「デアデビル:ボーン・アゲイン」より

「デアデビル:ボーン・アゲイン」より(c) 2025 Marvel

2025.3.06

《ネタバレ分析》トランプ政権を想起?マーベルの勝負作「デアデビル:ボーン・アゲイン」に漂う現実感

いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、大野友嘉子、梅山富美子の3人に加え、各ジャンルの精鋭たちが不定期で寄稿します。

筆者:

SYO

SYO

日本も登場する映画「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」で幕を開けた2025年のMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)。本作はディズニープラスで配信されているドラマシリーズ「ファルコン&ウィンター・ソルジャー」の続きとなっており、全ての作品がつながっているMCUは映画とドラマにまたがりながら物語が展開していくのが特徴だ。そして3月5日からは、また少々複雑な経緯を持ったシリーズの新作が始動する。「デアデビル:ボーン・アゲイン」(ディズニープラスにて配信中。全9話)だ。

この「デアデビル」シリーズ、元々はNetflixオリジナルシリーズとして3シーズンが制作されており(現在はNetflixでなくディズニープラスで配信中)、諸々の地ならしを済ませてMCUに合流。デアデビルやキングピンといったキャラクターが「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」「ホークアイ」「エコー」といった作品に登場してきた。

「デアデビル:ボーン・アゲイン」は満を持しての「デアデビル」の単体シリーズ新作となる。――ということで予備知識が必要な作品(MCU作品においてはいつものことだが)ではあるが、ファンにとっては長らく待ち望んでいた新章であり、その内容も気合が入ったものになっている。本稿では第1・2話の内容をいくつかのポイントに分けて《ネタバレあり》で深掘りする。


アンダーグラウンドでアウトローなデアデビル

まずは簡単に大枠をおさらいしよう。幼い頃に事故で失明するも不断の努力で弁護士として活躍するまでに成長したマット・マードック(チャーリー・コックス)。彼にはもう一つの顔があった。夜ごとマスクとスーツを身に着け、法で裁けない悪党に鉄ついを下すデアデビルだ。その手段は治安維持というより復讐(ふくしゅう)に近い容赦ないもので、異常に発達した聴覚や鍛えぬいた格闘術を駆使して相手の骨を打ち砕いたり再起不能にまでたたきのめしたりと、他のマーベルヒーローとは一線を画す。

かつ、法に照らし合わせれば犯罪者になってしまうため、むやみに他者に正体を明かすことはない。アウトローでアンダーグラウンドな存在であり(彼が人によってはヒーローではなく自警団/ビジランテと言われるゆえんだ)、ストーリーや描写においても過激な表現が特徴となる。

その流れを引き継いだ「デアデビル:ボーン・アゲイン」は、第1話から衝撃的な展開が連続。マットの親友フォギー(エルデン・ヘンソン)が宿敵の一人ブルズアイことポインデクスター(ウィルソン・ベセル)に射殺され、逆上したマットがポインデクスターを屋上から突き落とし、あわや殺しかけてしまうのだ。

長回しを効果的に使った刺す・殴る・蹴る、ダークで生々しいバトルシーンも冴(さ)えわたっており、コアファンはもちろんライトファンもこれまでのディズニーによるMCU作品とのギャップにショックを受けることだろう。

この壮絶なオープニングを経て物語のメインは1年後、親友を救えなかった悔恨からデアデビルを引退し、弁護士一本で生きるマットが新たな試練にさらされる姿を描いていく。警官殺しの容疑者の弁護を引き受けたマットは、彼の無実を証明する目撃者にたどり着くも、汚職警官にあわや殺されそうに。極限状況に置かれて自制できなくなり、相手を完膚なきまでにめった打ちにしてしまう……。

自分の中に眠る修羅を目覚めさせてしまった彼はどんな道を選ぶのか――というシリアスな展開が、第2話までの大まかな流れだ。ヒーローとしての在り方に悩むドラマ面は他の作品にも見られる王道なものだが、「デアデビル:ボーン・アゲイン」は主人公の暴力衝動に似た危うさをストレスフルに攻め立てる。かつ、骨を砕く際の音や生傷の描写、流血シーン等々バイオレンス表現もぬるさはなく、全編にわたって〝痛み〟が目立つものとなっている。


