「ドンバス」©︎MA.JA.DE FICTION  ARTHOUSE TRAFFIC  JBA PRODUCTION  GRANIET FILM  DIGITAL CUBE

「ドンバス」©︎MA.JA.DE FICTION ARTHOUSE TRAFFIC JBA PRODUCTION GRANIET FILM DIGITAL CUBE

2022.7.25

20代の私が見たウクライナ映画 理解できない戦争を「自分事」とするために きどみ

第二次世界大戦中の最後の官選沖縄知事・島田叡、警察部長・荒井退造を主人公とした「島守の塔」(毎日新聞社など製作委員会)が公開される(シネスイッチ銀座公開中、8月5日より栃木、兵庫、沖縄、他全国順次公開)。終戦から77年、沖縄返還から50年。日本の戦争体験者が減りつつある一方で、ウクライナでの戦争は毎日のように報じられている。島田が残した「生きろ」のメッセージは、今どう受け止められるのか。「島守の塔」を通して、ひとシネマ流に戦争を考える。

きどみ

きどみ

ウクライナが舞台の3作品「ドンバス」「アトランティス」「リフレクション」について、20代の視点からの原稿を、というのが、編集部からの依頼だった。が、正直に申し上げて、私は映画で描かれていたことの半分ほどしか理解できなかった。とはいえ、知識がない分、映画を通して多くの疑問を持てた。疑問を持つことが知ることの始まりであり、知ることが理解への一歩だと思う。
 
本記事では、ウクライナはもちろん、戦争についてもあまり知識のなかった筆者が、映画を見て感じたことをできるだけ率直につづっていく。


 

「祖国のため戦え」 兵士はなぜ市民を責めるのか

最初に紹介するのは、セルゲイ・ロズニツァ監督の「ドンバス」(2018年)。ウクライナ東部のドンバス地方で起きた実話が元になった、13のエピソードから構成されている。映画では、「フェイクニュース報道」や「権力者の汚職」など、信じがたいエピソードが次々と展開されていく。
 
印象に残っているのは、親ロシア派勢力「分離派」による占領地域で、兵士がバスの乗客を検問する場面。兵士がバスに乗り込んできて、脅しに近い口調で乗客に食べ物を要求した。
 
“なぜこの兵士は、乗客に対して横柄な態度なのだろうか”。この時感じた疑問である。本来市民を守る立場にあるのが、兵士だと思っていたからだ。そして次にバスが到着したのは、検問所だ。そこでは女性兵士が、戦わない男性に対して「祖国のため」に戦えと主張していた。
 
“なぜ彼らは同じウクライナ人同士なのに戦っているのだろう”、“なぜ兵士と市民の間で大きな隔たりがあるのだろう”。次々と疑問が湧く。
 

「ドンバス」©︎MA.JA.DE FICTION ARTHOUSE TRAFFIC JBA PRODUCTION GRANIET FILM DIGITAL CUBE

状況から察するに、地下室へ逃げた市民よりも、「国のため」に命を懸けて戦っている兵士の方が彼ら/彼女らにとっては立場が上なのだ。劇中、「祖国のため」という言葉があらゆるシーンで使われる。親ロシア派勢力にとって、「国」は市民の命以上に守るべき存在であるため、国のために戦っていないのであれば、守る価値はないと思っているのだろう。だから、市民から食事を奪ったり、戦わないことを責めたりした。そして市民側も兵士が自分たちより優位な立場にいるとわかっているので、逆らえない。
 

「理不尽な死」犠牲になるのは罪のない人々

次に紹介するのは、バレンチン・バシャノビチ監督の「リフレクション」(21年)。舞台は、ロシアによるクリミア侵攻が始まった14年。ドンバスの戦線で親ロシア派勢力「ドネツク人民共和国」の捕虜になった外科医の男、セルヒーが、そこで悪夢のような非人道的行為を経験する。首都キーウに帰還後は、娘のポリーナとの交流を通して失った日常を取り戻そうとする。


 
セルヒーは捕虜になった際、医師として、親ロシア派勢力から拷問を受けたウクライナ兵士が「死んだ」か「生きている」かを確認する役割を課される。確認させられた兵士の中には、元妻の再婚相手で、ポリーナを育てるアンドリーもいた。
 
