「マーダー・ムバラク」より 

「マーダー・ムバラク」より 

2024.4.01

歌も踊りもないインド映画!アガサ・クリスティー系譜のミステリー「マーダー・ムバラク」:オンラインの森

いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、村山章、大野友嘉子、梅山富美子の4人です。

ひとしねま

須永貴子

インド映画に対して「突然歌って踊りだす」「不自然なイメージショットの多用」「尺が長い」といったイメージを抱いている人は多いだろう。筆者がまさにそのタイプで、過去の鑑賞経験からインド映画に対してなかなか食指が動かない…
 

アガサ・クリスティー「オリエント急行殺人事件」の系譜に連なる謎解きミステリー

3月15日から配信が始まったNetflix映画「マーダー・ムバラク」の尺は141分、概要を要約すると「エリート層が集まるデリーの社交クラブでの殺人事件を捜査官が暴いていく」。この内容でこの尺ということは、歌や踊りのシーンはなさそうだな、と見始めたところ、読みは的中! アガサ・クリスティー作品を実写化した「オリエント急行殺人事件」や「ナイル殺人事件」の系譜に連なる、名刑事による謎解きミステリーだった。原作「Club You to Death」(2021)は、インドの女性作家Anuja Chauhanにとって初のミステリー作品である。
 
映画の舞台となるのは、歴史と伝統を誇る特権階級のための社交クラブ〝ロイヤル・デリー・クラブ〟。このクラブは1910年にジョージ5世の訪印を記念して設立され、クラブのペットには代々英王室の人の名前が付けられてきた。現在の飼い猫の名前は〝ハリー王子〟だ。
 
インド独立後もしばらくは英国人しか会員になれなかったが、現在は1990万ルピー(約3613万円)+消費税の入会金を払えば非英国人も会員になることができる。ただし入会まで最短で20年待ち、階級や人種はもちろん限定される、ということは非常に排他的なクラブといえる。クラブの外側にいる人たちからは「売国クラブ」と批判される存在でもある。
 
その夜クラブではビンゴパーティーが行われていた。映画はオープニングから、事件に関係するほぼすべての登場人物を固定ショットで名前を添えて紹介していく。クラブの現会長、次期会長候補の2人(王族の末裔=まつえい=ラジャと女優のジェナズ)、ジムのトレーナーで女たらしのレオ、ジャンキーのヤシュ、弁護士の青年アカシュ、夫に先立たれた美しい女性のバンビなど。
 
絢爛(けんらん)豪華なパーティーの描写が13分続いたところで、テーブルの下に血を流して倒れている男性を少女が発見し、タイトル「マーダー・ムバラク」が映し出される。そしてカメラは初めてクラブを出て、デリーの下町へ。そこで本作において名探偵ポアロ的役回りを果たすバーニ・シン警視と、若い警部補パダムが登場する。
 

捜査が進む中、ロマンス的な彩りや、インド社会が抱える課題も浮き彫りに

シン警視がクラブで殺人事件の捜査を開始すると、彼の視点で広大なクラブの風景が描写されていく。時間とお金を持て余した会員たちが、従業員をこき使いながら優雅に過ごしている。そしてシン警視が到着した事件現場は、ビンゴ会場のテーブルの下ではなくトレーニングジムだった。バーベル器具の下敷きになったレオが、(けいこつ)の骨折により絶命している。冒頭のテーブルの下の足は観客への最初のサプライズ、つまりミスリードというわけだ。
 
クラブ内の物置小屋に設置した捜査本部で、シン警視が事件の関係者への事情聴取に取り掛かると、クラブ会員たちの人間関係や秘め事がつまびらかになっていく。本作の軸はもちろん殺人事件の捜査だが、アカシュとバンビの焼けぼっくいに火がつく的なロマンスも彩りになっている。
 
19年前、少年少女だった2人の出会いのきっかけは、バンビがアカシュの気を引くためにプールで溺れた〝ふり〟をしたことだった。本作には、他にも〝ふり〟をするキャラクターが何人も登場する。金持ちのふりをしている者、見て見ぬふりをする者、そもそも女優のジェナズにとっては〝ふり〟をすることが生業だ。
 
第2、第3、そして第4の死体が発見されたところで、シン警視が複雑に入り組んだいくつもの「ふり」を解き明かし、関係者を集めて謎解きを披露する。そこで明らかになるのは、登場人物が抱えている秘密やうその数々だ。特に特権階級の人たちは、自分の地位やクラブ内での調和を保つために息を吸うようにうそをつく。なんなら本当のことなどは、社交の場においては知らない方がうまくいくのだ。
 
作劇的にはウェスタナイズされているが、インド映画としての見どころと意義がある。まず、クラブ会員の景気のいいライフスタイルや文化に触れられることは、シンプルに楽しい。そして、インド社会が抱える課題(かつての宗主国への国民感情、階級社会、貧困、男女格差、ドメスティックバイオレンス《DV》、同性愛者の生きづらさ)を声高に描写することなく、登場人物のキャラクター造形に組み込んでいることも評価したい。
 
Netflix映画「マーダー・ムバラク」は独占配信中

ライター
ひとしねま

須永貴子

すなが・たかこ ライター。映画やドラマ、TVバラエティーをメインの領域に、インタビューや作品レビューを執筆。仕事以外で好きなものは、食、酒、旅、犬。

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