誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
「死に損なった男」©2024 映画「死に損なった男」製作委員会
2025.3.06
ジャンル映画の世界的普遍性と日本情緒を融合した「死に損なった男」は、映画館で見るべき一作だ
遊園地アトラクションのスタッフはどのような気分だろうか。勝手に想像した。長い行列でドキドキしながら順番を待つ人々を見て、新しい世界への導き手である自分も胸がいっぱいになったはずだと。2019年6月29日の夕方、プチョン国際ファンタスティック映画祭(BIFAN)の開幕式、プチョン体育館近くでレッドカーペットイベントに参加する日本人ゲストを案内しながら思ったこと。
「メランコリック」の驚き
「次の方、準備はいいですか」「あ、ああ! はい!」。「メランコリック」の田中征爾監督は、少年のような表情で立っていた。これが長編監督デビュー作だった。さて、私のことは誰だと思っていただろうか。いや、それはどうでもよかった。記者時代の先輩であるBIFANプログラマー、金奉奭(キムㆍボンソク)の誘いで同映画祭の日本映画を担当するプログラムアドバイザーとして働いていたが、自分が選び、選考委員会に推薦した作品の監督や、スタッフ、キャストに会えるだけで十分だった。しかもそうした作品は全て、筆者が役員である韓国の映画ウェブメディア「CoAR」で紹介までしていたのだ。それなのに18年のBEFANでは、ゲストと交歓する機会を得られなかった。
この年、筆者が担当した日本人ゲストの1人で、20代の若い監督が、自分の短編が上映されていた劇場でのゲストトーク中にスクリーンに穴を開ける事件を起こしたのだ。彼を招待した私と金が責任を負わなければならなかった。何百万円もの金銭的被害も深刻だったが、より懸念されたのは、反日モードが高まっていた当時、1人の若い監督の行為が「とんでもない国際問題」に発展する可能性である。ほぼ毎日、メディア界の先輩、同期や後輩などに電話をしながら過ごして映画祭が終わってしまった。
その後に訪れた東京国際映画祭で「メランコリック」に出会い、プログラムアドバイザーという地味な仕事が一気に報われた気分だった。スプラッター映画なのかという予想を覆し、コメディーにアクション、さらにスリラーにヒューマンドラマまでを融合し、見慣れたものの変奏によって新しいものを創造するジャンル映画の文法を完璧に自己化していた脚本のストーリー力と演出力。BIFANでの上映で、自分たちの映画祭への招待作を求めてやって来た欧米の友人たちが嘆声を上げるほどの反応を示したことが、筆者をさらに喜ばせた。
「死に損なった男」©2024 映画「死に損なった男」製作委員会
深夜に書いた脚本、300万円で製作したデビュー作
田中監督の経歴を見れば、「メランコリック」は必然的な帰結だったのかもしれない。中学生時代、自宅の大半の本を読破し書店に通い詰めた読書量に、映画や演劇を見ながら育ててきた、ストーリー構造を把握し、抽象化して自己化する能力。教師が配ったプリントの裏面にシノプシスを書き、国内の名門私立大に進学したが、指導教授と話し合いながら脚本を完成させるより、自由な雰囲気で訓練を受けることを願い、実戦プロを輩出する学校として有名なロサンゼルスのOCC(Orange Coast College)に留学し、映画の勉強を終える。
もちろん、アメリカ留学経験者だというだけで、成功の道を歩んできたわけではない。劇作の仕事をしていたが、生活のためにオンライン講義コンテンツを製作するプロダクションに就職し、「メランコリック」のシナリオは家族全員が就寝した午後11時以降に書き、撮影は週末だけで5週間敢行。製作費は約300万円だった。それでもゲストトークでは「今まで作った作品の中で最高の製作費」と言いながら明るい表情をしていた彼。
ストーリーテリングの妙 遺憾なく発揮
デビュー作と田中監督のゲストトーク、そして彼のインタビューの内容に改めて言及しているのは、制限された条件の中で闘魂を燃やすという環境は全く変わっていないにもかかわらず、あまりにも早く流れるランニングタイムがもったいないほどのストーリーテリングの能力を、新作「死に損なった男」でも発揮しているからだ。
「死に損なった男」も「メランコリック」のように、少し恐ろしく感じられるかもしれない設定がされている。死に損なったお笑いの構成作家、関谷一平が、国語教師だった森口友宏の幽霊から、彼の娘につきまとう「あの男」を殺してほしいと依頼される。実際、このシークエンスの直前まで田中監督は、欧州のホラーを連想させる、完成度の高い緊張度を維持していく。
この世とあの世をつなぐコンビを応援したくなる
しかし、芸人特有のセンスが光る関谷役の水川かたまりの熱演とともに、個性派名優の正名僕蔵が演じる森口が、あっという間にドラマの流れを逆転させてしまう。そのうえ前作の「メランコリック」で、「ブレイキングㆍバッド」の思いがけず犯罪に巻き込まれる男というアメリカ的感覚を日本映画に取り込み、意外性に満ちたストーリーテリングで魅惑したように、「死に損なった男」では森口がウディㆍアレンのコメディーに登場する脚本家のように知的な一方、「宇宙人ポール」のタイトルロールと同様の、先入観をはるかに超える魅力を発している。ずうずうしく天然でどこかだらしない一方で温かい心根を持ち、日本の観客に親しみやすい真面目なおやじキャラ。
彼によって、初めは「ばかばかしいことを言っているな」と冷たく眺めていた観客の目線はいつのまにか温かくなり、この世とあの世をつなぐコンビを応援するようになる。到底収拾できそうになかった序盤の伏線をどう整理するのかという心配を杞憂(きゆう)にしてしまう田中監督の才能が光を放つところである。加えて、休業前まで、韓国では日本女優として最高の人気を誇った唐田えりかの成熟美が感じられる姿もうれしい。
「ジャンル映画に最適化されたストーリーテリング」という国際的な普遍性に、日本観客の胸を打つ特有の情緒を付加することによって、何か胸いっぱいになるような達成感でエンドロールを見守らせる「田中征爾映画の楽しさ」が、劇場というエンターテインメント空間における究極の満足を提供する。「邦画はあまり映画館で見ない」という人ほど、映画館に行って見るべき一本なのだ。