誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
「誰のための公共事業 ギロチンが宝の海を壊した」
2025.3.12
私たちの将来を〝上がり世代〟に決めさせないために 世紀の愚策・諫早湾干拓事業ドキュメンタリーを見た大学生の怒りと提言
「誰のための公共事業 ギロチンが宝の海を壊した」(⾥⼭千恵美監督)は、国営諫早湾干拓事業(諫干)を追ったドキュメンタリーだ。本作を見るまで、私は諫干を「面倒で厄介な公共事業の一つ」、程度に感じていた。たとえ有明のりが食べられなくなったとしても、私の生死に直結するような問題ではない。しかし、その認識は大きく覆された。これは単なる地方の問題ではなく、私たち次世代が直面する社会構造や政策決定のあり方を象徴する出来事であると気づいたからだ。
「走り出したら止まらない」独善的官僚体質
本作は、諫干によって漁場の質が低下したと訴える漁業者や専門家の声を通して、事業の経緯とその影響を振り返るものだ。国、特に農林水産省は「諫干はコメ不足や防災の観点から重要な事業だ」と主張しているが、地元住民や漁業者からはその主張に対する疑念が絶えない。作中に登場する専門家が、この事業は公共事業関連企業に天下りポストをつくるために「私利私欲で進められているのではないか」と指摘するシーンは、官僚主導の公共事業がどこまで地域住民のニーズ、実情を反映しているのかと考えさせられる。
諫干を巡る問題で、地元住民が求めた「開門と実証実験」を国が拒否し続けた背景には、そうした官僚的な性質が深く関わっているのではないか。最高裁で住民側が勝訴したにもかかわらず、国は実証実験を拒み続けた。ナレーションが繰り返したように「一度走り出したら止められない」独善的であり自己中心的な、官僚の姿勢の現れだったと思う。
「誰のための公共事業 ギロチンが宝の海を壊した」
世代間ギャップが生む不条理公共事業
こうしたことは諫干だけでなく、地球温暖化や日本政府の化石燃料政策にも通じるものがあると感じた。言葉を選ばずに書くと、政策を決定しているのは地球温暖化の深刻な影響を受ける前に引退、この世を去るであろう「上がりの世代」だ。この人たちの決定は私たち下の世代に文字通り致命的な結果をもたらしかねない。そのことをわかっていないのか。
私にはむしろ、知っていながら「〝自分事〟ではないから、ひとごとだから」と見て見ぬふりをしている、そんな気がしてならない。致命的な結果を受けなくて済む彼らにとっては、非常に合理的な選択だからだ。一方で、私たち次世代はその結果を直接受け止めることになる。いや、受け止めざるを得ない。この世代間ギャップは、公共事業や環境政策の根幹にある重要な問題ではないか。
本作の主題である「誰のための公共事業?」という問いは、私自身の問題として重みを増した。この問いに私が導き出した答えは、公共事業は今の世代、次の世代、そして未来の世代のために行われるべきだということだ。それが特定の集団の利益だけを優先したものになれば、悲劇的な結末を迎えることになる。それはこの諫干が示している通りだ。
大切な人は苦しめない
では私たちに何ができるか。ヒントは最後のシーンにあると思う。漁場再生にいそしむ漁業者、平方宣清さんはその理由を、「私は親バカなので」と自嘲しながら「息子が帰郷して、漁師業を継ぐときに苦労をさせないために」と語っていた。そう、上の世代である漁業者の彼は、次世代の息子が好きだから下の世代のことを思うのである。
ならば極端だが、私たち下の世代は上の世代に好かれ、大切に思われれば良いのである。将来、大切な人が苦しむかもしれないと思えば、いくら自分たちが「上がった」後ことであっても気遣ってくれるはずだ。
まずは交流すること
好感を得るためには、上の世代の人と下の世代の人が交流することになるだろう。私の場合、「異世代ホームシェア」と呼ばれる血縁の無いシニアと学生が同居するプロジェクトに参加している。が、そこまで密な関係性を築くことをせずとも、例えば地域の清掃ボランティアに参加して高齢者と知り合いになるとか、近所の人とあいさつを交わすといったことでもいい。いずれの形であっても、上の世代から好感を得ることができるだろう。無論、好感を得たいなどという思いがなかったとしても、である。
シルバー民主主義といって、有権者に占める高齢者(シルバー)の割合が高くなり、政治において高齢者の意見ばかりが影響力を持つ状態を批判的に捉える言葉がある。そして高齢化がますます進むこれからの時代、日本はシルバー民主主義社会になると危ぶむ声が聞かれる。けれども、ことさらに世代間対立を恐れなくてもいいだろう。異世代間で交流を深め大切に思ってもらえれば、若者も無下に扱われることはない、そんな想像は楽観的だろうか。私はそうは思わない。
「誰のための公共事業 ギロチンが宝の海を壊した」は、2025年3月14日から始まる「TBSドキュメンタリー映画祭」で上映される。映画祭は、東京・渋谷のヒューマントラストシネマ渋谷(3月14日~4月3日)▽大阪・テアトル梅田、名古屋・センチュリーシネマ、京都・アップリンク京都、福岡・キノシネマ天神(以上3月28日~4月10日)▽札幌・シアターキノ(4月5~11日)――で開催。