国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。
2023.4.28
求心力は世界随一! 明日の映画界を拓く「高崎映画祭」をおえて
「How was the festival?」
マルセイユとカトマンズからリアルタイムで同じ質問が飛んできた。イリノイ大学シカゴ校の教授という安定した座を捨てて映像作家の道を選び、実験映画の巨匠となったベンと、「ロサンゼルス・タイムズ」の重役だが、最近はカトマンズでアメリカ人とネパール人のハーフとして育った自伝的映画を撮影しているナニー。アメリカで同じ時期に成長した共通の情緒によって数多くの共感ができる心友の彼らと3月18日からの話題は断然、筆者がシニアプロデューサーを務めている第36回高崎映画祭(2023年3月18日~3月31日)だった。
しかし、40年近くの歴史を受け継いでいながら、少なくとも映画界では「高崎映画祭に呼ばなければ真の映画人ではない」と言われるほどの権威を持っているものの、国際映画祭ではないため、初めて高崎映画祭に合流した当時は、彼らにその特別さを説明することは簡単ではなかった。
高崎で権威ある映画祭!? 三つの会場が語る、その理由
最初に考えなければならないテーマは、地理の問題だ。東京でもないこの群馬県の都市が、なぜ「不動の位置を持つドメスティックㆍフィルムフェスティバル」の舞台になったのか。日常に染み込んだ日本仏教のアイコンとして大衆的に愛されているだるまの本場というだけでは説明が足りない。文部科学省国際統括官、理研理事等を経て、今は教育界で活躍している未来社会に向けたイノベーションの信念的同志、加藤重治さんの同省先輩で、文化芸術に深い関心と愛情、政策的ビジョンを持っている市長がおられることも周知の事実だが、やはりこれだけでは十分ではない。
それでも分からないと諦めるのにはまだ早い。高崎映画祭の3会場を調べれば、極めて簡単に答えを見つけることができる。
まず映画祭の授賞式を行い、上映館としても使われる高崎芸術劇場に行ってみよう。19年に開館した高崎芸術劇場は、音楽や舞台芸術の大型公演に対応し、国内最大級の舞台面積の大劇場、多様なパフォーマンスが可能なスタジオシアター、リサイタルから小編成のオーケストラ公演まで可能な音楽専用ホール、リハーサルやレッスンのための九つのスタジオなどを完備した芸術魂の溶鉱炉。3階には「音楽上の覚醒者」と呼ばれた山本直忠氏が初代常任指揮者を務めた群馬交響楽団の本部がある。
文字通り「ワールドクラス」の群馬交響楽団の創設は1945年11月、戦後の荒廃の中で文化を通した復興を目指す趣旨からだったという。21世紀を迎える半世紀前に、高崎市ではすでに未来社会が始まっていたわけだ。
次にJR高崎駅西口から出て静かで清潔感のある街を少し歩くと、二つのスクリーンを持つミニシアターのシネマテークたかさきに着く。普段は話題の新作から、これから活躍が期待される国内の若手監督の作品など、世界各国から独自の視点で選んだ映画を150本程度上映している。見逃してはならないのは、この小さな映画館が日本映画の世界配信の拠点として機能している点である。
国際交流基金は海外の視聴者を対象に、2022年から新たなオンライン配信企画として、映画文化の多様性を支え続けてきた「ミニシアター」に焦点を当て、日本の映画文化の現在を伝えるための特集配信(「JFF+ INDEPENDENT CINEMA」)を開始した。シネマテークたかさきはこのプロジェクトの協力ミニシアターで、総支配人であり、高崎映画祭のプロデューサーでもある志尾睦子が作品推薦者として一翼を担っている。
そして、シネマテークたかさきを通って高崎中央銀座商店街を横切ると、ついに高崎映画祭を誕生させた底力の原点が見えてくる。1913年創業の高崎電気館である。それ自体が日本の映画館の歴史を象徴する場所らしく、ロビーには1954年に生産された映写機が展示されている。この高崎電気館は13年の休館を終え、2014年10月3日に「高崎市地域活性化センター」として生まれ変わった。
ここで目立つのが、3カ所のポイントを束ねる「市民」というキーワードである。
〝文化〟を創造し発信し続ける、高崎魂ここにあり!
前述した群馬交響楽団の創設当時の名は「高崎市民オーケストラ」で、戦争の傷痕を文化で癒やそうとした市民のヒューマンドラマは、そのまま映画(「ここに泉あり」今井正監督)になった。 シネマテークたかさきはどうか。NPO法人たかさきコミュニティシネマが運営するこのミニシアターは、あえて「シネマテーク(cinematheque)」という名前がつけられていることからも分かるように、映画を愛する格調の高い観客が連日門前市を成す。
市民によって街なかの活動拠点と新たな文化活動拠点として生まれ変わった高崎電気館では、今年の2月に高崎市とNPO法人たかさきコミュニティシネマのコラボレーションで東南アジア7カ国の作品上映とともに関係者を招待する「東南アジア映画週間」が開催された。小規模の国際映画祭、実に「成功高大」という語源的由来を持つ地名ほどの驚くべき文化都市の底力である。
この瞬間、筆者は海の向こうからさまざまなお祝いの気持ちが伝わった今年の授賞式を思い出す。祝うために高崎市まで訪ねてきた富川国際ファンタスティック映画祭のエレンㆍキムプログラムディレクター、国際電話であいさつを伝えてきた全州国際映画祭の閔盛郁(ミンㆍソンウク)新任執行委員長、釜山国際映画祭でアジアㆍスターㆍアワード(シャネルㆍスポンサー)のライジングスター賞を授与された女優の嵐莉菜さんが高崎映画祭で最優秀新人俳優賞を受賞したニュースを誰よりも喜んでいたマリㆍクレールの孫基姸(ソンㆍギヨン)CEO。
彼らの心は生業に疲れる日常にもかかわらず、各自の時間と努力をささげて14日間にわたる長い祭りを共にしてくれた高崎市の誇り高い市民スタッフと出会った。そして、高崎映画祭のジャンヌㆍダルク志尾睦子は、映画祭が終わって1週間もたたないうちに再び来年の映画祭に向けた構想を進めていると話した。
そう、懐かしきみんなの顔を覚えて、また会える日まで、私も関わる全ての国際映画祭で彼らの話を届けよう。誓いを反芻(はんすう)するようにメッセンジャーに、冒頭の2人の心友に送るメッセージをタイプする。
「I hope you all come to our festival someday.」