毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2021.1.07
この1本:「チャンシルさんには福が多いね」 多難でも、ほんわかと
新しい年が始まったばかりなのに、なんだか前途多難。こんな時は、ほんわかした韓国作品で初映画館はいかが。
チャンシル(カン・マルグム)は40歳の映画プロデューサー。頼りにしていた監督が急死して職を失い、坂の上にある借家に引っ越した。夢中になっていた映画の仕事から突然放り出され、気づいてみれば結婚も出産もしておらず独りきり。人生に迷うチャンシルの右往左往をペーソスとユーモアたっぷりに、ファンタジー調の味付けで描く。
チャンシルの前にはいろんな人物が現れて、指針を示す。チャンシルをお姉さんと慕う女優ソフィ(ユン・スンア)は「考えすぎはダメ」とあっけらかん、大家(ユン・ヨジョン)は「きょうやりたいことだけ、一生懸命やる」と説く。年下のヨン(ペ・ユラム)に何かを感じ、一緒に幸せになれるかもと妄想する。そして、レスリー・チャンだと名乗るのに少しも似ていない幽霊(キム・ヨンミン)が、親身な相談相手になる。
キム・チョヒ監督はホン・サンス監督の元プロデューサーで、これが初の長編監督作という。ゆっくりしたズームやダラダラ歩きながらの会話は師匠ゆずりか。とぼけた味わいでクスリと笑わせるかと思えば含蓄のあるセリフでうならせ、思うようにならないチャンシルが流す涙でしんみりさせる。緩急自在の演出、編集が心憎い。
そして、映画マニアをニヤリとさせる仕掛けがいっぱい。巻頭のクレジットはスタンダードサイズで麻布の背景。そう、小津安二郎映画へのオマージュだ。「東京物語」「ベルリン・天使の詩」「ジプシーのとき」とシネフィル好みの作品名がポンポン出る。
キム監督が自身を投影したらしいチャンシルは、不器用だけれど真っすぐで一生懸命。幸せの意味を探し、本当の望みに気づいて前を向く彼女に拍手を送りたくなる。1時間36分。東京・ヒューマントラストシネマ有楽町、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。(勝)
ここに注目
チャンシルをはじめ出てくる人の言葉が穏やかだ。韓国映画には、普通に話している言葉でも強く攻撃的に聞こえてしまうことが時にある。それが気性の激しさや感情表現の濃厚さにもつながる。この映画は、全くと言っていいほどその感覚が無い。優しく語りかけるような柔らかさが、チャンシルらの心情と重なって何とも心地よい。軽やかでユーモラスなチャンシルに寄り添って、無理がない。映画を愛する気持ちも淡い恋心も素直に響いてくる。演出なのか、カン・マルグムの感性なのか、絶妙に作品をひき立てている。(鈴)
技あり
キム・チョヒ監督とチ・サンビン撮影監督は2人とも新人だ。けれんみのない引きサイズを重ね、アップが少ない構成で撮った。初々しい感じで、これもあり。しかしチは、俳優のいい表情をつかむのがうまく、本質的にはアップが得意なようだ。チャンシルが、枯れ葉を敷きつめた寒そうな公園のベンチにいる場面。ロングから大きくサイズを変えて額を切った本編最大のアップ。物思う顔が決まった。また終幕、先を歩くスタッフを照らす、懐中電灯の反射光を使った決意新たなバストアップなど、いい顔が撮れていた。期待したい。(渡)