捕虜から解放されると、セルヒーはポリーナとの時間を大切にする。前半の過激な描写からは一転して、後半は静かで穏やかな日常が描かれている。だが、日常の中にももちろん「死」は存在する。ある日、ポリーナがストレッチをしている最中、窓ガラスに向かって突進してきた鳥が、頭をぶつけ、死んでしまった。


「リフレクション」©Arsenal Films, ForeFilms

人間が作った窓ガラスによって命を落とした鳥の死に方は理不尽である。そこで感じたのは、戦争も鳥の前に突然出現した窓ガラスのようだ、ということ。当たり前に続くと思っていた日常に突然現れ、生活を一変させる。そして多くの人が、国同士の争いに巻き込まれ、理由もなく命や住みかを奪われてしまう。兵士は「祖国のため」に戦うが、犠牲になっているのは国ではなく罪のない市民である。
 


「アトランティス」©Best Friend Forever

「守るために傷つける」矛盾

3作目は、「リフレクション」と同じバシャノビチ監督の「アトランティス」。ロシアとの戦争が終結したあと、25年のドンバス地域を描いている。戦争で深いトラウマを抱えた元兵士、セルヒーが、土中に埋められた身元不明遺体の発掘、回収に従事するボランティア団体の女性、カーチャと出会い人生と向き合っていく。
 
 “この人は、なぜこんなに苦しそうなのだろうか”と感じたのが最初の疑問である。だが、訓練の様子や仲間との会話の映像が流れていくにつれて、セルヒーはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされ、戦争が終わっても「普通」の人生を送れなくなってしまっている、ということが伝わってきた。戦争は、小さな個人の人生にとって、大きすぎる出来事なのだ。
 
一方、ドンバスの大地には、ロシア兵によってたくさんの地雷が埋められていた。地雷撤去に従事している登場人物は、完全撤去に「少なくとも15〜20年はかかる」と述べていた。その地雷の爆発に巻き込まれて、命を失ったり、大けがをしたりする人も作中で描かれている。
 
戦争が終わっても、戦争によって傷つけられた心や土地の傷は簡単に治せない。 “人類は、なぜそれをわかっていながら戦争を続けるのだろうか”。いや、わかっているからこそ「祖国を守る」ために敵国を傷つけるのをやめないのかもしれない。


 「アトランティス」©Best Friend Forever

「静」に潜む「動」の予兆

バシャノビチ監督の2作には、「静」と「動」が対比して描かれていると感じた。カメラは基本的に定点で、目の前の光景だけを映している。何かにフォーカスしたり、アングルを変えたりしないので、観客は何が起きているのかを瞬時に捉えるのは難しい。音楽もないので、場面のテンションもつかみにくい。だが、何も変化がないように見えて、実は何かがじわじわと進んでいる。突然爆発したり、発砲されたりする。「静」と「動」の対比に何度も驚かされた。
 
この対比は、世界から見たウクライナとロシアの関係も示唆しているのではないかと思う。恥ずかしながら自分は、22年2月24日までロシアとウクライナが対立していることを詳しく知らなかった。ロシアは突然ウクライナに侵攻したわけではない。ウクライナを描いた3作は、侵攻にいたるまでに前兆となる出来事がいくつもあったことを示していた。
 
「分からない」だらけだった。ニュースの映像や新聞の写真からは、ウクライナの断片的な情報しか知ることができない。しかし映画の中で、2時間どっぷりと向き合うと、彼らがどんな言語を話して、どんな洋服を着て、どんな時に喜びを感じるのか、たくさんのことが見えてくる。そして彼らの日常を知ると、自分たちと同じく食事を楽しみ、結婚式で盛り上がり、家族を愛する人間だとわかる。
 
私にとって、もはやウクライナでの戦争は人ごとではなくなった。苦しみから目をそらさず、戦線を追い続けていきたい。ロズニツァ監督やバシャノビチ監督ら、ウクライナ出身の映画人による新作が発表される日が来るのを、願わずにはいられない。

ライター
きどみ

きどみ

きどみ 1998年、横浜生まれ。文学部英文学科を卒業後、アニメーション制作会社で制作進行職として働く。現在は女性向けのライフスタイル系Webメディアで編集者として働きつつ、個人でライターとしても活動。映画やアニメのコラムを中心に執筆している。「わくわくする」文章を目指し、日々奮闘中。好きな映画作品は「ニュー・シネマ・パラダイス」。