左からクララㆍマリアㆍベッヒャー氏(プロデューサー)、ヘレンㆍヒデコ氏(監督)、ジュリアㆍウィリー氏 (編集)©Felix Pochlatko

左からクララㆍマリアㆍベッヒャー氏(プロデューサー)、ヘレンㆍヒデコ氏(監督)、ジュリアㆍウィリー氏 (編集)©Felix Pochlatko

2023.7.20

映画祭での出会いに興奮! ヘレン・ヒデコ監督「The Hand That Feeds」

国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。

筆者:

洪相鉉

洪相鉉

「ただいま消息を確認しました。こちらに向かっていらっしゃるそうです!」
 
2023年7月4日のプチョン国際ファンタスティック映画祭(以下BIFAN)6日目、午後7時半ごろ。セレモニーの注目度を高めるため、長編競争部門の授賞式より3日前に行われた短編競争部門の授賞式で、23年上半期の国際映画祭での最高の出会いが文字通り〝ドラマチックに〟訪れた。審査委員賞の受賞者の名前が呼ばれたが、本人は不在だった。映画を見ていたのだという。公正性のために発表直前まで受賞者が秘密にされていたとしても、これは一体どういう状況なのか。
 
「ヘレンㆍヒデコ監督御一行がお見えになりました」
会場に入るやいなや驚きと喜びが入り交じった表情で泣き出す彼女、授賞式に続くレセプションでの会話で筆者はこの「不思議でめでたいムード」の理由に気づいた。

 ヘレンㆍヒデコ監督のルーツとパーソナリティー

米ハワイで生まれ、カナダのブリティッシュコロンビア大学で英文学を学び、10年にオーストリアへ移住し、再びウィーン映画大学の学部課程で映画演出を専攻、様々なジャンルの映画やアートプロジェクトにかかわりながら活躍してきた彼女は、20年から大学院課程に在学中だ。インドで直接撮影した前作は世界的に名高いインディーズ映画フェスティバルであるスラムダンス映画祭(米パークシティー)に正式出品までされたが、こういう輝かしいキャリアにもかかわらず、ヒデコ監督は今回のBIFAN出品作「The Hand That Feeds」の受賞を予想できなかった。映画に自信がなかったわけではない。出生地と家庭環境(スコットランド人の尊父)によって所持しているアメリカとイギリス、そして移住によって取得したオーストリアの三つの国籍の所有者であることから想像されるイメージとは異なり、「謙譲」という日本人の美徳が身についていたのだ。そのため受賞を期待して焦るよりも、映画祭への参加の意義を生かして他のコンペ部門出品監督の作品を欠かさず見ようとしていた。
 
それなら謙譲はどこで学んだのか。国際映画祭の公用語の英語で会話しながら、筆者が「カリフォルニアアクセントのアジア系アメリカ人かと思った」彼女に手塚眞監督を紹介していた時、その謎が解けた。突然話始めた流ちょうな日本語。日本人の尊母からだった。幼い頃から美しい日本語に共同体意識と他人への配慮、礼儀正しさと気遣い、さらに、もののあわれまで教えていた群馬県出身の絵に描いたような大和なでしこ。アメリカでも週末の日本語学校に通っていたヒデコ監督は、自らテレビアニメの「まんが日本昔ばなし」を見て、祖母とはテレビドラマの「水戸黄門」を楽しんだ。その上、この全ての根幹にはストーリーテリングの自由さ、サウンドデザイン、世界の構成、作家的自我の反映などをまとめながら「映画魂」を燃え上がらせたジャパニメーションがあった。


©Rakoš_Hideko
 

斬新で創造的、驚くべき完成度の「The Hand That Feeds」

そのためだろうか。「The Hand That Feeds」も一見すると嫁しゅうとめ関係という普通の題材を描いているようだが、もう少し作品の中に入ってみると家族の絆と人間の本質を鋭く解剖するとともに世代と性別等による葛藤を洞察し、そこに改めて民話や寓話(ぐうわ)のモチーフ、東洋と西洋、プレモダンとポストモダンを横切る斬新な表現を加え、まさに革命的といえる叙事に遭遇できる。そして、「食べ物と悪夢のような幻想を通じて愛と罪悪感、そして家族内の統制と服従という主題を探求する」制作の意図を完璧に実現した映画は、「ニューミレニアムの物語」となる。
 
同作のもうひとつの特徴は、「フィルムスクールの学生映画」という筆者の傲慢な先入観を恥ずかしくさせるほど高いスタイル的完成度である。おそらく監督の美学とビジョンを共有するソウルメートであり、優れた判断力や行動力を備えたプロデューサーのクララㆍマリアㆍベッヒャーの制作管理がシナジー効果を引き出したのであろう。ここに登場人物の呼吸に合わせたジュリアㆍウィリーの堅固な編集も光を加える。ヨーロッパ映画だがアジアの映画でもあり、ジャンル映画だがアートフィルムを超える芸術性が際立つこの傑作に出合った喜びこそ、3月末から国内外の映画祭を駆け巡ってきた筆者にとってこの上ないやりがいだった。ふと日本映画界の者として何か悔しい。日本の映画祭はなぜこの鬼才たちを見つけられなかったのだろう。
 

©Marlene Rahmann

新しい出会いや気づき、未来に膨らむ期待をくれた監督

しかし、彼女たちにもう一度会える幸運はまだ残っている。インスブルックに引っ越した10歳の時に、学校で唯一のアジア人だったヒデコ監督の経験を再び学校と家、水中のファンタジーワールドという背景を結びつけ、「インクレディブル(incredible)」という表現が似合う次期作の企画が待っている。ここまで来れば「安定した仕事をしてほしいと心配していた母に、私の可能性を示す契機が与えられました」という彼女の受賞所感は謙遜しすぎるのではないかと思われるほどだ。
 
7月6日、BIFAN8日目の朝、WhatsAppのメッセージで別れのあいさつをしながら、筆者はもう「日本の俳優と働きながら、私の文化的レガシーの一面に命を吹き込む機会が与えられることを願う」という彼女の望みがかなうのを誰よりも待つ人になっていた。それからメモ帳には次の文章を書いた。
「お母様、お嬢様を本当に立派に育てられました。尊敬の念をお伝えしたいと存じます」

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