「コーポ・ア・コーポ」©ジーオーティ/岩浪れんじ

「コーポ・ア・コーポ」©ジーオーティ/岩浪れんじ

2023.11.26

門限厳守で2次会行けない学生寮でも「ここが居場所」 教えてくれた「コーポ・ア・コーポ」

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

井上亜美

井上亜美

大学進学を機に上京した私は現在、学生寮で生活している。同じ寮で暮らす学生の大学や学年はばらばらだが、お互いに適度な距離感を保ちながら、頼み事や話したいことがあれば部屋を行き来するなど緩やかにつながっている。そんな関係性が心地よく、本来であれば2年間の契約であるところを、1年ごとに延長しながら大学卒業まで住み続けるつもりでいる。
 
だが、共同生活には気まずい瞬間もつきものだ。壁が薄く隣の電話の声が筒抜けだった時、洗面所での恋バナを耳にした時、仲の良かった先輩が急に退寮した時。そうした場面に遭遇するたびに、同じ空間で過ごしていても、それぞれに人間関係や決断、抱えるものがあるのだと実感し、少し寂しくなる。

その気まずい出来事が、もし同じアパートに住む顔見知りの住人の自殺だったなら――。その死の先にあるものを、残された住人たちの多様な視点で物語るのが「コーポ・ア・コーポ」である。
 


 

大阪下町 アパートの群像劇

作品の舞台は大阪の下町。安アパート「コーポ」には、家族のしがらみから逃げて暮らすフリーターの辰巳ユリ(馬場ふみか)、女性からもらったお金で生計を立てる中条紘(東出昌大)、女性に対し不器用な日雇い労働者の石田鉄平(倉悠貴)、人当たりはいいが部屋でいかがわしい商売を営む老人・宮地友三(笹野高史)ら、さまざまな事情を抱える人たちが緩いつながりを保ちながら暮らす。ある日コーポの一室で、住人の山口が首をつって死んでいるのが発見されるところから、コーポの住人たちの群像劇は幕を開ける。
 
印象的だったのは、その死の受け止められ方である。山口の死に他の住民たちは冷静で、必要な手続きをてきぱきと済ませる。そして遺品として残った大量の家電を、動かなくなった自分たちの家電と取り換えたり、値札をつけてコーポ内でバザーを開いてみたりと、死を感じさせるものでさえ積極的に生活の中に取り込んでいくのだ。その姿はどこか現実離れしているようにも見えた。


 

隣人の死 静かに乗り越える

だが、センチメンタルになるよりも自分の生活のことを優先しなくてはならないという、定職につかないまま暮らす住民たちの意識もそこから垣間見ることができる。アパートで暮らす住人はみな、世間一般で言われる「こう生きるべき」姿からはそれた道を、回り道をしながら進んでいる。
 
しかし、皆が山口の死に無関心だったわけではないと私は考える。同じような境遇や住まいに身を置く人が突然いなくなったら、その人が何を見て何を思っていたのか、私だったら考えてしまうだろう。これまでの生き方や、逃げてきたことに対し静かに向き合うコーポの住人たちも、日々の暮らしを振り返る折に山口の死が頭をよぎったのではないか。だが、それでも何とかなるさ、と飄々(ひょうひょう)としているのが彼らの良いところだと思う。彼らなりの乗り越え方なのかもしれない。


期限付き学生生活 不安と楽しみ

また映画では、コーポの内部だけ時間がゆったりと流れているような気がした。「俺、来年何やってんやろか」。作業現場で知り合ったアルバイトの学生・高橋(北村優衣)が、石田に今後の出勤予定を尋ねられ、来年の卒業旅行のために貯金したいと答える場面。就職先も大学卒業のめども立った高橋に対し、日雇い労働で生計を立てる石田が何気なくつぶやいた不安は、彼をはじめとするコーポの住人たちもみな持っていると推察する。
 
私も高橋と同じように期限付きの学生生活を楽しみながらも、就職後のことや卒業旅行のことなど、現時点からは見えないもっと遠くのことまでも視野に入れようとしている。だからこそ足元の時間の経過が速く感じられるのだろうか。未来への漠然とした不安。そういうものを野放しにして日々を送ることも怖いことではないのかもしれない。雨が降れば給料がもらえないのに、来る日も来る日も日雇いの仕事を続ける石田の姿が印象的だった。
 
一人ひとりの物語を追っていくうちに、登場人物が繰り広げるコミカルな会話劇も相まって前向きな気分になる。自分の弱ささえもあたたかく肯定してくれているような、そんな優しさがこの映画にはある。だがその一方で、孤独死や援助交際、非正規雇用といった社会の暗部もしっかりと物語に落とし込まれている。家庭環境や大切な人の死、人間関係のトラブルや老後の不安など、それぞれが自らの力では簡単に変えられない状況に陥っているが、不思議と暗さは感じない。時に傷を負うこともあるが、そういう時にこそ頼りになるのは身近な環境にいる人たちなのかもしれない。そう信じることのできる「居場所」の存在を、私はエンドロールを見ながら思い浮かべていた。


「大学生らしさ」憧れあったけど

私の暮らす寮は門限やルールが厳しい。寮内ではお酒も厳禁な上に、サークルやゼミの仲間と飲み会に行っても2次会に参加できないのがかなりつらい。深夜の散歩や夜勤のアルバイト、あとは終電を逃してカラオケで一晩過ごすような「大学生らしい」生活に憧れたことだって一度や二度ではない。だが、寮に帰ればそんな悩みなど気にならなくなり、自分らしくふるまうことができる。寮のロビーや図書室に行けばだいたい誰かしらいるので、そこに行き勉強することもあれば、くだらない会話が深夜まで続いたり突然カラオケ大会が始まることもある。まるで修学旅行や合宿の夜の続きのようだ。
 
そんな生活を続けるうちに、自分でも「これでいいのだ」と受け止めることができるようになった。素朴な生活だと感じていた日々こそが、私にとってかけがえのない居場所だったのかもしれない。「コーポ・ア・コーポ」はそんなことに気付かせてくれた作品だった。

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ライター
井上亜美

井上亜美

いのうえ・あみ 2002年鳥取県生まれ。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修在学中。23年5月より毎日新聞「キャンパる」編集部学生記者。

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