©HAKODATE CINEMA IRIS

函館青春映画「きみの鳥はうたえる」

青い画面が印象的な映画は数多くある。だから、思い出そうとすれば幾らでも挙げることができそうではあるが、いま真っ先に思い浮かんだのは三宅唱監督作「きみの鳥はうたえる」(2018年)だった。
 


 
この映画は、もはやその特徴をもつ映画群を束ねて小ジャンルとさえ呼べそうな「男女男映画」──これは私が勝手に名付けた呼称だが、海外ではきわめて直接的に「Love Triangle Film(三角関係映画)」などと呼ばれているようだ──の系譜に連なる作品で、書店アルバイトの「僕」、一緒に住んでいる親友の「静雄」、「僕」の同僚の女性「佐知子」が親しくつるむ函館の一夏が描かれる。
 
言うまでもないことかもしれないが、「恐怖の報酬」と本作は似通ってはいない。前者は過酷な任務を描く映画で、舞台も南米の密林だし、主人公の男4人はそれぞれ同じ任務を引き受けたというほかに共通点はなく、仲を深めたりもしない。
 
他方「きみの鳥はうたえる」は、みずみずしいほどの無為な時間を描いた青春映画で、魅力的な街の映画だ。主人公の職場である書店だけでなく、映画館、喫茶店、クラブなどの場所が印象的に登場するし、なにより街をぶらついたり、家でだらだら過ごしたりといった生活感覚に満ちている。前述の通り、この映画の男ふたり女ひとりは次第に仲を深めていく。


 

少ないセリフ、原作小説をたくみに改変

似ていないことを説明するために差異を考えてみているなかで、手のひらを返すようではあるけれども、今更ながら意外と似通った点もあることに思い至った。
 
まずどちらもセリフが少ない。寡黙というほど意固地になってはいないが、冗舌ではない。説明的なセリフが徹底的に排されていて、人物の心境が明快ではない。逆に、必要最低限の豊かに澄んだセリフが配されているとも言える。
 
また、両作ともに原作小説の見事な映画化作品である。「恐怖の報酬」は、先行するアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督版が知られているが「リメーク」ではない……とフリードキン自身が明言している通り、ジョルジュ・アルノーの同名小説(1953年に「現代フランス文学叢書」の一冊として邦訳も出ている)を大胆に改変した独自の映画になっているし、函館出身の早世した小説家佐藤泰志による同名小説が原作の「きみの鳥はうたえる」も、映画版を見てから読めば、印象的場面の大部分がオリジナルな創意の産物であることに驚かされるはずだ。


無垢な関係の終わり告げる青い照明のクラブ

「きみの鳥はうたえる」における青い空間は、中盤に現れる。すっかり意気投合して、毎日のように遊ぶようになった3人が訪れるクラブの場面で、室内の照明が青いのだ。
 
青い光を浴びながら、3人は幸福なひとときを過ごす。酒を飲み、音楽を聴いて、体を揺らす。肩を組んで笑い合う。クラブを出ると夜が明けていて、路面電車で仲良く家路に就く。
 
しかしながら、この祝祭的な場面は変節点でもある。以降、あからさまにではないけれど、いつまでも続くかに思えた関係性の絶妙な均衡に波紋が生じることになるのだ。三角形が正しく三角形でいることができた、最後の無垢(むく)なひとときと言える。だからこそ忘れがたいのである。いつまでも思い出してしまう。
 

偶然に導かれ発見「似ている!」

「きみの鳥はうたえる」のラスト、主人公は待つことをやめて賭けに出る。それは渡らなくてもいいはずの危ない橋だ。少なくとも、挑まなければ深手を負わずにすむ。じじつ、これまではずっとそうしてきたはずだった。けれど、危険を承知で主人公は走り出す。成功の保証はない。でも、試みてみることにする。逃せば次はないからだ。後悔したくないからだ。最後のチャンスだからだ。
 
見ていると、この唐突な決断が納得できるものになっている。それがすばらしい。
 
気まぐれに思い浮かべたつもりであったが、並べてみると「きみの鳥はうたえる」は図らずも「恐怖の報酬」に似ているところが少なからずあるのだった。しかし、連続して見なければ「似ている」などとは思い至らなかったろう。
 
思えば「恐怖の報酬」のあと、久しぶりに「きみの鳥はうたえる」を見直すことにしたのは、胃の快気祝いをかねて近々気晴らしに函館へ足を運ぶことにしようと考えたからだった。ならば函館映画でも見ようじゃないか、と。それだけだ。単なる偶然である。しかしこれも何かの縁とでも言おうか、やはり併せ見ることで初めてわかることもあるのだった。
 
「恐怖の報酬【オリジナル完全版】」は9月15~20日、東京・ シネマート新宿で上映。
「きみの鳥はうたえる」は:U-NEXTで配信中。
 

ライター
髙橋佑弥

髙橋佑弥

たかはし・ゆうや 1997年生。映画文筆。「SFマガジン」「映画秘宝」(および「別冊映画秘宝」)「キネマ旬報」などに寄稿。ときどき映画本書評も。「ザ・シネマメンバーズ」webサイトにて「映画の思考徘徊」連載中。共著「『百合映画』完全ガイド」(星海社新書)。嫌いなものは逆張り。

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