「その道の向こうに」の一場面。 画像提供AppleTV+

「その道の向こうに」の一場面。 画像提供AppleTV+

2023.1.29

ジェニファー・ローレンスが脚本にほれ込みプロデュースも兼ねた「その道の向こうに」:オンラインの森

いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、村山章、大野友嘉子、梅山富美子の4人です。

村山章

村山章

ジェニファー・ローレンスといえば、二十歳で「ウィンターズ・ボーン」でアカデミー主演女優賞候補となり、翌々年には「世界にひとつのプレイブック」で同賞を受賞するなど、17歳のデビューから一貫して天才っぷりを発揮してきた。しかしSFアクション大作「ハンガー・ゲーム」シリーズの成功によって、願っていたキャリアとは違う道に進んでしまっていたという。
 
というのも、所属していた大手タレントエージェンシーの代理人が、彼女をドル箱スターに育て上げようと小規模な作品のオファーを握りつぶしていたのだ。ローレンスは、尊敬する監督たちから送られてきていた脚本が自分の手元に届いていなかったことを明かしている。
 
ローレンスはタレントエージェンシーと袂(たもと)を分かち、2018年に自らの制作会社エクセレント・カダバーを設立。主演とプロデュースを兼ねた第1回作品「その道の向こうに」が現在AppleTV+で配信されている。脚本にほれ込んだローレンスが、コロナ禍を乗り越えて数年がかりで実現させた「本当にやりたいと思った作品」である。
 

役者の繊細な演技でほのかな友情を育む2人を丹念に描き出す

主人公のリンジーはアフガニスタンからの帰還兵。戦場で脳に損傷を負い、心身ともに傷ついた状態でニューオーリンズの実家に戻ってくる。自分本位でネグレクト気味の母親とは心が通わず、戦場でのトラウマやパニック症状に苦しみながら、他人と関わらずに済むプール清掃の仕事に就く。
 
ある日、たまたま自動車整備工の黒人男性ジェームズ(ブライアン・タイリー・ヘンリー)と知り合い、ほのかな友情を育んでいく。それぞれに葛藤を抱えたふたりのぎこちない交流が、静かなタッチでつづられていく。
 
本作で映画監督デビューを飾ったのは、ブロードウェー舞台の演出家として名をはせたライラ・ノイゲバウアー。ギミックを極力排し、あくまでも俳優の演技にフォーカスするアプローチをまっすぐに貫いている。
 
リンジーもジェームズも大声で自分を語るような人物ではなく、言葉よりもたたずまいが人となりを語っている。ほとんどの場面では彼らの顔にフォーカスが合っており、背景は巧妙にピントがぼかされている。われわれは言葉少なな彼らの表情にひき込まれ、その微妙な変化に注目することになるのだ。
 
この映画は、言葉では説明しようがないくらいかすかな心の動きを描いていて、プロットだけを取り出すとかなり地味だといっていい。映像も丹念に役者の演技を追いかけていて、派手な見せ場はないに等しい。しかしノイゲバウアー監督は、個人の再生の物語を描くのにローレンスとタイリー・ヘンリーの虚飾のない演技さえあれば成立するのだと証明してみせた。
 
ふたりの静かだが人間味あふれる名演に触れれば、今年のアカデミー賞ノミネーションでタイリー・ヘンリーが助演男優賞候補に選ばれたことも当然だと感じるはず。むしろローレンスがノミネートされていなかったことに憤るかもしれない。
 

舞台であるニューオーリンズと演技を巧みに結び付けたアプローチ

筆者は大昔に一度だけ、真夏のニューオーリンズを訪れたことがある。ときに100%に達する湿度はうわさに聞く以上に強烈で、むせ返るような濃密な空気は呼吸すらできないくらいだった。本作でリンジーとジェームズを包んでいるのもおそらく真夏のニューオーリンズの湿度であり、けだるい暑さはリンジーが掃除するプールの水のイメージとも密接に結びついている。
 
非常にストイックでミニマムなアプローチの作品ながら、確かに人間が息づいていると感じられるのは、演技と土地を巧みに結びつけたおかげもあるのだろう。過去を振り返るようなフラッシュバックも一切使わず、映画の中で前へ前へと時間が流れているのが伝わってくる。ローレンスにしてもノイゲバウアーにしても初めての挑戦だったはずだが、早くも傑作をものにしたものである。
 
「その道の向こうに」はAppleTV+にて配信中。

ライター
村山章

村山章

むらやま・あきら 1971年生まれ。映像編集を経てフリーライターとなり、雑誌、WEB、新聞等で映画関連の記事を寄稿。近年はラジオやテレビの出演、海外のインディペンデント映画の配給業務など多岐にわたって活動中。