オンラインの森

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2022.8.21

シリーズへのリスペクトを示しつつ、新たな切り口で見せる「プレデター:ザ・プレイ」:オンラインの森

いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、大野友嘉子、梅山富美子の3人に加え、各ジャンルの精鋭たちが不定期で寄稿します。

村山章

村山章

アーノルド・シュワルツェネッガーの出世作といえば「ターミネーター」(1984年)だが、1985年の「コマンドー」と1987年の「プレデター」は年々ファンを増やし、劇場公開時よりも熱狂的なカルト人気を得ている。とりわけ「プレデター」は「宇宙から人間を狩りにやってきた戦士」という設定がどんどん拡大解釈されてシリーズ化。もはやシュワルツェネッガーから遠く離れ、SF映画かいわいでは「エイリアン」(79年)と並ぶ人気キャラクターになっている。

そして4本のシリーズ正編が製作され、「エイリアンVSプレデター」(2004年)のようなお祭り的なスピンオフも生まれた「プレデター」に、新しい視点から斬り込んだ最新作が追加された。現在ディズニープラスで配信されている「プレデター:ザ・プレイ」(22年)である。


 コマンチ族VSプレデター

 
物語の舞台は1719年の北アメリカ。主人公は狩猟民族であるコマンチ族の少女、ナル(アンバー・ミッドサンダー)。当時のコマンチはまだほとんど白人の入植者の影響を受けず、古くからの暮らしを守っていた最盛期であり、ナルは男たちの仕事とされる狩りに参加して戦士として認められることを願っている。そして、グレートプレーンズの雄大な平原で、人間狩りにやってきたプレデターと戦うことになるのだ。
 
コマンチ族VSプレデター。まさに地球と宇宙の狩猟民族が相まみえるわけだが、作品のタッチはB級テイストを楽しむようなノリではない。コマンチの生活と大自然の美しさを丹念に描いていく序盤は、テレンス・マリックの「ニュー・ワールド」(05年)を想起させるし、透明になる能力を持つプレデター相手に森や川を味方につけて戦う決死の攻防はメル・ギブソン監督の傑作「アポカリプト」(06年)を思わせる。
 
そしてナルとプレデターの戦いに割り込んでくるのが、毛皮のためだけにバッファローを大量に殺して回るフランスからの入植者たちであり、先住民の存在や文化が脅かされていくアメリカの歴史がしっかりと背景にあるのがわかる。
 

旧シリーズファンへのサービスも手厚く

 
見ている側としては、「ちょっと待って!「プレデター」ってこんなにしっかりとした映画でしたっけ?」と、思わず静止の声が口から飛び出そうになる。それでいて、シリーズ旧作の名セリフをさらりと紛れ込ませてみたり、過去作に出てきたプレデターの武装をうまくナルの戦略に生かしてみたり、旧来のファンへのサービスも手厚いのだから恐れ入る。
 
気がつけば、知識と経験を総動員して戦うナルを応援する手に力がこもり、18世紀のコマンチ族の暮らしや哲学に魅せられ、最後までSFアクションを見ていたのか歴史ものを見ていたのか判然としないが、充実した達成感が味わえる。エンドクレジットには続編を匂わせるようなお遊びもあるので、どうか途中で再生を止めないでいただきたい。
 
第1作から35年。当時、こんなに息の長いシリーズになることを、また、これほどさまざまな可能性が切り開かれるシリーズになることを予想していた人がいただろうか。「プレデター」のシリーズ自体、プロデューサーのジョン・デイビスが全作に携わってはいるものの、一貫して世界観を統率するクリエーターがいたわけではない。18世紀のネイティブ・アメリカンとプレデターを戦わせるアイデアを思いついたのは、第1作の公開時にはまだ5歳だった本作のダン・トラクテンバーグ監督だったという。
 
人から人へ、ファンからファンへと作品が受け継がれて、思わぬ地平へとたどり着く。ひとつのビジョンが貫かれた作家主義の映画もいいが、ジャンル映画ならではの広がりを堪能させてくれる「プレデター」シリーズの今後にも期待が膨らんでいる。
 
ディズニープラス「スター」にて独占配信中

ライター
村山章

村山章

むらやま・あきら 1971年生まれ。映像編集を経てフリーライターとなり、雑誌、WEB、新聞等で映画関連の記事を寄稿。近年はラジオやテレビの出演、海外のインディペンデント映画の配給業務など多岐にわたって活動中。

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