「アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド」

「アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド」© 2021, LETTERBOX FILMPRODUKTION, SÜDWESTRUNDFUNK

2022.1.13

この1本:「アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド」 完璧な仕様で尽くされ

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

人間と人間そっくりのコンピューターの境界がどこにあるか。そんなテーマはとっくに語り尽くされているようでも、現実の方が空想科学の世界に追いつこうとしているから常に新しい。この映画はコンピューターが創りだした理想の男性ロボットと、現実主義の学者のラブストーリーだ。マンガのような設定の軽いコメディーと油断していると、愛とは、人間らしさとはとグイッと迫る。あなどれないドイツ映画である。

楔形(くさびがた)文字の研究者アルマ(マレン・エッゲルト)は、研究費と引き換えにハイテク企業の実証実験に参加。ドイツ女性のデータを基に「相手を幸せにすること」をプログラムされた理想の伴侶アンドロイドと3週間、生活を共にするのだ。現れたトム(ダン・スティーブンス)は超美形、知的で洗練され、ドイツ女性の喜ぶツボを押して迫る。しかしアルマは学会発表を目前に、老いた父親の介護で恋愛どころではないし、ロボットに胸をときめかすなんてあり得ないとつれない。それでもトムは平気な顔で、優しくアルマに尽くそうとする。

「塩対応」からの「胸キュン」への変化はラブコメの王道。アルマも、研究がつまずき元パートナーの幸せを目の当たりにし、孤独な自分を顧みる。その心の隙間(すきま)に、完璧にカスタマイズされたトムが入り込む。

デジタルの乾いた画面とベルリンの無機質な風景が現代的で、人工知能(AI)を巡る描写も繊細だ。見ている方が人間とAIの接近を実感しているから、まんざら絵空事とは思えない。アルマがトムに抱いた感情は、愛といえるのか。マーケティングで作り上げられたAIとの交流は、本当のコミュニケーションなのか。人間らしさはどこにあるのか。古くて新しい問いに、また悩まされるだろう。

マリア・シュラーダー監督。1時間47分。東京・新宿ピカデリー、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。(勝)

ここに注目

ロボットを扱った過去の映画との決定的な違いは、トムに「相手を幸せにする」プログラムが組み込まれていること。となると必然的に「幸福とは何か?」「愛とは何か?」というテーマが浮上し、たちまち答えの見つからない迷宮をさまようことになる。本作はそんな人類にとって永遠の問題を、軽やかで洗練されたユーモアとともに探求する。あまりにも完璧ゆえに、浮世離れしたおかしみを漂わせるトム役スティーブンスの演技も絶品。もはやSFではなく、21世紀に作られるべくして作られたロマンチックコメディーの好編だ。(諭)


技あり

ベネディクト・ノイエンフェルス撮影監督は、ドイツ映画伝統の精緻さに、特撮を取り込んだ。たとえばベルリン市内の新名所を通る、アルマの通勤風景。白い大階段を駆け上がって博物館島に入り、ミレトスの市場門を抜けて、ジェームス・ジモン・ギャラリーの長く白い廊下を行く。時々CG加工が感じられ、すれ違う人もはめ込みか。また雨の夜、アルマが机に向かってパソコンを見る場面。横顔から右肩をなめて画面の楔形文字を見せ、カメラが移動して後ろ姿から左肩なめで、左手でメモを取る姿になる。普通に凝っているのがよい。(渡)

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