「湖の見知らぬ男」

「湖の見知らぬ男」©️2013 Les Films du WorsoArte France Cinéma M141 Productions Films de Force Majeure

2025.3.21

あけっぴろげなゲイ描写と夜闇の不穏さ 伝説的LGBTQスリラーが公開「湖の見知らぬ男」

ハラハラドキドキ、謎とスリルで魅惑するミステリー&サスペンス映画の世界。古今東西の名作の収集家、映画ライターの高橋諭治がキーワードから探ります。

筆者:

高橋諭治

高橋諭治

フランスのアラン・ギロディ監督が2013年に発表した「湖の見知らぬ男」は、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の監督賞を受賞し、セザール賞では8部門にノミネート(そのうち有望若手男優賞を受賞)、カイエ・デュ・シネマ誌のベストテン1位に選出された逸品だ。ギロディの名声を一躍高めた本作は、カンヌでクィア・パルム賞も受賞しており、伝説的なLGBTQ映画としても知られている。


このたび「アラン・ギロディ特集」の1本として正式な劇場公開が実現した本作は、筆者の大好物のクライムスリラーでもある。10年ほど前にその噂(うわさ)を聞きつけた筆者は、ネットでフランス盤のDVDを購入して鑑賞し、その特異な作風に驚嘆させられた。そして先月、配給元のサニーフィルムが催したマスコミ試写で久しぶりに再見する機会を得て、改めて本作の衝撃性に打ちのめされた次第である。一体全体、これはいかなるスリラー映画なのか?

ヌーディストビーチの陽光と森の暗さ

とある夏の湖のほとり。そこはいわゆる穴場的なヌーディストビーチで、ゲイのカップルや行きずりの相手を探し求める男性たちがやってくる。主人公の青年フランク(ピエール・ドゥラドンシャン)は、たくましい肉体を持つミシェル(クリストフ・パウ)という年上の男性に心引かれるが、ミシェルには若いボーイフレンドがいた。ところが後日、フランクはミシェルがボーイフレンドを溺死させる光景を目撃する。それでもミシェルの魅力のとりこになったフランクは、殺人者である彼と逢瀬(おうせ)を重ねるようになり……。

映画は夏の日差しがまばゆいバカンスムービーのように幕を開ける。湖岸には素っ裸の男性たちが性器丸出しで寝そべっており、そのあっけらかんとした描写に軽く目まいを覚える人もいるだろう。湖の周りにはうっそうとした森があり、意気投合した男性たちが茂みで肉体を重ね合わせているのだが、それをあからさまにのぞき見て自慰行為にふける者もいたりする。ギロディ監督はそうしたハッテン場のゲイたちの生態を即物的にカメラに収め、奇妙な味のユーモアを漂わせる。

こうして序盤で提示される〝あけっぴろげ〟な状況設定は、暗く陰惨な犯罪の匂いとはほど遠く感じられるが、日が落ち始めると映画のトーンが一変する。ただでさえ昼間も閑散としている湖のほとりは、夕暮れ時には人けがなくなり、夜には完全なる静寂と暗闇が訪れる。ギロディ監督は劇伴を用いず、風による森のざわめき、虫や鳥のさえずりといった環境音によって不穏なムードを創出する。


絡み合う謎めいた人物たち

一方、フランクは、殺人を犯した後も、何事もなかったように湖にやってくるミシェルに対して、当然のように猜疑(さいぎ)心を抱く。「もしや次に殺されるのは自分では?」。嫌な想像が頭をかすめつつも、フランクはミシェルの誘惑にあらがえず、倒錯的な快楽の深みにはまっていく。

そんな両者のただならぬ関係性をストーリーの軸にしながらも、ギロディ監督はキャラクターを深掘りするドラマを語ろうとしない。フランクは表裏のなさそうなナイーブな青年として描かれる一方、ひょっとするとシリアルキラーかもしれないミシェルは、真意不明の謎めいたストレンジャー、すなわち〝見知らぬ男〟であり続ける。そもそも本作は湖と森だけに舞台空間を限定しており、それ以外の登場人物のプロフィルや日常の行動が一切省かれているのだ。

また、劇中にはフランクとミシェルのほかに、2人の重要なキャラクターが登場する。素っ裸の男性たちがたむろする湖岸で、なぜかナンパも泳ぐこともせず、いつも同じ場所にじっと座り込んでいるアンリという中年男性。そしてもう一人は、湖で死体が発見されたことで捜査に乗り出した地元の刑事だ。この2人の物語への絡み方が絶妙で、フランクとの会話シーンからいちいち目が離せない。

宙づり状態のエンディング

スタッフで注目すべきは撮影監督のクレール・マトンだ。セリーヌ・シアマ監督と組んだ「燃ゆる女の肖像」(2019年)、「秘密の森の、その向こう」(21年)で知られる名手が、湖とその周辺の風景を穏やかなカメラワークで捉え、静謐(せいひつ)な緊張感を創出。時折挿入されるフランクの一人称視点に立った視線のショットが、えも言われぬスリルを呼び起こす。

そして、本作の特異性が際立つ最大の見どころはクライマックスにある。前述した夜の森を視界不良の異空間のごとく映像化したそのシークエンスは、主人公のフランクはおろか、偶然そこに居合わせたかのように映画の行く末を見つめる私たち観客をも、極度の宙づり状態に陥れる。恐怖と欲望、愛と罪、ミステリーとその真実、それらすべてをのみ込んでしまう不条理の暗闇。クロード・シャブロル監督の「肉屋」(69年)を彷彿(ほうふつ)とさせるこの異様なエンディングは、劇場で体験してこそ戦慄(せんりつ)が倍増する。

ちなみに今回催されるアラン・ギロディ特集では、テロや移民といった社会問題を取り込んだブラックコメディー「ノーバディーズ・ヒーロー」(22年)、田舎の村で起こった失踪事件の不可解な顚末(てんまつ)を描く犯罪劇「ミゼリコルディア」(24年)も上映される。3作品すべてが劇場初公開、見逃し厳禁の特集だ。

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