誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2023.12.08
鬼才ギャスパー・ノエ〝セックス封印〟 分割画面で描く「老老介護」と「死」
医療技術の発展で世界的に高齢化が進み、国によっては「認知症患者」や「老老介護」の増加などの社会問題が、今後さらに加速していくのではないかと懸念されている。65歳以上の人口が総人口に対して21%を超える「超高齢社会」に、2007年に突入した日本でもひとごとではない。
そんな中、「病」と「死」をテーマに高齢者視点での現実をあぶり出したのが、公開中のギャスパー・ノエ監督「VORTEX ヴォルテックス」である。「CLIMAX クライマックス」(18年)で第71回カンヌ国際映画祭「国際アートシアター連盟賞」を受賞した鬼才の新作だ。
認知症の妻と心臓病の夫
認知症を患う元精神科医の妻と、心臓病を抱える映画評論家の夫。妻は認知症になってからまだ日が浅いようだが、症状の悪化するスピードが速く、慣れぬ夫はその変化についていけない。開けっ放しにされたガス栓を急いで閉じたり、徘徊(はいかい)する妻を捜して連れ戻したり、困惑しながらも生活を続けていくが、その夫もまた病人なのだ。2人にはゆっくりと、人生最後の時が近付いている。
そしてたまに両親宅を訪れては良き話し相手となり、孫の顔も見せに来る一人息子。本作は現代においては決して珍しい構成ではない親子3人を中心に、老夫婦が住んでいるアパートの一室で展開していく。
アンソニー・ホプキンスが第93回アカデミー賞で主演男優賞に輝いたのも記憶に新しい「ファーザー」(20年)や、「アリスのままで」(14年)、「明日の記憶」(06年)など、認知症やその原因疾患の一つであるアルツハイマー症を題材とした映画は、国内外を問わずこれまでにも数多く製作されてきた。一方で、「老老介護」は現代的な社会問題としてより注目度が高まってきているテーマではあるが、映画の主題として描かれることはまだそこまで多くない印象だ。
スプリットスクリーンで複数の視点
その両方をテーマとして盛り込んだのが「VORTEX ヴォルテックス」であり、またそれをどのように表現したのかという手法に、この映画最大の特徴がある。
それは、画面を複数に分割する「スプリットスクリーン」という技法。本作の場合、スクリーンが左右に2分割され、同じ空間・時間を共有している夫と妻をそれぞれで映している。つまり、観客においては自室で仕事をしている夫と、徘徊している妻を同時に見ることになり、介護者と被介護者を2画面同時進行で鑑賞するということになる。
ちなみに、ノエ監督がスプリットスクリーンを使うのは本作が初めてではない。19年に製作された中編「ルクス・エテルナ 永遠の光」でも使用していた。この作品は登場人物も多く、両方の画面の視点(カメラ)が別々に、それぞれで会話が展開する様子を動きながら撮影していたことで、舞台が映画の撮影セットという閉鎖的な空間ではあったものの、情報量が非常に多い映像になっていた。筆者が初めて鑑賞した際には、「ついていけないシーンは、左の画面だけ見よう」と思ったほどだ。
アドリブのセリフがリアリティー生む
しかし「VORTEX ヴォルテックス」ではスプリットスクリーンの使い方がより洗練され、分かりやすい映像になっていた。舞台が基本的にアパート内であるということと、主要登場人物が3人に限られたことで、その情報量が無理なく理解できるレベルにコントロールされているのだ。たとえ左右2画面でそれぞれキャラクターが動いていても、異なる二つの映像を見ているのではなく、連動しているという感覚で鑑賞できるのである。
例えば、いまにも認知症の妻が危険な状況に陥りそうなのに、もう一方の画面では、夫がそれに気づく気配を全く見せない。見ている方は非常にハラハラする。スプリットスクリーンならではの緊張感だ。ここにリアリティーを感じられるのは、俳優の自然な演技による効果が大きいが、実は本作におけるセリフのほとんどはアドリブだ。監督は場面の状況について説明し、それに合わせて俳優が即興で演じたことで、ドキュメンタリーのような映像になったのだろう。
母をなだめる息子と悲嘆する父
妻の病状と、夫が心の準備も整えられないまま介護する側になってしまった現実を同時に鑑賞することで、長年連れ添ってきたパートナーが病気で変化していくという怖さを、観客は追体験するのだ。
さらに、息子が家に来て3人になる場面でも、スプリットスクリーンはうまく機能している。妻が夫を夫だと認識できなくなってしまうシーンでは、息子がおびえる母をなだめる様子と、隣の部屋で悲嘆にくれる夫のクローズアップを同時に映し出す。
息子という登場人物が加わることで、親を介護する子供の視点も通すことになり、3人ともの感情がその表情や仕草から伝わってくる。また同時に、誰もがこの3人のいずれかの立場に置かれる可能性があるということを嫌でも感じてしまうのだ。
すべての観客に突きつける残酷な現実
ノエ監督の過去作を見たことがある方は、監督に対して「暴力」や「セックス」といったイメージを持っているかもしれない。しかしノエ監督は、今回その二つを封印し、「『VORTEX ヴォルテックス』は、すべての観客へ向けた初めての長編映画だ。描かれているのは多くの人が経験している、または今後、経験していくであろう普遍的なシチュエーションである」とインタビューで語っている。
誰しもに平等に訪れる「死」を、「病」という切り口で淡々と描いたことで、これまでの作品と同等か、もしかしたらそれ以上に残酷な現実を突きつけた。鬼才は、「暴力」や「セックス」がなくてもそれができるということを、本作で証明したのである。