現在のアメリカとリンクする設定が

また、今回はある種ダブル主人公的な構造になっており、現実世界をオーバーラップさせる社会派の側面も顕著。その役割を担うのが、裏社会の帝王キングピンことウィルソン・フィスク(ビンセント・ドノフリオ)だ。なんと彼は今回、ニューヨーク市長選に出馬。そのカリスマ性と即断即決の行動力で狂信的な支持者を瞬く間に獲得し、他の候補者を蹴落として市長に当選する。その後も強権的なスタイルと脅迫めいた手段で辣腕(らつわん)をふるっていくのだ。原作であるマーベル・コミックにも登場するアイデアではあれど、今この時期に配信されることでトランプ第2次政権下にある現在のアメリカを想起する視聴者は多いのではないか。

「あなたが市長になったら超すごい! やばい!」「他の政治家にはない実行力に期待しています!」と興奮気味に語る支持者、狂騒ぶりを引き気味に見つめて「この街がヤツを選ぶならその程度の街ってことさ」と諦観するマットほか、政権交代前夜を思い出さずにはいられない演出が随所にちりばめられている。

象徴的なシーンがある。移動中に道路の陥没事故に出くわしたフィスクは部下の制止を振り切って車外に出て、作業員に一刻も早く補修を行うよう指示。すると役所からのGOサインが出ないと言われ、市長権限で強行する。ある種のトップダウン手法であり、迅速な対応にその場に居合わせた市民は喝采を浴びせ、その様子をSNSで拡散。各所の承認を得てようやく動き出すお役所仕事にうんざりしていた人々は、フィスクのリーダーシップに希望を見いだすのだ。

FISKとFIXをかけた「フィスクが直す」スローガンもしかり、彼に期待されているのは立て直しの部分。この一連の流れは演説で繰り返し「強い米国を取り戻す」と訴えていたドナルド・トランプに重なる。彼は大統領に再当選した瞬間から連日連夜大ナタを振るっているが、先の第97回アカデミー賞授賞式の場では、DEI(多様性、公平性、包括性)政策を敵視する政権への懸念がにじむスピーチが多く見られるなど、断行の一方で各所にゆがみを生み出している。

我々がリアルに感じている時の為政者によってはワンマンの恐怖政治になりかねない状況下の危うさ・恐ろしさが、「デアデビル:ボーン・アゲイン」にもべっとりと染みついているのだ。


グレーゾーンな表現で判断を視聴者にゆだねる

「デアデビル:ボーン・アゲイン」の興味深い点は、デアデビルとキングピンが共にヒーロー/ビランを引退し、弁護士/政治家として表社会で再起をはかるさまを鏡映しのように描いていること。ただ両者ともにまっとうな正攻法では限界を感じ、いかんともしがたい困難に直面した際、暴力に訴えるという素の部分が出てきてしまう。

「悪党を成敗するため」や「街を浄化するため」といった大義名分があったとしても、結局〝血と闘争〟からは逃れられない――という残酷な現実が徹底的に突きつけられるのだ。近年、「やり直しを認めない社会」が以前にもまして問題視されるようになってきたが、本作はそのテーマを掘り下げながらも「そもそも人間性や性根は変わらないのではないか?」という問いを投げかける。

そもそもフィスクが市長に立候補したのには、犯罪率の増加と貧困が進む状況を憂慮したというものがある。裏の社会を知り尽くした彼ならではのダーティーな解決法も市民にとっては救済になり得るかもしれないし、そもそもフィスクに決断させた背景には、デアデビルが引退して抑止力がなくなったことも関係している。

正義と悪の二項対立ではなく、グレーゾーンに切り込む意欲作――「デアデビル:ボーン・アゲイン」は要所に街頭インタビューの形式で市民の声を挟む構造になっており、視聴者に白か黒かの誘導を行わない。バイアスをかけずにこちらに判断をゆだねる本作が、残り7話でどのような結末を迎えるのか――固唾(かたず)をのんで見守ろうではないか。

「デアデビル:ボーン・アゲイン」はディズニープラスで独占配信中。

この記事の写真を見る

  • 「デアデビル:ボーン・アゲイン」より
さらに写真を見る(合計1枚)