「胸騒ぎ」© 2021 Profile Pictures & OAK Motion Pictures

「胸騒ぎ」© 2021 Profile Pictures & OAK Motion Pictures

2024.5.08

日本人なら恐怖倍増 ハリウッドリメークされた後味最悪の北欧製ホラー「胸騒ぎ」

ハラハラドキドキ、謎とスリルで魅惑するミステリー&サスペンス映画の世界。古今東西の名作の収集家、映画ライターの高橋諭治がキーワードから探ります。

高橋諭治

高橋諭治

別記事で紹介したフランスの不条理スリラー「またヴィンセントは襲われる」(2023年)とくしくも同じ5月10日に公開される「胸騒ぎ」(22年)は、デンマークとオランダの合作映画だ。スザンネ・ビア監督作品「アフター・ウェディング」(06年)などに出演してきたデンマーク人俳優、クリスチャン・タフドルップが手がけた3本目の長編監督作である。


居心地悪い週末が想像絶する悪夢に

登場人物は休暇中にイタリアの避暑地で知り合ったデンマーク人夫婦ビャアンとルイーセ、オランダ人夫婦パトリックとカリン。それぞれの子供であるアウネス、アーベルを加えた二つの家族は意気投合し、ひと夏の楽しい思い出とともに帰国する。すると後日、オランダ人夫婦から招待状が届き、デンマーク人一家はフェリーと車を乗り継いでオランダの田舎にある彼らの自宅を訪ねることに。ところが再会もつかの間、オランダ人夫婦の振る舞いに違和感や不安を覚えたビャアンとルイーセは、居心地の悪い週末を過ごすことに……。

ホスト役のパトリックは、大切なゲストであるはずのルイーセがベジタリアンだと知りながら、なぜかイノシシ料理を彼女に勧めてくる。ビャアンはレストランでのオランダ人夫婦の奔放な言動に不快な思いをしたうえに、会計まで押しつけられてしまう。しかしビャアンとルイーセは「私は肉なんか食べない」「どうして客人の僕がディナーの代金を支払わなくてはいけないのか」と反論できない。なぜなら礼儀正しいデンマーク人である彼らは、その場の空気を読み、事を荒立てないように務める常識人だからだ。


素性も動機も一切不明

英語、デンマーク語、オランダ語で会話が交わされる本作は、中盤までコミュニケーションの行き違いを題材にした心理ドラマのように進行していく。きっと多くの観客はデンマーク人夫婦に感情移入し、彼らが陥った状況を我が事のように捉え、気まずい思いをするだろう。なぜなら私たち日本人も礼節や道徳を重んじ、和を乱さぬよう気遣う民族だから。デンマーク人夫婦は相手を思いやり、その先に想像を絶する悪夢が待ち受けているとはつゆ知らず、オランダ人夫婦宅での滞在を続けてしまう。おそらくデンマーク人と日本人こそは、本作に最もリアルな恐怖を感じる観客なのではあるまいか。

その後のストーリー展開はネタバレになるので伏せておくが、通常のスリラーとは異なる本作の不条理性は、じわじわと悪意をあらわにしていくオランダ人夫婦の〝素性〟や、彼らがデンマーク人一家をもてあそぶ〝動機〟が一切描かれないことにある。その半面、オランダ人夫婦の幼い息子アーベルがなぜか口がきけない理由は明かされるのだが、そこにはとてつもなくおぞましい真実が隠されている。


暴力描写耐性ある人限定

近年、北欧の国々ではスリラー&ホラー系のユニークな作品が次々と生み出されている。「テルマ」(17年)、「ボーダー 二つの世界」(18年)、「LAMB/ラム」(21年)、「イノセンツ」(21年)、「ハッチング 孵化」(22年)……etc.。北欧特有の風土を背景にしながら、人間と社会の闇をえぐり出したこれらの作品は、怪物や悪霊が暴れるハリウッドの単純明快な恐怖映画とは一線を画す独創性に満ちている。

しかも「胸騒ぎ」は上記の北欧ホラー/スリラーのどれよりも恐ろしい。映画が終盤に至った頃には、正体不明のオランダ人夫婦が悪魔のように見えてくるだろう。いや、彼らは本当に悪魔という名の純粋悪なのかもしれない。大胆に説明を排除し、宗教的な含みをも忍び込ませた本作の不条理性は、見る者にそんな想像すら抱かせ、まれに見る悲惨なバッドエンディングに突き進んでいく。念のため書いておくが、理不尽な暴力描写への耐性がない人には、本作の鑑賞は絶対に勧められない。


反撃不能、カタルシスゼロ

そしてもうひとつ、本作を不条理スリラーたらしめているポイントは、オランダ人夫婦によってさんざんひどい目に遭わされるデンマーク人夫婦が何一つ抵抗できないことだ。そのため私たち観客は、善人である主人公が悪に打ち勝つカタルシスをまったく味わえないばかりか、彼らが反撃に転じるスリルに手に汗握ることさえできない。悪に手玉に取られ、無力化されていく人間の哀れな末路を描いた本作は、ミヒャエル・ハネケ監督の「ファニーゲーム」(97年)、アリ・アスター監督の「ヘレディタリー/継承」(18年)に匹敵する〝暗黒の絶望映画〟だ。

ちなみに、本作は「M3GAN/ミーガン」(22年)などのヒット作を連発しているブラムハウス・プロダクションズの製作でハリウッドリメークが進行中。すでに完成しており、9月に全米公開されるという。

ライター
高橋諭治

高橋諭治

たかはし・ゆじ 純真な少年時代に恐怖映画を見すぎて、人生を踏み外した映画ライター。毎日新聞「シネマの週末」、映画.com、劇場パンフレットなどに寄稿しながら、世界中の謎めいた映画、恐ろしい映画と日々格闘している。