毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2021.2.04
この1本:「すばらしき世界」 まっすぐに生きる願い
「永い言い訳」で第71回毎日映画コンクールの監督賞を受賞した西川美和監督、4年ぶりの新作。佐木隆三の実録小説「身分帳」にインスパイアされた人間ドラマだ。
13年前に敵対組織のヤクザを日本刀で刺し殺した三上正夫(役所広司)が、罪を償って旭川刑務所を出所した。上京した三上は生活保護を申請し、下町でアパート暮らしを始めるが、職探しはままならない。一方、若きテレビマン津乃田(仲野太賀)は、幼少期に離別した母との再会を願う三上に接近し、彼を主人公にしたドキュメンタリー番組を撮ろうとするが……。
真人間になると誓ったアウトローが、塀の外のルールになじめず七転八倒していく。筋立ては古風だが、原案の小説を現代的に改作した映像世界はまったく古めかしくない。興味深いのは社会と個人の軋轢(あつれき)を描きながら、ことさら世間の冷たさを強調していないこと。むしろ三上の再出発を応援する弁護士夫妻(橋爪功、梶芽衣子)、スーパーの店長(六角精児)らはみんな善人。彼らの人情の温(ぬく)もりを嚙(か)みしめつつも、自立できずふがいないおのれを呪う三上の苛立(いらだ)ちは募るばかりだ。
涙もろい感激屋の三上は、道端で困っている人を見過ごせない正義感の持ち主。その半面、怒りを制御できない瞬間湯沸かし器で、人殺しの過去も拭えない。時に滑稽(こっけい)で、時にただならぬ凄(すご)みを漂わせる役所の懐の深い演技が、短所も多いが魅力あふれる主人公にリアルな血肉を与えた。
西川監督は皮肉な運命をたどる三上の喜怒哀楽を細やかにすくい取り、いくつもの胸に迫る瞬間をそっと観客だけに目撃させる。もはや絶滅危惧種たる昔気質(かたぎ)の男は、ただ〝まっすぐ〟に生きたいだけなのだ。やがて終盤、その切実な愚直さを澄んだ情感へと昇華させるこの映画は、しばし見る者の心をかき乱し続けるのである。2時間6分。11日から東京・TOHOシネマズ日本橋、大阪ステーションシティシネマほか。(諭)
ここに注目
刑務所側が受刑者の経歴を事細かに記す身分帳。三上のそれには「十犯六入」とある。前科10犯、刑務所に6回入ったという意味だ。刑期を務めあげて出所した以上、建前では「罪を償った」三上だが、社会は「前科者」のラベルを貼る。取材対象としては魅力的でも、その人生に踏み込むことが私にできるだろうか。そう考えた時、津乃田の果たす役割の重要性に気付く。三上に恐る恐る接していた彼が、距離を縮めていく。取材者として成長する津乃田の心の動きを追うことで、三上という人間をより深く理解できるはずだ。(倉)
技あり
笠松則通撮影監督の画(え)は、手堅く安定している。芝居を下支えする、啓示的な実景の的確さにも注目したい。
たとえば福祉事務所で倒れた三上が、搬送先で目にするのは、雲と立ち木の寒々とした風景。この場面と直結して、送電線が連なった夕景が窓外に広がる病室のベッドに座る三上の後ろ姿。これを身分帳を手に津乃田が来るカットに繫(つな)ぐ。構図と画調、ともに巧みな滑り出し。終幕では嵐の帰り道、自転車の前照灯でふんわり浮かび揺れる前籠のコスモスまで、物語を牽引(けんいん)する実景の描写力に感嘆する。(渡)