毎日新聞のベテラン映画記者が、映画にまつわるあれこれを考えます。
「Black Box Diaries」©伊藤詩織/Black Box Diaries製作委員会
2025.2.19
「Black Box Diaries」日本未公開の不思議
ジャーナリストの伊藤詩織が監督した、自身の受けた性暴力を追及した映画「Black Box Diaries」が、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞の候補になっている。伊藤は、テレビ局の元記者から受けた性被害を告発し、2017年に事件の経緯を「Black Box」として出版。日本で「#MeToo」運動が広がる大きなきっかけとなった。今作は著書の基になった素材に加え、出版時に係争中だった民事裁判の判決までを追った、日記形式のセルフドキュメンタリーだ。被害を受けてから、長い長い闘いの記録である。
生の素材の訴求力は強い。映画には、警察との電話や訪れた検察でのやりとりなどの音声が引用され、面会取材時の映像も使われている。被害を相談した警察との通話では「証拠がない」「ためにならない」と門前払いされながら、何度も電話をするうちに担当した警察官が次第に理解を示し、やがて警察の内部情報まで明かすようになる。被害に遭ったホテルで、事件のあった日に当番だったドアマンが、伊藤のために証言すると名乗り出る。彼女のことを心配する家族を説得し、時に押し切って追及を続ける。その勇気と粘り強さ、行動力に敬服するしかない。伊藤がいかに苦しめられ、一つ一つ厚い壁を突き崩していったかが、生々しく伝わってくる。
元記者は当時の安倍晋三首相と親密で、不正を暴くには並大抵の取材では不可能だったことは想像に難くない。ただ一方で、危うさも気になった。隠し撮りと思われる映像や音声の使い方は適切なのか。彼女の元弁護人から、裁判の証拠として入手した映像の使用について抗議もされている。警察幹部への突撃取材は、映像的な〝見せ場〟を作るための演出のようにも映った。
日本人監督による長編ドキュメンタリーがアカデミー賞候補になるのは、初めてだそうだ。日本に優れた作品がなかったからではない。米国内で公開された作品を対象とした米国の映画賞だし、注目されるのは世界的な関心事や時事問題を扱った作品になりがちだ。今回のほかの候補も、ガザやウクライナでの戦闘を描いた時事もの、先住民への差別や冷戦下の埋もれた事件を発掘した歴史ものだ。
だから受賞するかどうかは運次第。作品への注目度を高めるという点では、候補入りだけでも十分だ。むしろ、日本で公開未定ということが気になる。米国はじめ世界中で上映されても、国内では先述したような問題が繊細な機微に触れる。私はプサン国際映画祭で鑑賞した。埋もれさせていい作品ではない。障害を取り除き、広く公開してほしい。アカデミー賞授賞式は現地時間3月2日だ。