坂本龍一=2012年、須賀川理撮影

坂本龍一=2012年、須賀川理撮影

2023.4.17

環境音と融合 ミニマルな映画音楽の流れ作る 坂本龍一

音楽家、坂本龍一さんが2023年3月28日、咽頭(いんとう)がんのため、71歳で亡くなった。映画音楽の作曲家として俳優として、映画界にも多くの足跡を残してくれた。その功績をしのびます。

小林淳

小林淳

坂本龍一は、映画音楽家としても多くの作品を手がけ、ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストエンペラー」(1987年)では日本人で初めてアカデミー賞作曲賞を受賞しました。近年では「アフター・ヤン」(2022年、ココナダ監督)、「怪物」(23年、是枝裕和監督)も担当。映画音楽に詳しい評論家、小林淳さんは「メロディーからサウンドへ」という流れを作ったとその功績を振り返ります。

坂本龍一は1983年公開の大島渚監督作「戦場のメリークリスマス」で映画音楽デビューを飾った。坂本の音楽は英国アカデミー賞作曲賞に輝き、主題曲「Merry Christmas Mr. Lawrence」は彼の代表曲のひとつとなった。ベルナルド・ベルトルッチ監督作「ラストエンペラー」(87年)ではデビッド・バーン、コン・スーと共に音楽を担当し、アカデミー賞作曲賞、ゴールデングローブ賞作曲賞を受賞した。同じくベルトルッチの「シェルタリング・スカイ」(90年)でも再びゴールデングローブ賞作曲賞を獲得した。坂本は映画音楽の分野でも時代の寵児(ちょうじ)となった。

音の響きそのものを探究

90年頃から映画音楽ジャンルでの坂本の作風に変化が訪れる。フォルカー・シュレンドルフ監督、ペドロ・アルモドバル監督との作品も含め、それまでは旋律優先のメロディー志向が目立っていたが、やがて音の響きそのものに探究心が向かい、音が映像、作劇に何を与え、何を生み出すかを追究する様式に変貌していく。旋律の主張は徐々に影を潜めていき、周囲の状況に溶け込む音声、抽象的な音響への共感を表すようになる。それはまた彼自身の音楽活動、社会活動の変遷にも絶妙に重なっていく。

坂本のそうした方向性に正面から合致したのが、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督から「音楽ではなく、サウンドが欲しい」と注文された「レヴェナント:蘇(よみが)えりし者」(2016年)だった。大自然の偉容と小さな人間の息遣いの対峙(たいじ)、その空気、呼吸音のごとき音楽を坂本は目指し、電子音と楽器音で紡ぐ音響と自然音を混成させた。映像が発する静寂感、緊張感、孤独感、無力感をそれらの音から表現し、あらゆる環境音を楽器の音色を用いて加工し、再構築した。


作品を吹き抜けていくような音楽

坂本のスタジオ・アルバム「アウト・オブ・ノイズ」(09年)との関連性も指摘できる同作のサウンド造形だが、楽音と環境音の境界線が見えにくい映画音楽世界を坂本は打ち立てた。何かを押しつけたり、映画を強引に引っ張ったりする映画音楽スタイルを拒絶し、映画の中を吹き抜けていくような音楽を理想形としていた坂本の哲学、美学、美的感覚の実践でもあった。自然音、環境音と映画音楽の共存と結合。映画音楽の新たなベクトルを坂本は提示した。

映像第一の映画音楽は可能性が幅広くある、古今東西の音楽が使えて決まった形式もない、映画音楽は監督が求める音を翻訳する、映像で十分に示されたものを上塗りするのではなく、語られていない空白を表現するもの、といった理念も坂本は持っていた。ゆえに彼の映画音楽は色彩に満ちていたとも言える。音が映画におよぼす効力を研鑽(けんさん)する一方、依頼主の要望に沿った音楽演出を行う姿勢も彼の映画音楽形態にはあった。そのためにメロディー志向と環境音、効果音志向のせめぎ合いが表に出ることもあった。市川準監督の「トニー滝谷」(05年)、フランソワ・ジラール監督の「シルク」(07年)などはその好例に差し出せる。ピアノ曲2曲を書き下ろして提供したという是枝裕和監督の「怪物」(23年)ではいかなる鳴りを聴かせるのであろうか。

才能ある監督から刺激受け

作曲家は外部からの刺激がないと己の流儀に凝り固まる。音楽知識、信条、世界観を発揮する機会を逸する事態も招く。作家性にあふれる映画監督たちとの交流と協同作業は、坂本にとって自己の音楽フィールドを広げる絶好の刺激剤だった。

坂本の映画音楽はサウンドとの一体化を好んだ。メロディーが引き出す力は追い求めなかった。メロディーのない静謐(せいひつ)な空間で響く単音。静寂を打ち破っていく波紋の音。坂本は映画音楽分野でもそこをひとつの到達点に見据えていた。

輪郭のはっきりした強靱(きょうじん)なメロディーを打ち出す日本映画が今は減少している。音数の少ないミニマルな響きを押し出し、音楽と効果音の融合度をより強める映画音楽語法が現在は主流に近づきつつある。坂本の影響力がここに見て取れる。坂本の映画音楽意匠は確実に継承されていく。

ライター
小林淳

小林淳

こばやし・あつし 映画評論家。日本映画、外国映画にかかわる文筆・評論活動を行う。映画音楽の形態と映像・作劇における効用をテーマのひとつに据える。主な著編書に「日本映画音楽の巨星たち」Ⅰ〜Ⅲ、「ゴジラの音楽」「伊福部昭と戦後日本映画」「三船敏郎の映画史」「映画の匠 野村芳太郎」「東宝空想特撮映画 轟く 1954-1984」など。